tanasuexの部屋

〈宗教の生命は、善をなすことである〉

パリのノートルダム大聖堂の夢解釈! ~12

 神秘主義について

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 神秘(オカルト)の世界には薄いヴェールがかかっていて、ふつうの感覚ではとらえられないといわれる。アーサー・ラッカム(1867-1939)のこの挿絵は、パンドラが箱をあけ、悪霊たちがそこから飛びでるところ──特別そなえのない人間が、こうした企てに臨み、あの薄いヴェールを持ちあげてしまえば、かならずや身に危険がおよぶという観念を完膚なきまでに表現した神話上の物語──を示している。じっさいの神話では、パンドラの箱(神々からの贈りものとして彼女が持参した)は、パンドラの夫エピタテウスによって開かれる。そしてすべての禍が箱から世界へと逃げこんだとき、ただひとつ「希望」だけが箱に残っていて、人間にもまだ利用できたのだった。オカルティズムの主張するところ、ヴェールというのは、目で見てわかる世界のようすにほかならない。その背後に、秘伝のイニシェーションの実践を通じて特別な洞察力や意識を発達させた者しか近づくことのできない、もうひとつの現実が存在するのである。
  (『オカルトの図像学』 フレッド・ゲティングス著  青土社刊 より)

 

 オーエン・S.ラクレフの『オカルト全書』(藤田美砂子訳)の序文にアイザック・バシェヴィス・シンガーがこう記している。

 「オカルトというものを生み出したのは、人の心である。人の生死、性、その他あらゆるものに疑問を覚えるところから、オカルトは生まれたのである。絵を描こうとするとき、画家はまず人々の想像から着想を得、それから自分自身の想像力を働かせることによって、漠然とした魔術的・神秘概念に具体的な形を与える」

 「オカルトは、神秘主義という人類最古の科学であり、最古の宗教でもある。いずれも、人生にまつわる根本的な疑問に対し、答えが見つからないところから生まれた。疑問を覚えたとき、想像力が豊かな者なら、自己の内に向かい、答えを精神の世界に求めようとする」 

今回は神秘主義について話をしていこうと思う。それにしても神秘主義っていったい何なのだろう。神秘主義mysticisme、オカルティスムoccultisme、魔術magie……厳密な区別はさしおいて、ここではそのすべてをひっくるめて神秘主義と呼ぶことにしたい。あらゆる宗教形態は神秘主義であるといえるし、魂と神の合一を求めるものもこの名称で括られるだろう。

 だが、天使や精霊などを召喚して世界と人間の進化を求める「白魔術」と、悪魔や悪霊に奉仕する「黒魔術」があるように、よかれと思って生まれた神秘主義のなかにも邪悪なものへと変質していったものが多々あることを忘れてはならない。全般的に善を求める神秘主義の根底にあるものはある種の救済論である。

 プラトンによれば永遠不変のイデア界に似せて善性を本性とする神デミウルゴスが世界を創造したが、既に存在する物質を材料として使用したために、世界は不完全なものとなってしまった。そのため物質界はイデア界を手本にして変貌していかなければならない。グノーシス派では原初の世界は至高神アイオーンによって創造されたが、私たちが住んでいる世界を創ったのはこれよりも劣るヤルダバオートあるいはデミウルゴスと呼ばれる神であった。これは旧約聖書における創造主の神に匹敵するもので、プラトンの考えと同じように世界の創造の素材として物質が使用された。それ故、人間は神の霊を持ちながら肉体という牢獄に繫がれていることになる。救済のためにはグノーシス(霊知)が必要であるというのが、グノーシス派の基本形である。

 旧約聖書の「創世記」では、アダムとイヴは神から禁じられていた知惠の実を食べて堕落したが、その発端は蛇がイヴを騙したことによる。そこで正当キリスト教では蛇は悪魔の象徴と見なされる。しかし物質的世界を悪と考えるグノーシス派では、アダムとイヴに木の実を食べるように促して「霊知」を授けた蛇は善なるものの象徴だった。ウロボロスと呼ばれる自分の尾を嚙んでいる蛇の図像は、自らの死と再生を意味し、グノーシス派においては復活したキリストの象徴となる。この円環状の蛇は初めと終わりを示し、ヨハネ黙示録の21 章6 節の「わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである」というキリストの言葉と呼応している。

