左は画像は、ウォルトディズニーの「ジョニー・アップルシード」 の絵本
右は、1871年発行の『ハーパーズ・ニュー・マンスリー・マガジン』誌掲載のジョニー・アップルシード
ジョニー・アップルシード(リンゴの種)はニックネームで,本当の名はジョン・チャップマンという。背は低く,やせて小心な男だった。 1806 年頃はピッツバーグ近郊のリンゴ園でリンゴの世話をしていた。しかし新天地をめざす男たちの高らかな足音を聞くようになると,自らも西部開拓を夢見て落ち着かなくなった。とはいえ西部は屈強な男たちの世界であり,ひ弱な自分は開拓者という柄ではないとも思う。そこに老人の姿をした天使が現れ,ジョニーに西部へ行くことを命じる。ジョニーは未開の地にリンゴを植えるために,リンゴの種と聖書をもって出発した。ナイフも銃ももたずに西部へ行ったのは彼が初めてだったが,彼は動物を含む土地の住人たちとすぐに仲良しになった。そしてリンゴを植えた。彼はリンゴを植えただけでなく豊かな信仰心と勇気も広めた。 40 年以上西部を歩き回り,次々にリンゴ園をつくっていった。このようにして彼は大西部のすみずみに足を運び,行ったすべての土地を愛と信仰とリンゴの木で満たした。やがて天国からの迎えが来る。この世でもっとリンゴを植えようと思っていた彼は抵抗するが,天国にはこの世以上に仕事があると天使に説得され,二人で天に昇っていく。リンゴの花のように見えるうろこ雲は,ジョニーが切り開いた天国のリンゴ園を表しているにちがいない。
1948 年、このディズニー映画『メロデイー・タイム』によってアップルシード伝説が大衆化されると同時に,スウェーデンボルグという名前も消え,アップルシードは聖書を手にして西部へ出かけたという話になる。しかし、このディズニー映画はそれ以外の点ではアップルシード伝説にかなり忠実なので,原作者がスウェーデンボルジャンとしてのアップルシードを知らなかったはずはない。明らかに意図的にスウェーデンボルグという名前は削除されているのである。おそらくスウェーデンボルグという名前を出すとめんどうな解説が必要になるので,聖書で置きかえたのではないだろうか。とはいえこの映画にはスウェーデンボルグを想起させる部分がいくつかあってたいへん興味深い。
まず第一に,ここで天使が登場するが,それは普通の老人の姿で描かれており羽をもった白衣の天使ではない。これに「奇妙な姿であるが,アップルシードは天使はそういう姿をしていると思っていた」というナレーションがつく。ここは,天使は人間の姿をしており、羽はないというスウェーデンボルグの報告そのままである。第二に,天使が天国にはたくさん仕事があるといってアップルシードを説得する場面。天国にはたくさん仕事がある,天使は忙しく仕事をしているというのもスウェーデンボルグの重要な教えである。なにげない話のようであるが,ここには天界的平安は怠惰な生活によってではなく他者のための役立ちの生活によって得られるというメッセージが隠されている。そして第三に,うろこ雲を天界のリンゴ園の象徴とみなしている部分。これはスウェーデンボルグの宗教思想の重要な概念である相応に関わる。聖書は相応のことばで書かれているとスウェーデンボルグはいう。聖書のことば、一つひとつに文字の意味だけでなく,内的な意味がある。いうなれば聖書に出てくるものはすべてスピリチュアルな何かを表す象徴なのである。神がイスラエルの民を雲の柱で導いたり,人の子が天の雲に乗って来るといわれたり,聖書の中では雲は非常に神聖なものの象徴とされている。スウェーデンボルグによると,雲は神の真理を表す。この映画でも雲をアップルシードの善行を表す美しい象徴として使っているところがなかなかスウェーデンボルグ的なのである。この映画はスウェーデンボルグという名前は削除しているが,スウェーデンボルグのアイデアは生かしているように思われる。そしてそのことがこの映画に深みと詩的味わいをつけ加えているのも確かであろう。
※ リンゴに限らず、果樹の苗木は接ぎ木や、挿し木で栄養繁殖されます。このことによって、親と同一の特性が引き継がれます。種実からの繁殖では、同じ品質のリンゴとはなりません。そのため、アップルシードのリンゴは、甘みもうすく、酸っぱみのあるものでした。ですから直接の生食用ではなく、料理や、保存のきく、発酵アップルサイダー等をつくるためでした。この頃は、次はどこで水が手にはいるか分からない開拓者の長旅に必要な飲用に必要なリンゴだったのです。
