(「ユゴーとオカルト」の編集が滞っているために「特別編」として、このブログを公開します。 次回に「ユゴーとオカルト」「ひふみ祝詞」を書き込みします。)
神秘主義について (宗教・宗派を超えて) 特 別 編
コラム⑤その②でコメントしたAさん が、高校生の頃、ある神宮の巫女さんのアルバイトをしていたときの話です。その神宮の本殿には、神様がいないという違和感があったそうです。どうも神様は別の方角のご神木から出てこられると感じるということでした。そこで、神主さんたちに、それらのことを話したら、そのご神木の方角は、もともと本殿があった場所で、火災により引っ越しして、今の場所に本殿を造営したのだそうです。それで、関係者が相談して、ご神事を執り行い、現在の場所に遷宮されたということでした。それを、自分の霊感能力はすごいんだとばかりによく話していました。これはコンタクトされた2、3割の有益で正しい情報の一例です。
正月等で神社参拝をなされるとき、「天津祝詞」や「大祓祝詞」を拝聴することがあると思いますので、ここに特に大祓祝詞の古式である播磨古式の「大祓祝詞」について述べます。
※ この解説文は、2010年11月に尾畑雁多氏のホームページに投稿した内容を編集し直したものです。
(以下の内容の全体は、編集者(たなすえ)の理解・考え・意見ですが、※印の陰陽師口伝は、播磨陰陽師 尾畑雁多氏によるものです。)
この大祓祝詞は、一般に知られている神社本庁の大祓祝詞に対して、大きな相違の部分があり、通常の大祓祝詞を知っている方達には疑問となる箇所について、特に述べています。
大祓祝詞(播磨古式)の解説
★ 高(たか)天(ま)原(のはら)に神(かむ)づまります 皇(すめら)が親(むつ) 神漏岐(かむろき) 神漏美(かむろみ)の詔(みことのり)を以 (も)ちて
[高天原(たかまのはら)]が一般的ですが、古事記冒頭には「訓高下天云阿麻下效此」とあり、天はアマと読むように指定されています。それでも古い神社の 一部では、今も「たかまがはら」と読んでいるところもありますが、まちがいであるとされています。また、伝統により、中ほどの「高天原」は「たかまのはら」と読むのに対して、冒頭は「たかまがはら」と読む矛盾の伝統がみられます。
正しくは「たかあまはら」「たかあまのはら」と読むべきものと思われます。
※ 陰陽師口伝では、【 冒頭部分、「高天原……」は、標準の場合「たかまのはら」と読みます。「たまあまはら」あるいは「たかあまのはら」の読み方も ありますが、これは使い道が違います。つまり、標準とは違う場合に使います。
「たまあまはら」は、「玉津天原《たまつ・あまはら》」のことで、津の部分は小さな発音になっていることから、省略されたものです。
この「たまツ」または「たま」は、美称《びしょう》です。美称は、上品な言い回しのことで、多くの祝詞に登場します。例えば、「はや・あきつひめ」の 「はや」も美称です。また、「たけ・イカヅチの神」とか「たけ・スサノオのミコト」の「たけ」も美称です。
ですので、「たまあまはら」と言った場合は、高天原を「天原《あまはら》」と呼んでいる宗派が、美称を使ったものです。これは、神仏習合系の神道の祝詞に多く伝わっているようです。
「たかあまのはら」については……正確には「たか・あまの・はら」と区切って発音します。これは、大祓祝詞を真で使う時の読み方です。
古くは、「たか・あまヌ・はら」と発音し、「ヌ」の部分を「の」と「ぬ」の中間の音で、小声で発音します。これは、大祓祝詞をより正確に唱える場合…… 特に厳密な儀式の場合に使う発音です。 】とのことです。
[神漏美の命を以ちて]が一般的で、「命」(みこと)が「御事」の意味のときは、神や人を尊んでいう場合であり、「御言」の意味のときは、言葉であり、 「詔」(みことのり)ですから、このように明確に表現する方がすっきりしますね。又「神漏岐」の[岐]はキと読む万葉仮名ですから、ギではなくキとなりま す。