 さて、ウロボロスを重要な象徴として用いているものに錬金術がある。ウロボロスの象徴に言及する前に、まず錬金術の基本形について話をしておかなければならない。錬金術師たちは黄金変成、不老不死を目的のひとつにしたが、究極の目的は上記の救済論にあるように、不完全な人間が神のような存在になることにある。しかし神のようになって世界を自分の意のままにしようとするなら、それは黒魔術に堕してしまう。錬金術師たちは霊的にも自分を高めるように精進しなければならない。

 彼らが不老不死を追求したのは、病を治癒する薬を得ること、すなわち不完全な状態から完全な状態へといたることを意味したのである。では黄金変成はといえば、不完全な卑金属を完全なものであると考えられた金へと生成発展させることにあった。

 錬金術では金属は鉄→銅→鉛→錫→水銀→銀→金という変成をたどるが、それに必要なものは「賢者の石」pierrephilosophale である。これを手にすることができれば不老不死も宇宙の完成も可能になるという代物で、これを哲学者の卵と呼ばれるフラスコで創り出すことに躍起になる者が多かったが、達人adepteと呼ばれる人たちはこの作業と同時に霊的に高まることをも同時に追求した。錬金術師というと詐欺師という言葉がすぐに連想されるが、黄金変成に成功したと偽る者、あるいは富だけを求める者がいたことに由来する。だが真の錬金術師とはadepte のことをいうのである。

 (白水社 Webマガジン『ふらんす』「19世紀のオカルティストたち」 

                         中村隆夫より引用)

ユゴーとオカルト

お 知 ら せ

    ユゴーの亡命中のジャージー島での交霊会の様子の資料が入手しましたので、長文となるため、次回のブログ~13 で書き込みします。 

                           

                             ユイスマンスとオカルト

「ある女は、まる裸になって仰向けに寝ころぶと、両手で自分の乳房を握りしめながら両脚をばたばた蹴り立て、またある女は、急にみにくい藪にらみとなり、お尻を突きだして腹ばいになり、こッこッと牝鶏のように鳴き立てたかと思うと、不意にものが言えなくなって、口を大きくひらき、舌を巻き込んで上あごに押しつけた」(松戸淳訳)。
 これはJ.K.ユイスマンス(1848-1907)の『彼方』(1891)の黒ミサの場面を描写した部分である。彼はゾラの門下となった自然主義の時代、『さかしま』(1894)に代表されるデカダンスの時代を経て、心霊自然主義あるいは神秘的自然主義の時代へといたる。この最後の時代の始まりを画する作品が、この『彼方』である。後にカトリックに改宗したユイスマンス悪魔主義からカトリック神秘主義へと移行していく。その代表作は『大伽藍』(1898)であり、『腐爛の華』(1906)である。
 ユイスマンスは徹底して文献資料を渉猟し、フィールドワークを行うことで知られている。『彼方』を執筆するにあたって多くの資料を探し、悪魔主義の実体を知るために接近したのがブーラン元神父(1824 -1893)だった。本名はジョゼフ=アントワーヌ・ブーランで、彼は神秘主義的マリア信仰、終末論を信奉し、またさまざまな事件を神の意志によるものと解釈する傾向を強く持つ。さらに教義の重要な部分に「修復」という考えを位置づけていた。これは不信心や瀆神などの罪を、特別な祈りやカトリシズムの実践によって浄化しようとするものである。
 ブーランは神父らしからぬ事件をいくつも起こしていた。1860年には修道女で彼の愛人となるアデル・シュヴァリエが子供を産んだのだが、ブーランが生まれてまもなくその子を殺害したというのだ。また1861年にはアデルと共謀してサン=ガブリエル修道院のシメオン神父が信者たちから集めた多額の寄付金を横領したという詐欺罪により、懲役3年の刑を受けている。1869年には何度かにわたって悪魔祓(ばら)いや催眠術などによって修道女らの治療を行ったことで告発されてもいる。ついに1875年2月1日、パリ大司教J=H.ギベールはブーランにカトリック教会からの永久追放を宣告した。
 ユイスマンスはこの元神父と会うため、スタニスラス・ド・ガイタに紹介してくれるように依頼した。しかしにべもなく断られてしまった。ガイタの秘書で神秘主義者でタロットの達人オズヴァルト・ヴィルト(1860 -1943)あるいは詩人・評論家のレミ・ド・グールマン(1858 -1915)の愛人ベルト・クリエールを介してブーランと会ったようだ。おそらく1890年のことである。しかしこれより前の1887年、ガイタ、ヴィルトらは秘儀法廷の名でブーランに死刑宣告をしていた。ここから「呪い合戦」が始まった。ガイタの批判は主に3点あり、①誰彼かまわぬ性の放縦、②不倫や近親相姦、獣姦、③夢魔との交接、自慰行動をブーランとその信徒たちが実践していたというのである。実際、ブーランの教義には「生命の交わり」というのがあり、それは生殖器官の穢れを祓われると、原罪を免れた選ばれた存在が誕生するという教理である。
 1893年1月4日、ブーランはリヨンで急逝した。彼の死の様子を家政婦のジュリー・ティボーが手紙でユイスマンスに伝えている。「夕食の時間が来ました。あの方は食卓につき、たっぷり召し上がりました。とても陽気でいらっしゃいました。さらにゲイ家の婦人たちのところへいつもの訪問もされました。戻っていらっしゃると、すぐにお祈りの用意が整うかと私に尋ねました。数分後、あの方は気分が悪くなり、『一体これは何事だ?』と叫び声をあげられました。そう言いながらくずおれてしまったのです。[…]断末魔の苦しみが始まりましたが、それは2分と続きませんでした」。
 この突然の死を知ったユイスマンスは、「黒魔術の勝利で始まるとは、1893年は怖ろしい年です」と手紙に書いている。彼は詩人・小説家・ジャーナリストでブーランからオカルティスムを学んだジュール・ボワ(1869 -1955)に自分の考えを伝えた。するとボワは「ジル・ブラース」紙に「私は、ブーランの予感、ティボー夫人とミスム氏の見た予兆、死んだこの男(ブーラン)に対する薔薇十字カバラ団のヴィルト、ペラダン、ガイタの疑う余地のない攻撃について書くことが自分の義務であると考える」と書いた。この記事はガイタらがブーランに呪いをかけたことを糾弾する趣旨のものだった。「フィガロ」紙に掲載されたユイスマンスへのインタビュー記事には、「ガイタとペラダンが黒魔術をしているのは事実です。あの気の毒なブーランは彼らが絶えず送り続けていた悪霊と2年間ずっと戦っていました」と書かれている。
 こうした記事が幾つも掲載されると、我慢していたガイタもさすがに怒り心頭に達し、ボワにピストルによる決闘を申し出た。どちらも怪我を負うことはなかった。ボワの立会人だったヴィクトール・ユゴーの甥のポール・フーシェが「トゥールーズ西南新聞」に書いたことによれば、弾丸の一発は銃身のなかで止まり、ボワとガイタを乗せた馬車を引いていた一頭の馬が倒れたため馬車は横転し、もう一頭の馬は悪魔を見たかのように恐怖で震え、道で20分も釘付けになっていたとのことだ。
 ガイタはブーランの死から4年後の1897年に36歳で世を去った。死因は尿毒症の悪化、あるいは麻薬の常習であったらしい。だが、ガイタがブーランに放った呪いの「流体fluide」のどれかが目的を達成せず宙に迷い、それが自分のところに逆流してきたためであるとの噂が立った。

