tanasuexの部屋

〈宗教の生命は、善をなすことである〉

パリのノートルダム大聖堂の夢解釈! ~3

 

パリのノートルダム大聖堂の彫像の「錬金術師」

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ガーゴイルに囲まれている錬金術

 パリのノートルダム寺院の西正面の東方にあるガーゴイルにまぎれて見えないこの彫像は、いまだに「錬金術師」と呼ばれている。
 大きく波うつ長い髪の上に、奥義通暁者の標章たるフリギア帽を何気なくかぶり、簡素な実験服を纏ったこの学者は、欄干に片手をおいてもたれ掛かり、もう一方の手は豊かな柔らかい顎髭に触れている。──(錬金術師としての明白なサインは、この帽子で、これはイニシエーションを表す象徴表現であり、とりわけミトラ教関連の像で使われる帽子に似ている。※ )── 
 老人は物思いに耽っているのではなく注視している。その一点に注がれた眼光には厳しい鋭さがある。思うにその人物像は、下界の大聖堂のファサードに見られる錬金術のシンボリズムのまとめ役となっているのだろう。
 この哲学者の態度のどの点からも、甚だしい感情が伝わってくる。

実際、背中の曲がり具合や頭を突き出した様子や上半身には、その驚きがとくに強烈にあらわれている‥‥‥。

               引用は、「大聖堂の秘密」フルカネリより

 

【 「大聖堂の秘密」を読まれた作家の方が2004年に大聖堂を訪れたとき、この「錬金術師の像」をみたいと塔の案内人の2、3人に訊いても知らなかった。「錬金術師の像」と言っただけでは彼らには思い当たる彫像はなかったといいます。それで堂内のベテラン風の別の係員に尋ねてみると、彼はノートルダムの前の広場の、その像がかろうじて見える場所に連れていってくれた。見上げると、鐘楼テラスの天使像の立つ前、壁の縁から突き出るように、ガーゴイルの一つのような格好で老人が坐っているのが小さく見える。ベテラン係員は、この像を錬金術師と認識していたものの、別の錬金術的表象については何も知らなかった。と書いています。 (「ジョイスと中世文化」宮田恭子著より) 】

    フランス革命の大殺戮のさなかに下層市民たち(サン・キュロット)が一種の護符がわりにかぶっていたフリギア帽は達人に特有のしるしであった。学者ピエール・デュジョルは、次のように述べている。
 エレウシスの密儀における最高位である大密儀入信者の位階において、「新参者は大いなる業の着手に必要な力と意志と献身を自覚しているかどうかを問われたあと、

 『この帽子をかぶれ。これは王冠に優る』

 という式文を唱える古参の者たちから頭に赤い帽子をかぶされた。ミトラ教においてリベリアとよばれ、かつては解放奴隷を意味したこの種の帽子がフリーメーソンのシンボルであり、秘儀伝授の至高の標章であったことは疑いをえない。よって硬貨や公共建造物にそれを見かけることがあるのはなんら不思議なことではないのである。」

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※ ウロボロス:われとわが尾をかむ蛇は、錬金術そのものを象徴する。「あらゆるものは全体につながっている」とするヘルメス哲学の中心概念を表している。物質と精神は同一であるということ。実験を通して物体の変成という驚くべきことが起こることを、ウロボロスは明らかにしているとされる。

 ウォルター・ラングという現代ドイツの著作家は、錬金術が宗教のようなものであることを認めた上で、ノートルダムの石材彫刻のなかには、錬金術のシンボルもかなりあると指摘している。ゴシック様式の大聖堂は、とある隠された知識を示す、秘密の教科書だったと長らく思われている。すなわち、ガーゴイルやグリフ(装飾用のみぞ)、薔薇窓、飛梁といったものの裏にはたいへんな秘密があるのに、それがほとんど白日のもとにさらされていたのだ。」 としている。

  引用は、「オカルトの図像学](フレッド・ゲティングス著)青土社より

 

しかし、錬金術の隠されたシンボルの知識を知ったとしても、「大いなる作業」の全段階が複雑なシンボリズムの裏に隠されてしまっており、今の私達には、これらのそれぞれの段階がどんなものだったのか、ほとんどが理解できないことと思われます。

  古代から中世に至るまでの期間、錬金術の奥義はイスラム世界で守られ、伝承されていました。そして12世紀にヨーロッパに流入してきて、それがはじめはフランシスコ修道会で受け継がれ、その後ドミニコ会修道会で広まるなど、13世紀には、様々な修道院の中で比較的静かに研究され、実践されていました。これらの修道院の中で錬金術は、神による世界の創造を再現し、神の知識へ近づくための一種の自然哲学と見なされていましたが、14世紀になって、錬金術に携わる修道士たちが異端の罪に問われることが多くなったということと、世俗の社会で詐欺師の錬金術師が現れたため、教会は修道士が錬金術にかかわらないようにするために、1317年ローマ教皇ヨハネス22世は教皇令を発布している。しかし、その後も錬金術は広まり、15、16、17世紀と継承され、18世紀は理性の時代となり、哲学者カントが、世界に存在する事物の領域から霊的なものを取り除く思想を展開するようになって、錬金術は暗黒の時代となり迷信よばわりされてしまい、現代にいたっているのです。

 

次回は、図像解釈についてです。