※ 陰陽師口伝では、【 「かむろき、かむろみ」は、「かむ・ろ」に対して「き」と「み」で呼びわけ、陰陽を表していると伝わります。ここは正式には 「かむ・すべら・お・きみ」と「かむ・すべら・め・きみ」ですので、「かむろき」と「かむろみ」は、その略式と言うことになります。
略式の「ろ」は、「る」と「ろ」の中間の発音ですので、「かむるき」とか、「かむろき」とか言った場合が多数あります。ですので、次も「かむ・る・み」 または「かむ・ろ・み」と発音しますが……ただし、標準の場合は「かむ・ろ・み」としています。】とのことです。★ 吾(あ)が皇御孫(すめみま)の 天(あめ)の握石(にぎし) 国(くに)の握石(にぎし) 空津彦(そらつひこ) 彦火(ひこほ)の瓊瓊杵(ににぎ)の命(みこと)は
[我が皇御孫の命は]が一般的で、「ニニギの命」を表現していながらも、一般の大祓祝詞では明確に示さないままであり、このように明確に表現されている方 がよいように思いますが、皆さんは、どのように感じておられるでしょうか!。★ 豊(とよ)葦(あし)原(はら)の中津(なかつ)の国(くに)を 安国(やすくに)と平(たいら)けく知(しろ)し召(め)せと 天降(あまくだ)し 言依(ことよ)さし奉(たてまつ)りき …………… …………… 四方(よも)の国中(くになか)と 豊(とよ)葦(あし)原(はら)の水穂(みずほ) の国(くに)を 安国(やすくに)と定(さだ)め奉(まつ)りて
[豊葦原の瑞穂の国]が一般的で、秋田県唐松神社の物部文書の大祓祝詞がこれと同じで[中津の国]となっており、またこの箇所と対となる後の[四方の国中と大倭日高見の国]が一般的な箇所でも、この物部文献では[豊葦原の瑞穂の国]となっており、その共通点に何らかの接点があっただろうと考えられます。
「中津の国」「瑞穂の国」ともに日本の国ではあるが、特定の地域として限定していないと言うことがいえると思います。
※ 【 播磨陰陽師口伝では、「中津の国」は国の名としてではなく、「豊かなアシの原の中にある土地」と言う意味で、「まだ、あまり開拓されていない土 地である。」と言う意味も、含んでいます。それで、「豊葦原の中津の国」と言う言葉が使われたのです。
そして、それを「安国と、平らけく知ろしめせと……。」とあります。
この時の「安国」は、「平定された土地」あるいは、「統治された土地」を意味する言葉で、やはり国名そのものではありません。
意訳になって、少し感じが違いますが、「平和に統治することを告知せよと……。」と言うような意味です。
そして、その後に、そこを「豊葦原の水穂の国」と呼んでいます。これは、少し統治され始めたことを意味しています。
大祓祝詞は、少しづつ、物語が進行して行く形式を持っています。 】 とのことです。★ かく言依(ことよ)さし奉(たてまつ)りし 国中(くぬち)に なお荒(あら)ぶる国津神達(くにつかみたち)をば
荒らぶる神を国津神と限定されているのが明快ですね。★ 草々(くさぐさ)の罪事(つみこと)は 天津罪(あまツつみ) 国津罪(くにツつみ) ここだくの罪(つみ)出(いだ)してん ……… かくのごとく 罪(つみ)出(いだ)してば
ここで天津罪・国津罪の個々の罪状を述べる大祓祝詞もあるのですが、それらを言葉に表すということは負の言霊を発するものであるから、言葉に出さないで心の中で唱えるとする播磨古式・大祓祝詞の賢明さが大変納得できるものです。
※ 【播磨陰陽師口伝では、天津罪と国津罪は……祝詞の中にあって、けっして発音されない部分と伝わっています。罪の内容を、声を大にして唱えては、言葉穢《ことばけが》れになるとも伝わっています。ですので、一部の流派では、その部分を大祓祝詞から削除し、あるいは無言か、あるいは小声で唱えるとされています。
しかし、この部分は……播磨陰陽道では……心の中でイメージすることになっています。言葉そのものは、暗記していますが、唱えません。
イメージすることにより……罪、咎、過ちが、どのようなものであるのかを、心に、深く、かみしめるのです。
そして、その時に、自分自身の中にある罪等を、同時にイメージすることになっています。その後、この祝詞の最後の部分で、はや・さすら姫が登場して、そのすべてのさすらいを許され、罪等が、祓われるのです。