白水社 Webマガジン『ふらんす』「19世紀のオカルティストたち」 

                         中村隆夫より引用) 

 ※ この呪いの逆流に関連するレリーフとして、 ブログ~6 の コラム① の説明   「憤怒」(絶望)を参照してください。

            魔術的《バラ戦争》
 19世紀後半から末にかけて、フランスでは。《オカルト・リバイバル》というべき現象が起こっていた。象徴派の詩人を中心にオカルト思想が再評価され、多くの魔術グループが誕生したのである。若き侯爵スタニスラ・ガイタと隠秘学者ウィルトがおこした、「薔薇十字カバラ会」もその一つであった。薔薇十字カバラ会はそのころ、ブーランという破戒憎が黒ミサを実践しているという噂を耳にするや、さっそく、ウィルトとガイタが調査にのりだし、ブーランが伝説の英雄、天使などの霊体と性的に交わる邪悪な魔術を行なっていることをつきとめた。そこで、薔薇十字カバラ会は、ブーラン一派に魔術的制裁を加えるという決定を下したのである。ガイタはロウ人形にピンをつき刺しながら、ブーラン派の壊滅を祈念した。むろん、ブーラン側もそれを察知、対抗手段をとったため、その効力は発揮されなかったが、ブーランの支持者である小説家のユイスマンスは、見えないゲンコツに四六時中、頬を張られるという被害をこうむっている。ブーランもまた、人形術を用いたのだが、薔薇十字カバラ会のガードは固く、さしたる障害は受けていないようだ。結局、この魔術戦は泥仕合となり、後はペンの力を借りての中傷のしあい、というお決まりのパターンをたどっていった。この魔術的《バラ戦争》結果は引き分けというところであろうか。  