※ 「新教会」での紹介では
「西部の辺境に一風変わった新エルサレム教会の伝道者がいる。物質的欠乏や肉体的苦痛はほとんど意に介しない。はだしで歩き,家の内でも外でもどこでも寝ることができ,わずかな粗食を常食とする。実際に彼は,はだしの足で氷を解かす。
彼は新教会の本で手に入るものならなんでも用意し,遠くの開拓地に出かけ,読者がみつかればどこでも本を貸す。そしてしばしば一冊の本をニ・三部に分け(当時の製本は今日とはちがって数ヶ所をひもでとじるようなもので、簡単に分冊にすることができたらしい)より多くの人びとに配布し役立てる。この人物は過去何年もの間,数え切れないほど多くの未開地の(二,三エーカーの)わずかな土地にリンゴの種をまき,苗木を育てるという仕事に従事してきた。これらの仕事は開拓者がやってくるようになると貴重なものになる。そしてすべての利益は,彼のスウェーデンボルグの全著作を発行し合衆国西部の開拓地帯に配布するという目的のために使われるのである」。
アップルシードを讃えた詩
リデイア・マリア・チャイルドの『アップルシード・ジョン』 (1880)
あわれジョニーの腰は二つに折れ曲がった,
長年の労苦と骨折りで。
しかしなお彼は大きい豊かな心で信じていた,
人に思いやりのある行為をしなければならないと。
老ジョニーは言った。…
「わたしのすすむ道がある」。
彼は働いた,いっしょうけんめい働いた,
しかしだれも彼の心に秘めた思いを知らなかった。
彼は仕事の報いに熟れたリンゴを受け取った,
そしてていねいにリンゴの芯を取り出した。
袋をいっぱいにすると出かけていった,
そして幾日もだれも彼を見なかった。…
彼はとがった杖で穴を掘り,
芯をひとつ入れては,
土をかぶせ,立ち去った
太陽と雨と風とにゆだねつつ。
こうして彼は旅を続け,時が過ぎ,
やがて人は彼を老アップルシード・ジョンと呼ぶようになった。
1812 年の戦争のとき(米英戦争は、1812年6月から1815年2月までの期間にイギリス、その植民地であるカナダ及びイギリスと同盟を結んだインディアン諸部族とアメリカ合衆国との間で行われた戦争。米英がカナダ、アメリカ東海岸、アメリカ南部、大西洋、エリー湖及びオンタリオ湖の領土を奪い合い、また両陣営がインディアンに代理戦争をさせたため、北米植民地戦争でもあり、インディアン戦争でもある。)彼はインディアンに攻撃されることなく森を歩きまわることができたので,インディアンの攻撃を察知すると開拓者たちに警告したという。ある月明かりの夜,家から家へと走って開拓者たちにさしせまった虐殺の危機を知らせた。そのときジョニーは次のように言ったという。「主の霊が私にのぞんだ。主は私に油をそそぎ命ぜられた。荒野でラッパを吹き鳴らせ,森で警鐘を鳴らせ。なぜなら,見よ,異教徒の群れがあなたがたの戸口を取り囲み,焼き尽くす炎がその後に続いているからだ」との逸話があります。
また次のような話がある。はだしで毒ヘビだらけの森を歩いで怖くないのですかと聞かれると,にっこり笑っで懐からスウェーデンボルグの著作を取り出し「このお守りがあるからどこでも絶対だいじょうぶですよ」と答えた。彼の博愛主義はここでは、それはスズメバチや馬にまで拡大されている。あるときジョニーは一人の開拓者を助けて道を切り開いていたが,うっかりスズメバチの巣を壊してしまった。怒った一匹のスズメバチがジョニーを繰り返し攻撃し剌そうとしたが,彼はやさしく手で遠ざけるだけで決してスズメバチを殺さなかった。また虐待されている馬を見たり,そのような馬がいると聞くと,彼は馬を買い取り別のやさしい開拓者に無償で譲った。あるいはけがをしたり,年をとって役に立たなくなって捨てられた馬たちがいると,寒くなる前に彼らを集めてえさと避難所を与え,春になって元気になると緑の草地に放した。彼は生き物を殺したり生き物に苦痛を与えたりすることは許されない罪と考えており,食べるために動物を殺すことも決してなかった。
ビジネスについては,アップルシードは果樹園業者であり,リンゴの苗を売ったのであって常に無償で与えたわけではない。しかし値段は安かったし,ぼろぼろの古着と交換することもあった。そして払えない人には無償で与えた。彼の目的は荒野を実り豊かな土地にすることであって利益を得ることではなかった。といわれている。