ですので、最後の部分で、「すべてが、心の中から開放され、祓われ、清められることを目指して、この大祓祝詞を唱えるのだ……。」と伝わっています。 】………とのことです。
それから、この箇所の罪状の中に、近親相姦と見られる罪状が述べられていますが、それは、
※ 【 母の前で娘を犯す罪と、娘の目の前でその母親を犯す罪のことです。これは、大きな悲しみと厄を生む原因とされています。
それは、太古に、この大祓祝詞がつくられた時、深い罪として認識されていました。これらを簡単に言うと、縄文時代の戦いで、勝者が犯した罪のことを言っているのです。
そして、「生き剥ぎだち」と「死に剥ぎだち」も同じ、深い罪です。これは、身分が体にイレズミされていた時代でしたので……勝者が、敗者の皮膚を剥いで、身分を下げたことを、大きな罪としています。 】 と理解しているとのことです。★ 天(あめ)の御蔭(みかげ) 地(つち)の御蔭(みかげ) 日(ひ)の御蔭(みかげ) 月(つき)の御蔭(みかげ)と隠(かく)りまして 安国(やすくに)とは 平(たいら)けく知(しろ)し召(め)さん
この箇所の前に
★ 皇御孫(すめみま)の命(みこと)の瑞(みづ)の御(みあ)殿(らか) 仕(つか)え奉(まつ)りて とあります
(意訳……天照大神の御子孫として生き生きとした御殿を造営して(―人々をして―)奉仕する)
「隠りまして」は建物の中に隠れ籠もるのではなく、目に見えない背後での働きをいっているようです。古事記に「独神に成りまして身を隠したまひき」などとあります。私たちの自然の背後にあって、天地自然のめぐみや働き、太陽のめぐみ、月の運行や働きなどにおいて、私たちは生かされ、育まれているといえるでしょう。つまり、「おかげ」であり、私たちは、上からの恵みや誰かれの恵みで保護されていることを「お陰をうける」といっていますね。
この箇所は一般的に「天の御蔭、日の御蔭」であり、建物の中に籠もることなどと理解されたりしていますが、
※ 【播磨陰陽師口伝では、伝わった正式なものは、
「天《あめ》の御蔭《みかげ》、地《つち》の御蔭、日《ひ》の御蔭、月《つき》の御蔭。」です。これを「天の御蔭、地の御蔭。」と「日の御蔭、月の御蔭。」の二種類に、分けて使います。
曰く、「神職は、一般に……天の御蔭、地の御蔭を使い……陰陽師は、日の御蔭、月の御蔭を使うとなり。」とありますが、後に、この祝詞が、神職と陰陽師であげるものではなくなり、その時に、「天の御蔭、日の御蔭。」に変化したものと伝わります。
本来、大祓祝詞は、ひとりであげる種類のものではありません。
神職と、陰陽師が、ふたりであげるのを正式としています。】 とのことです。
◆ 特にこの箇所をこのように知り得たとき、播磨古式・大祓祝詞は、真に一子相伝の口伝が伝えられていると確信したものです。太祝詞言とともに………。
◇ こんな歌があります。
天地(あめつち)を 照らす日月(ひつき)の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ
◇ 神様の大御心は、天地日月の心でもあります。★ 天津祝詞(あまつのりと)の太祝詞言(ふとのりとこと)を宣(の)れ
単純に読んでみると「太祝詞言を宣れ」としながら、何も宣らないで、「かく宣らば」とする一般の大祓祝詞はいかがでしょうか。大祓祝詞全体が「太祝詞言」 だとすることには疑問が残ります。
この祝詞の箇所は秘言であり、播磨古式・大祓祝詞のこの箇所は、隠されていた太祝詞ではないかと思っています。
[一部では、「アマテラスオホミカミ」や「ひふみ祝詞」(物部文書等による)《 この祝詞については、次回 ブログ~14 で解説します 》、「トホカミエミタメ」(これはフトマニの占いの時に使用するもので完全に否定されている)などが言われていますが………。]
※ 陰陽師口伝では、【「天津祝詞の太祝詞事(この字は言で良いですが)を宣《の》れ……。」とあります。この「宣れ」は、誰か他の人に対して言っているのです。
この時、正式には……陰陽師が、太祝詞事を宣ります。