 

    ( 黒魔術の秘法 悪魔学入門 流 智明 著より引用)

           

 

【コラム】⑤ その2」‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

     ある瞑想の会の人たちのこと

       幽 体 離 脱 体 験

 この会の一人の方は知り合いでした。あるとき、自分たちは、幽体離脱体験をしたことを得意げに話されていました。

 この会の人を(Aさん、Bさんとして解説していきます)。Aさんは小さい頃から霊感のある方で、よくコンタクトされて、見せられているその内容をよく私たちに話されていました。またBさんは、指導する立場の人で幽体離脱などを指導する立場の人でもあるようです。Aさんには幽体離脱した後、安全に元の肉体に戻ってこれるかの不安があったようです。それで、二人で幽体離脱し、彼女らの指導をしているティーチャーを訪れる幽体離脱をして、テイーチャーを訪れたのだそうです。そこに、ティーチャーは、何か盆栽の手入れをしている姿が見えたそうです。その後何処かを訪ねたようですが、何処だったか覚えていません。自分としては、幽体離脱現象についてはあり得るが、もっと大事なことは、霊的真理であると思っていたからです。
それでは、このような能力のある方たちは、人間的にも、人格的にも完成されて優れた人たちであろうか?。 (ある仲間の人は、この能力をのぞきに使い破門されたりしているようです・・・・・・・・。)
 ところで、この知り合いのAさんのアドバイスに対し、周りの人たちはどのような経験をしているだろうか?人生におけるいろいろな問題点をすぐれて解決し、有意義な人生を歩んでいるのだろうか? しかし、そうではありませんでした。すぐれて、正しく、賢い物事の解決につながることも確実にはありましたが、ほとんどの場合、心の迷い道に誘導されている姿がよく見聞されました。
 それは、Aさん自身が見られた事象の解明をする学びがなく、その事象の深奥を理解、解釈せず、単にストレートに理解、受け答えをするだけで、間違った解釈の読みをしてしまうことが往々にしてあるからです。Aさんに後日、それらの事を指摘すると、自分には、このように見えたのであり、頑なに人の意見を、また間違いを認めようとはしませんでした。一般に「偏執病的精神分裂症」と呼ばれるこれらの人たちはこのような性格の人たちのようです。
 しかし、ある時、Aさんは、ある人に対して「あなたのオーラ体がない」とその人に言い、その人は「Aさんは私は存在しないと言っている」と笑って自分に話されたのでした。しかし、それから数ヶ月後、その人は亡くなられたのです。そこで、初めてみえなかったことの意味が理解出来ました。Aさんのコンタクトは時間軸を超えた状態で見ていたのでした。
 このAさんの霊的コンタクトで見せられている事柄をどのように解釈するかについて、Aさん自身は教えを受けておらず、今までの自身の経験から理解しているだけなのです。ですから、これらの見せられている事柄の正しい解釈がなされないために、7、8割の事柄については、単に人々を迷わせる内容の事柄です。それらは、信頼に値せず、また生き方を迷わせるトンデモな情報の事柄でした。むしろ知らない方が良いという内容でもあったのです。霊的能力により知られた事柄については、よくよく注意しないといけないということです。
  ※ 霊的なアドバイスを受けることについて

 ある生き神様と言われる霊能者がいました。身近な人たちはよく、相談に伺い、いつも適切なアドバイスを受けていました。それから、時がたち、この方は教祖として生涯を送ることになりました。そして、あるとき霊眼が開かれ、霊界を探訪し、亡くなられた身近の人達を訪れたそうです。そうしたら、意に反してほとんどの人達が喜びの世界ではなく、苦しみの世界にいることを知ることになりました。そして、自分は間違った指導、アドバイスをしていたことを悔いたそうです。自身で解決しなければならない人生の宿題は、自分で努力し解決しなければならなかったからです!!。 

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥【コラム】⑤ その2」 

 

 

【コラム】‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥  

    幻視や幻聴は霊的ステージが高い証拠⁉

伝 説

 幽霊や異星人の姿を見たり、その声を聞いたりできるのは、常人より霊的ステージが高い証拠である。それらすべてを幻覚や幻聴扱いしてしまうというのは、高次元の存在とコンタクトができる超能力者を、精神異常者扱いしたり、愚弄するものだと言えるのではないだろうか?