アップルシードは 1847 年にインデイアナ州アレン・カウンティの開拓者の家を訪ね,そこで亡くなっている。駆けつけた医者がこのように安らかに死を迎える人を見たことがないというほど穏やかな死だったという。
スウェーデンボルグの影響
アップルシードがスウェーデンボルジャンであり、その徹底した博愛の精神をあげることができよう。極端に力強さ,男らしさを強調するアメリカの文化の中で,心優しいアップルシードはまったく異色のアメリカン・ヒーローであった。森で暮らし,インデイアンとも仲良くし,決して生き物を殺さず,ひたすらリンゴの木を植え続けた。これは自分を取り巻く環境すべてと調和して生きるという態度であり,自然を征服するといった考えとは正反対である。
このような生き方は,スウェーデンボルグの宇宙論と深い関わりがあるように思われる。スウェーデンボルグの宇宙論は機械論ではなく有機的システム論である。スウェーデンボルグの表現によれば,創造された宇宙万物は全体として役立ちの体系をなしている。何一つとして他者と無関係に存在しているものはない。たとえ岩石のように一見何の変哲もないものにも役立ちがある。土は岩からできるし,土があるから植物が育ち,植物によって動物が養われ,それらの恩恵を受けて人間が生きている。岩にもちゃんと役立ちがある。また植物は種という最初のかたちから成長し,草や木になり,それが実をつけ,また種を生む。それは永遠に続く過程である。あらゆる植物の成長過程の中に種を産み出すという目的があるが,これもまた役立ちである。同様のことは動物についてもあてはまる。このようにすべてはそれぞれの役立ちを担い,全体として万物は役立ちの体系をなしている。そしてその役立ちの体系の中で,人間は創造の最終の役立ちを担っているという。すなわち万物の中間的役立ちがあって人間という最終の役立ちがある。そしてその役立ちは人間をとおして始原である神に帰っていく。彼によると,そのような役立ちの体系は全体として見るとひとりの人間のかたちをなしているという。すなわち宇宙万物は人間なのである。それは万物の創造者である神が人間だからである。これはまさに神聖なる有機的システム論といえよう。このような見方に立てば,砂の一粒さえ無駄に存在しているわけではない。アップルシードはこのようなエコロジカルな思想の信奉者であったのであり,環境を傷つけない彼の生き方もこのような思想に由来すると考えられるのである。
スウェーデンボルグの影響として,第二に,彼が「天界から届いたばかりのよい知らせ」といってスウェーデンボルグの著作を配布したことに注目したい。つまりアップルシードは霊界が実在することを信じていた。霊界が実在するとはスウェーデンボルグの宗教思想の核心をなす主張のひとつである。人間は肉体という衣服を着た霊魂であり,その衣服を脱ぎ去った後も霊魂は霊界で永遠に生きる。聖書にそう書かれているからというのではなく,それはスウェーデンボルグの霊的体験によって明白な事実なのである。スウェーデンボルグは霊界に自在に行き来したと主張し,その体験にもとづいて膨大な神学著作を残した。霊界が実在するのは,彼にとってはこの世が実在するのと同様に否定できない事実であった。もちろんあらゆる宗教が来世があることを教えているが,それをスウェーデンボルグほどリアルに説いたものはない。アップルシードはこのようなスウェーデンボルグの報告する霊界と永遠の生命を信じていた。だから現世の富と名声には無頓着だった。そして天に宝を積むことができたのである。
スウェーデンボルグの影響の第三は,彼が善を行ったということである。というのは「悪を避け,善をなせ」がスウェーデンボルグのもっとも中心的な教えだったからである。アップルシードはその教えに忠実だった。「悪を避け、善をなせ」はあたりまえと思われるかもしれないが,信仰より善をより根源的なものとする教えは,キリスト教の教えとしては異例といえるだろう。善人は信じる宗教がなんであれ,すべて救われるとスウェーデンボルグは繰り返し述べている。つまり信仰すれば救われるといった宗教を決して説かなかったのである。「信仰のみ」の教義はキリスト教的信仰とはいえないとさえいう。信仰は仁愛とひとつでなけれは本当の信仰とはいえない。スウェーデンボルグによれば信仰は仁愛と,真理は善と,知恵は愛とつねにひとつである。そしてそれらがひとつになっていれば,そこには必ず役立ちがある。「愛と知恵と役立ちはひとつ」こそスウェーデンボルグ神学のエッセンスである。そして人がこの世で行う役立ちは無数にあり,いかなる役立ちを行うかは一人ひとり異なっている。アップルシードにとっては,それはリンゴの木を植えるということだったのであろう。アップルシードは彼なりに,役立ちの生活というスウェーデンボルグの教えを忠実に実践したのであった。