つまり、神職が、
「陰陽師に対して……天津祝詞の太祝詞事を宣れ……と宣言するのだ。」と伝わります。
そして、その言葉は、天の岩戸の前で使われた言葉を基本としています。
まづ、「遠神の御霊屋、参り。」と宣言します。
これは、「トオカミのミタマヤ、まいり。」です。
天の岩戸に参ることを意味しています。
そして、 「遠神の恵《え》みため、参る。」と宣言します。
これは、 「天照大神のために、ここに控えて参ります。」と、言うような意味です。 それから、
「ひと、ふた、み、よ……。」と宣《の》り、続いて、「いつ、むゆ、ぬ、なな……。」とします。この時の「ぬ」は「~の」と言う意味で使われます。
そして、
「やぁ。」と、神職が、ヤァと声をあげます。
ひとりでこれを行うときは、そこだけ調子を変えて「やぁ~」と言うように叫ぶことになっています。
そして、最後に、「ことのたり。」と宣言します。
これは、「ことが足りる」と言う意味です。
意訳すると、
「一、二、三、四。(息を吸う)五、六の、七……やぁ。(息を吸う)ことが足りる。 」となり、最後に「おー」とオタケビをあげます。
この時のオタケビは、本殿の扉を開く時に神職があげる「お~」と同じものです。
その「お~」を四回、力をこめて叫びます。
この時は、天の岩戸が開くことをイメージします。これらは総じて、天の岩戸を開ける神事に準じています。
ですので、その次の文章が、
「……かく宣らば、天津神は、天《あめ》の岩戸《いわやと》、押《お》し開《ひら》きて……。」となるのです。】 とのことです。
◆ 一つの理解として、「天の岩戸」とは、心の扉を意味しています。
「私は今、心の扉を開くところです。そのため、心の準備をし、天の数え歌のかけ声とともに心の扉を開きはじめます。そして「おーおーおーおー」と神迎えの 聖音とともに心の扉を開けるのです。そのようにするならば、私たちは、天の岩戸である心の扉を開くことができます。そのとき私たち人の心は、神の心と一体となるのです。……… とでもなるのでしょうか。
◆ ある神秘家の説によると、ここで「天津祝詞の太祝詞事を宣れ」と「太祝詞言」ではなく「太祝詞事」と記されているのは、ここで実践するとよいとする 「天津祝詞の太祝詞事の行」のことを言われているとのことです。それは、一般に公開してはならない秘事といわれることなのですが、現在では、真摯に心より 神を敬い、真理を求める方たちには知ることができるようになっているようです。
一種の呼吸法のようですが、単に超能力を求めるためだけなら、それは本人にとっても、社会にとっても知らない方がよいことでしょう!。
◆ 一般の私たちは、日々にこの大祓祝詞を唱える習慣をつけることで十分でしょう。
※「ひふみ祝詞」については、 次回 ブログ~14 で述べます。★ 国津神(くにツかみ)は高(たか)山(やま)の末(すえ) 短(みじか)山(やま)の末(すえ)に登りまして
[たか山の末 ひき山のすえ]と一般に言われていますが、「短」の漢字が当てられていることから、もともとは「みじか山」と読まれていたようです。★ 高(たか)山(やま)の深霧(いきおり) 短(みじか)山(やま)の深霧(いきおり)を かき分けて聞(きこ)し召(め)さん
[タカ山のイホリ ヒキ山のイホリ]と一般に読まれ、又は「イオリ」「イボリ」とも読まれたりしていますが、意味不明とされながらも「雲や霧」を表すと言われています。
ものの解説本によれば建物の「庵」(イヲリ)をあてて「建物をかき分けて」などと解釈しているものもありますが、理解に?がつきます。
修験道の一部の祝詞に、「息降り」の漢字を当てたものがありました。霧のことなのですが、深山や森の息吹きを表していて適切だと思いました。 以上、「イホリ」より「イキオリ」がすっきりして、よく理解できると思いますが、いかがでしょうか。★ 科戸(しなど)の風(かぜ)の 天(あめ)の八重雲(やえくも)を吹(ふ)き放(はな)つことのごとく
★ 朝(あした)の御霧(みぎり) 夕(ゆうべ)の御霧(みぎり)を 朝風(あさかぜ)夕風(ゆうかぜ)の吹(ふ)き掃(はら)うことのごとく