真 相

 幻視や幻聴が現れるのは、超能力者だからでも精神異常者だからでもない。誰にでも起こるごく普通のことなのである。幻視や幻聴を精神異常扱いすることも、また超能力扱いすることも、幻視や幻聴を特別視しようとする一種の差別以外の何ものでもない。
 誰にでも起こる空耳をはじめとして、人間は予想以上に幻視や幻聴を経験しているものなのである。
 起きている状態でもそのまま白昼夢の世界へと落ち込んでしまえる〈夢見がちな性格〉(Fantasy-prone personality)と診断される人が、人口の4%はいると言われている。この性格の人は、自分が創り出した空想の世界をリアルに体験できて、その世界を見たり触ったり、嗅いだり、五感で体験できるという特異な《能力》を有している。人口の4%と言えば、25人に1人。日本にも500万人近くいる計算になる。すごい数である。
 この性格を持つ人は、白昼夢に陥りやすいという点だけが通常人と異なる点で、そのほかに精神に問題があるわけではない。差別されるいわれは何もない。もちろん逆に、変なものが見えるからといって、常人以上の能力者だと威張る必要もまったくない。ただ、そういう〈性格〉の持ち主というだけにすぎないのである。
 一般人がどのくらいの割合で幻視や幻聴を体験しているものなのかについて、少々古いが19世紀末に取られた統計がある。「完全に起きている時に、非物理的な存在を見たり、触られたり、その声を聞いたりしたことがあるか」と、2万7000人余の人々に尋ねたのだが、その結果、約12%の人が、そういった経験がある、と答えている。精神分裂症の患者は確かに人口の1%くらいはいるが、その数を大きく上回る結果となっている。