アップルシードを記念して立てられた石碑のひとつには
「彼は他者のために生きた。 He lived for others. 」と刻まれているという。アップルシードの生涯をこれ以上に的確に要約したことばはないであろう。彼はその並外れた善行によって多くのアメリカ人の記憶にとどまっているが,その善行の背後にはスウェーデンボルグの教えがあることを忘れてはならない。
右の写真は、インディアナ州フォートウェインのジョニー・アップルシード公園ににあるアップルシードを記念して立てられた石碑で、
「彼は他者のために生きた。 He lived for others. 」と刻まれています。
引用文献は、以下の通りです。
香川大学経済論叢 第 75 巻第4号 2003 年 3月 93-113
ジョニー・アップルシードの宗教 大賀睦夫
リンカーン大統領の周囲には多数のスウェーデンボルジャンの友人がいました。奴隷解放運動や女性運動のリーダーの多くがスウェーデンボルジャンでした。リンカーンは新教会に出席したりしています。また「アメリカの良心」工マーソンはスウェーデンボルジャンだった。「プラグマティズムの祖」ウィリアム・ジェイムズ,「小説の神様」ヘンリー・ジェイムズ兄弟の父ヘンリー・ジェイムズSr. はスウェーデンボルグについて 12 冊もの本を著したスウェーデンボルジャンでした。
スウェーデンボルグの手紙
──ダルムシュタット伯爵宛──
─前略─ 貴簡に対するご返事は「真の基督教」と題する拙著が出版社から届けられますまで、延ばして居りました。同書二部は、当市よりドイツに向かって毎日出ている駅伝馬車にて閣下に宛ててお送りいたしました。拙著「天界の秘義」は既に売切れ、オランダにても英国にても入手出来なくなって居りますが、スウェーデンには若干あることを知って居りますから、是を所持している人々に手紙を送り、売る意志があるかどうか訪ねましょう。ご返事は回答を受け次第、閣下にいたします。
私が如何にして天使や霊達と交際出来るようになったか、この特権を他の者に移譲することが出来るものかどうか、とのご芳書によるご質問に対し、いかお答えいたします。
救い主なる主は、世に再び来たり給うて新教会を設立し給うことを予告し給いました。主はこの予言を、黙示録21、22の両章並びに、福音書の数ヵ所に与えてい給います。しかしながら、主は子の世界に身自ずから再び来たり給うことは出来ませんから、主はこの事を、新教会の教理を理解する許りでなく、それを著作出版することが出来る一人の人物を用いて成さねばなりませんでした。そして主は、この職のために私を、幼少期より準備し給いましたので、ご自身を親しく僕なる私の前に顕し給い、この職を満たすべく私を遣わし給いました。これは1743年になされました。その後主は私の霊眼を開き給い、私を霊界に導き入れ、天界とその多くの奇異や地獄を視ることを許し、また、天使や霊達と語ることを許し給いました。しかもこの事は27年も続けられています。私はこの事を事実であることを真実を以て公言するものであります。私に関するこの恵みは、前記の新教会の為にのみなされたことでありまして、教理は私の諸著作に含まれております。
霊や天使達と語り合う賜物は、主御自身がその人の霊眼を開き給わなければ、他の者に移譲することは出来ません。時には、一つの霊が一人の人に入って、ある真理を彼に知らせることが許されることがありますが、口と口を以て霊と語ることは許されません。それは非常に危険なことでさえあります。何となれば。霊は、天的愛の情動には一致しない人の自我愛の情動に這入るからであります。
霊に苦しめられるかの人に関しては、それは彼が瞑想に耽ってきた結果であることを天界で学びました。しかしそれにも拘らず、主がを彼を守ってい給いますから、彼が霊に憑かれているのは危険でないことも知りました。彼が癒されるための唯一の道は、彼を回心させ、彼を助け給うよう、救い主たるイエス・キリストの憐憫を求めることだけであります。
1771年、アムステルダムにて
エマヌエル・スウェーデンボルグ
ヘッセ・ダルムシュタット伯爵殿
※ 追加及び修正の予定あり。