★ 大津辺(おおつべ)におる大船(おおふね)を 舳(へ) 解(と)き放(はな)ち 艫(とも) 解(と)き放(はな)ちて 大(おお)海(うみ)原 (のはら)に押(おし)放(はな)つことのごとく
★ 彼方(おちかた)の繁木(しげき)が本(もと)を 焼(や)き鎌(がま)の敏鎌(とがま)を持(も)ちて 打(う)ち掃(はら)うことのごとく
この箇所は、祓うことのたとえをいっているのですが、
個人的な見解として「天の八重雲」は、日々の生活からくる、心のにごりや穢れをいい、「朝の御霧 夕の御霧」は悩みごとをいい、
◆ 《この霧には、尊敬をあらわす接頭語の「御」が用いられています。それは、悩みごとや心のにごり、穢れなどは、単に悪いものではなく、それを乗り越えたとき、私たちの心の成長、魂の進化へと導く要素を持つものだからです。ですから、単に祓えばいいということではなく、これを機会にいつも清められた心でなければいけないということでしょう。そのため、悩み事に「御」が用いられているものと理解しています。》
「大津辺におる大船」とは、私たちの肉体にしばられている心をいい、「彼方の繁木」とは、個人がしたものではないが、外からふりかかってくる穢れなどと思って唱えているのですが、皆さんはどう理解されているでしょうか。★ 天津神(あまツかみ) 国津神(くにツかみ) 八百万(やおよろつ)の神(かみ)々(がみ)共(とも)に 諸々(もろもろ) 聞(きこ)し召(め)す ものをぞと宣(の)る
この部分は延喜式の「六月晦大祓」では、宣(のりたまう)とあります。これは、前段最後の「宣れ」と対をなすものと思われます。
播磨陰陽師では、祝詞は「のる」から「のりと」だとします。ですから、この大祓祝詞では、「宣れ」がありますから、「宣る」とする宣命体の方がしっくりするように思われますが、いかがでしょうか。◆ 祝詞とは、「祈りの言葉」であり、「いのり」とは意を宣べることであり、心の中にある願意を口に言い表すのが「祈り」であるといいます。ただぼんやりと思うことには、迷いの念が伴うことがあります。思考をハッキリとした言葉に載せることによって、それは、理路整然とした正しい思想に組み立てられてい くのです。
奏上体は人が神に向かって宣べる場合であり、宣命体は、上の者が下に向かって宣べる場合であり、「神の祈り」でもあります。
私たちが大祓祝詞を唱えるときは
「神もまた自分とともに祈っていて下さっているのだ」
との確信のもとに唱えられてください。
ところで、例えば、天降し言依さし奉りき(たてまつりき)の「奉」は古くは「まつる」とのみ読み、時代が下りて「たてまつる」と読むようになったものといわれておりますので、播磨古式・大祓祝詞は、必ずしも、すべての箇所が古式そのままではなく、改作されている箇所もあると思われます。しかし、同じく 「奉」を「たてまつる」と読む江戸時代の大祓祝詞があるのですが、こちらはすべての「奉」の箇所が「たてまつる」と読まれています。これに対し、古式・大祓祝詞では、「四方の国中と豊葦原の瑞穂の国を安国と定め奉りて」「皇御孫の命の瑞の御殿仕え奉りて」の箇所では「まつりて」と読まれています。このように、この大祓祝詞は、細かい点にいたっても、緻密に漢字の読みがなされ、非常によく出来ている祝詞だと感じています。★ 播磨古式・大祓祝詞は、古式が残っている大祓祝詞だと考えています。
以上、一般的な大祓祝詞(神社本庁が昭和三十一年に改訂・制定した)と播磨古式・大祓祝詞のいくつかのちがい等について述べました。特に一般の大祓祝詞を知っている方にとっては、この祝詞を唱えることに、はじめは違和感が感じられると思いますが、しかし、空んじられるほどになってくると、こちらの祝詞の方が内容もよく理解しやすく、自然な感じになってくるのではないかと思っています。これは公開されており、播磨古式・大祓祝詞を末永く、大切にして、唱えられて、日々親しんでいただければと思います。(^_^)
[ 宗教において、神秘主義は、宗教・宗派を超えて共通のものがあります。また宗教から神秘主義を取り除いたら単なる道徳となるでしょう!!。]