 また、連れ合いを亡くしてしまった未亡人や男やもめの人々を対象にして、死んでしまった人の姿を見たり訪ねてきたと感じたことがあるかどうかを調べたという調査もいくつかある。いずれの調査でも50%から65%の人々が「そういう経験がある」と答えている。 そして、そういう経験をしたほとんどの人が、この体験によって慰められた、という感想を抱いていた。亡くなったお爺ちゃんを本当に愛していたのならば、たまにはお爺ちゃんの声がしてしまっても、それはそれで当然なのではないかとも思われる。人間とは、心が求めれば、時には存在しないものを見てしまい、聞いてしまう生物なのだろう。
 人間は、精神状態のありようだけでなく、化学物質の作用によっても幻覚をみることがある。その一例として、クローデット・ピアスという女性の症例が報告されている。
 1975年8月、ピアスは自分の主治医に向かって、「最近、テレビを見ることができなくなって困っているんです」と相談を持ちかけた。彼女は、パーキンソン病を患っていたため、医師はその薬の副作用で彼女の眼に異常が起きているのでないかと思って調べてみた。だが、彼女の眼には障害は何もみられなかった。
 不思議に思った医師は、「なぜテレビが見られないんですか」と尋ねてみた。すると彼女は「叔父さんが悪いんです。叔父さんが、テレビを見る私の椅子に腰掛けちゃっているんですよ」というのだった。医師は当然のように「ならば、どいてほしいって頼めばいいじゃないですか」と言ったが、彼女の答えはこうだったのだ。「そんなことできるわけないじゃないですか。だってその叔父さんは、1961年にすでに死んじゃっているんですから」
 お分かりだろうか。彼女は死んでしまっている叔父さんの幻影にテレビを見るのを邪魔されていたのである。そして、その幻影を見ている彼女自身も、叔父さんの姿が幻影であるということをちゃんと認識していたのである。それでもなおかつ、死んじゃったはずの叔父さんは、テレビの前に居座り続けていた、というわけなのである。
 このような奇妙なことがなぜ起きたのか。それは、彼女がパーキンソン病の治療のために飲んでいた薬の副作用に原因があった。パーキンソン病は、神経伝達物質ドーパミンが脳内で減少することによって起こると言われている。減ったドーパミンを補充するために、ドーパミンの前駆物質であるLドーパを経口投与する治療が行われるのだが、その際に副作用として、約半数の患者が何らかの幻覚を見るといわれているのである。彼女の叔父さんは、Lドーパが創り出した幻影だったのである。人間は、精神だけでなく、生化学物質の代謝によって生きているケミカル・マシーンでもあるというわけだ。
幻覚・幻聴というと、いかにも意味がなさそうに聞こえるかもしれないが、なかにはそう単純に片づけられないような事例もあるようだ。以下の話は、英国医学会が発行している『英国医学ジャーナル』に掲載された話である。
 84年の冬のこと、自宅で読書を楽しんでいた英国のある平凡な主婦の頭の中に「声」が急にこう話しかけてきた。
 「どうか怖がらないで聞いてほしい。急に話しかけられて驚いていることとは思うけど、他に方法がなかった。僕と友人は、オルモンド通りにある小児病院で以前働いていたのだけど、僕らは、あなたのことをどうにか助けてあげたいと思っているのだ」
 この主婦はそれまで一度も大病をしたことがなく、病院にかかったことさえなかった。オルモンド通りに小児病院があるということは、知っていたがそれまで行ったこともなかった。
当然ながら、いくら「声」が「怖からないでほしい」と言っても、彼女はパニックに陥ってしまった。彼女は「自分は気が違ってしまったのではないか」と悩んだ。
 彼女は精神科医のイケチュク・アスオネの元を訪れ、抗精神薬を処方してもらった。そのお陰でか「声」は2週間ほどで消えていった。だが、彼女がバカンスに海外に出かけていた時、その「声」は再び帰ってきた。そして彼女に「早く英国に戻るように」と勧告をしてきたのだ。「声」は彼女に、「頭に腫瘍が出来ていて、脳幹が炎症を起こしているのだ」と告げたのであった。
 アスオネ医師は、英国に戻った彼女を改めて診察してみたが、脳腫瘍の徴候などどこにも見られなかった。だが、余りに心配する彼女を納得させるために、脳のCTスキャンを取るように手配をしてあげた。
 彼のこの処置は、当然のように同僚たちの非難の的となった。そんな幻聴に従って、既往症もないような患者を高価な検査に回したりすべきではないというのだった。この反対のお陰で検査の日にちは延びてしまったものの、アスオネ医師の手配通り、彼女は頭部のCTを撮ることができた。
すると、そこに本当に脳腫瘍があったことが判明したのだった。驚いた医師らは、彼女に即刻手術をするよう勧めた。そして「声」もまた、「そうすべきだ」と彼女に告げたのだった。
 幸い手術は成功し、大事に至る前に彼女の腫瘍は取り除かれた。手術の後に「声」は、こう彼女に告げた。「あなたの手助けができて、僕らはとってもうれしいよ。それじゃあ、さようなら」それ以来、声は二度と現れなかった。そして、彼女は元通りの健康体へと戻ったのである。
 いかにもオカルト雑誌の投稿欄にでも載っていそうな出来過ぎた話だが、これは前に書いたように、97年末に英国医学会誌に掲載された話である。
論文の著者である精神科医イケチュク・アスオネは、手術から1年たった後、この主婦を病院の症例研究会へと招待して、同僚の医師達に対して、彼女が手術に至った経過を説明してもらってもいる。
 こんなことが起きた原因についてアスオネらは、「脳の腫瘍は身体症状を起こしてはいなかったものの、彼女は無意識のうちに頭に異物を感じていて、脳腫瘍を恐れる彼女の無意識が、声という形で現れて来ていたのではないか」と推論をしている。一応、医学雑誌の論文である。腫瘍が語りかけてきたとか、霊が教えてくれたといった解釈は論外としても、偶然の一致という座りの悪い説明方法を用いないのならば、このような風に解釈するのが精一杯といえる、まことに奇妙な事例といえるだろう。
 英国医学会誌がよく載せたものだと思うが、雑誌の編集者がそのまま捨てるには惜しいと思ってしまったというその気持ちもまた理解できるような、「ちょっといい話」ではある。 (皆神龍太郎)  ( 新・トンデモ超常現象 56の真相 太田出版より引用 )

 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥【コラム】⑦ 

 

 

【コラム】⑧‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥  

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   この絵は、西暦1483年にイタリア・ルネッサンスの画家、サンドロ・ボッティチェリ(1445─1510)によって描かれた絵画である。『マルスウェヌス(ヴィーナス)』(ヴィーナスとマルス)と言われる。ロンドン、ナショナル・ギャラリー所蔵。 

         この絵の一般的な解釈~

主 題 この絵画には、勇猛と美のアレゴリーであるローマの神々、ヴィーナスとマルスが描かれている。若々しく官能的な男女が、ふざけるサテュロスに囲まれ、森の中で横たわっている。
この絵画は、概して、理想的な五感の快楽や愛、戯れが描かれている。絵の中で、ヴィーナスは、ヘルメットと槍を運びながら、二人の幼児のサテュロスが遊んでいるあいだ、眠っているマルスをみつめている。マルスの腕の下で、甲冑の胸当ての中に入るサテュロスもいる。概して、理想的な五感の快楽や愛、戯れが描かれている。絵の中で、ヴィーナスは、ヘルメットと槍を運びながら、二人の幼児のサテュロスが遊んでいるあいだ、眠っているマルスをみつめている。マルスの腕の下で、甲冑の胸当ての中に入るサテュロスもいる。4番目のサテュロスは、マルスを目覚めさせようと、彼の耳元で小さなほら貝を吹いている。この絵画は古典的なものを源にして描かれている。おそらく「アレキサンダー大王とロクサネの結婚」という失われた絵画に対する詩人ルシアンの描写を元に描かれており、ここから重要な解釈が広がり、初期ルネッサンスの新プラトン主義の思想に影響を受けている。

寓 意 場面は幽霊のでる森、遠近法、極めてタイトでコンパクトな地平線で設定されている。ヴィーナスの背景には、遠くに海をみることができる。最前面の、マルスの頭のまわりのスズメバチの群れは、おそらく愛はしばし痛みを伴うという象徴として浮かんでいる。

もうひとつの可能な解釈では、スズメバチは、この絵画を依頼したかもしれないヴェスプッチ家を意味する。ヴェスプッチ家のシンボルは、スズメバチである。    

  これとは別に、以下のような解釈がある!!。しかし、このような意義の解釈は、美術学者には一般に認められていません??。

         この絵の秘められた意義解釈~

この絵の一般的な解釈では、これは、ある種の寓意画で、女神のウェヌス(ヴィーナス) が眠っているマルスをいわくいいがたい形で監視する古典的なテーマを扱っているとされています。しかし、この絵をオカルトのシンボリズムに照らしてみると全然違う意味がこの作品にあることがわかります。この絵のタイトルの『マルスウェヌス(ヴィーナス)』は近代になってつけられたもので、この絵は、マルスウェヌス(ヴィーナス)とは縁もゆかりもないことが明らかになります。ただボッティチェリのすべての寓意画についていえることだが、そのシンボリズムは複雑でいくつかの簡単な形にまとめていうのはむずかしい。しかしともかく、この絵に正しくアプローチするには、中世のオカルトの教義体系で、すべてを備えた人間からすると肉体はその一部にすぎない──人間は肉体のほかにいくつかの霊体を有する──と考えられていたことを思い出さなければならない。
 今のオカルティズムでは、肉体にもっとも縁のふかい霊体を「エーテル体」と呼ぶ。だが中世には、ウェゲタビリス(生気をあたえ右、植物性の)とかエンス・ウェネーニ(毒因)といったラテン名をはじめ、これにはけっこう異名もあった。また時代がくだってからの錬金術では、伝統的に「生気体」と呼ばれている。そしてこの「生気体」という用語に匂わされているように、エーテル体は生命体なのである。したがってこれを、高次の「アストラル体」と混同してはならない。こちらは感情体である。なお中世のオカルティストは、エーテル体をこんなふうに思いえがいていた。それは凡人の目には見えないものの、うねうねとした光体で、肉体とは反対の性からなると。        
 この人間をめぐる神秘的なイメージを心に抱けば、『マルスウェヌス』はべつの様相を帯びてくる。そこでまず、ボッティチェリエーテル体と肉体の関係を描きだすことに関心があったとしてみよう。そして彼は、ある友人からエーテル体について学んでいた(彼の交わった一派は、秘教の知識に深く通じていた)としてみよう。またさらに彼は、肉体が眠りにつけば、エーテル体はそれまでよりずっと自由になり、さほど肉体に釘づけでいる必要がなくなるというオカルトの公理を聞きおよんでいたと仮定してみよう。ただエーテル体には、肉体を生かしておくという目的がある。だからそれは、肉体からさほど離れず、そのそばにとどまって用心ぶかく目を光らせながら、よく気を配っているというわけだ。
 さてそうなるとボッティチェリは、おのが女性のエーテル体にガードされて眠っている人間の肉体を描いたらしい。また肉体がいわば殻のようなものだと強調する点については、よろいというものに表現されている。よろいというのは、からだを取りまく防御用の金属の殻にほかならないし、それもまた肉体と同じく生命がないからだ。さらによろいで遊ぶ四人の若いサテュロス(山野の精)も、いずれ劣らぬオカルトのシンボルで、四大元素をそれぞれひとつずつ象徴している。すなわち、よろいをおもちゃがわりにしているサテュロスは、「地」を表わす。好戦的に槍をもつサテュロスは、「火」を表わす。貝殻を吹きならすサテュロスは、「風(空気)」を表わす。いっぽう第四のサテュロスは、「水」を表わすが、これはこれで目下の問題にからんでくる。(占星術錬金術でとても重要な役割を演ずる)四大元素は、あらゆる肉体や物体の形の基本になるといわれているからだ。そして第五元素=「精髄」(クウィンテスンス)が、こうした四大元素をつなぎあわせるのだが【(第五元素=「精髄」(クウィンテスンス)というのは、オカルト関係の文献に由来する概念である。クウィンテスンスという英語は、「第五の元素」を意味するラテン語のクインタ・エッセンティアにちなみ、地水火風という四つの下位の元素を結合させる、目に見えない高次の元素を示している】オカルト界ではよく、エーテル体は第五元素でできているといわれる。第五元素は、人間の目には見えないが、強力な光と生気の波動だと考えられているのである。(人間のエーテル体を表わすとされた)女性の着ている半透明の衣裳をもっとつぶさによく見てみると、ボッティチェリは、その流れるようなドラペリーを通じて動きや生気というものをほのめかすために、あらゆる努力を惜しまなかったことがわかる。この女性像の動きのなめらかさと人体の深い昏睡状態は、まったく対照的だ。あるいはさらに注目すべきことかもしれないが、ボッティチェリは、その女性の油断おこたりない表情のなかに、エーテル体は肉体を恋しているという神秘的な概念、肉体というのはじつは「生気体」が時空に勢いよく押しだされてできたものにほかならないという概念を示そうとしているのである。大オカルト詩人ウィリアム・ブレイク(1757-1827)は、この考えをとても意味深長な表現で、「〈永遠〉は〈時〉の産物に恋している」と述べた。事実オカルトの伝承によると、エーテル体がじつは永遠に属するのにたいし、肉体は「〈時〉の産物」なのだという。
 ある意味では、この絵にたいする今の題名も、さほど的はずれとはいえない。オカルティストがエーテル体を称し、ウェヌスと言ったり書いたりするときもあるからだ。つまり肉体もそれなりのレヴェルで、さまざまな事物──ごちそう、音楽、性交に楽しみを覚えるので、人間をガードする「生気体」は、こうした事物がたいして人間の害にならないことや、人間も物質界を楽しめることを保証するというわけだ。
そしてここまでくれば、図1の荒けずりな木版画が、ボッティチェリの目もあやな絵画ともろに関係していることがわかる。木版画ウェヌスも霊的な存在として描かれているのだから──この女神は裸でいて、鏡のなかの自分に見とれているにもかかわらず、シンボルによって霊界に位置づけられている。だからこそ、彼女の足は雲に乗っているのだし、足元には自分の支配する獣帯の宮をしたがえているわけだ。まただからこそ、六芒星が頭上にあるばかりか、さらにもうひとつの六芒星がからだをおおっているのである。かくして図1のウェヌスは天上の存在だとわかるわけだが、これらはみんな、このウェヌスが女性の肉体の形で示されてはいても、そのじつ霊的な存在であることをシンボルで示す方策といえよう。いっぽうボッティチェリは、自分の絵の女性が霊的な存在であることを示すのに、べつのテクニックを使っている。すなわち薄いドレスを表面を流れるエネルギーに変化させたり、顔を女神の顔にしたりしているのだ。


 すでに見たように、なんらかのオカルトの教えにまつわる知識を(いかに不十分な形であれ)いったん身につけてしまえば、美術の世界をちがった形でながめられるのである。たとえばボッティチェリの美術を正しく理解するためには、中世のエーテル体の概念とウェヌスについて、多少の知識がいることはわかるだろう。じっさいオカルトのシンボリズムを少々理解すれば、かなりのもの──宗教に奉仕する形でつくられたきわめつけに深遠な美術作品から、広告技術の商業魔術にいたるまで──をちがった立場で見るようになるだろう。

ある占星術書から抜粋した金星=ウェヌスの絵(図1)を見ると、獣帯の金牛宮天秤宮を表わす雄ウシと天秤の像にはさまれる形で、ウェヌスの陰部を六芒星がおおっている。いっぽう、この裸の女神の右側の風景には、ウェヌスの支配するもの──性交、音楽、ごちそう──が示されている。ところでウェヌスを喜ばせる条件といえば、魂との相性がいいことだ。したがって、この像に六芒星が出てきたところで驚くにはあたらない。六芒星によって、天国が地球に浸透したために地球と人間が友好関係にあることがはっきり示されるからだ。・・・・・・・・

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   図1 中世末期につくられた,金星=ウェヌスおよびそれが支配するといわれる
      人間の活動をめぐる絵。 15世紀フランスの『羊飼いの暦』より     

 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥【コラム】⑧ 

 

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