「ヤコブの梯子」 ニコラ・ディプレ 15世紀 アヴィニョン プチパレ美術館
「哲学の女神」の胸に持たせ掛けられた梯子について
左のレリーフは、パリ大聖堂、右はラン大聖堂のバラ窓で両方とも九段の梯子で表現されています。
「哲学の女神」の胸にもたせ掛けられた「九段の梯子」について、フルカネリは、『錬金作業において連続して起こる九つの作用のあいだに錬金術師が所持しなくてはならぬ忍耐をあらわす「賢者の梯子」である。』と述べていますが、この「九段の梯子」は「錬金術の鍵」のないはずのラン大聖堂のバラ窓の図像にもありますから、これは、キリスト教の象徴表現と考えられます。
※ このレリーフは、元々ボエティウスの『哲学の慰め』の中の「哲学の女神」の胸にもたれかけた梯子からきていますが、その段数については詳述されていません。
これは、創世記第28章10節からの「ヤコブの梯子」(天使が梯子を上り下りしている)を源とする「天の梯子」であり、「恩寵の梯子」「徳の梯子」です。
創世記第28章10節~
10 さてヤコブはベエルシバを立って、ハランへ向かったが、
11 一つの所に着いた時、日が暮れたので、そこに一夜を過ごし、その所の石を取ってまくらとし、そこに伏して寝た。
12 時に彼は夢をみた。一つのはしごが地の上に立っていて、その頂は天に達し、神の使たちがそれを上り下りしているのを見た。
13 そして主は彼のそばに立って言われた、「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが伏している地を、あなたと子孫とに与えよう。
14 あなたの子孫は地のちりのように多くなって、西、東、北、南にひろがり、地の諸族はあなたと子孫とによって祝福をうけるであろう。
15 わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰るであろう。わたしは決してあなたを捨てず、あなたに語った事を行うであろう」。
16 ヤコブは眠りからさめて言った、「まことに主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった」。
17 そして彼は恐れて言った、「これはなんという恐るべき所だろう。これは神の家である。これは天の門だ」。
18 ヤコブは朝はやく起きて、まくらとしていた石を取り、それを立てて柱とし、その頂に油を注いで、
19 その所の名をベテルと名づけた。その町の名は初めはルズといった。
『聖ベネディクトの戒律』には「そこで、修友たちよ。この世における謙虚な生活を通して、、天の頂きにすばやく到達することを望むならば、ヤコブが夢のうちで『天使が上り下り』するのを見た、あの梯子を立てなければなりません。この上り下りとは、間違いなく高慢によって下り、謙遜によって上ることと理解されます。さて、このように立てられた梯子は、この世で過ごすわたしたちの生活であって心が謙虚になるとき、主はそれを天にまでかけてくださいます。わたしたちの霊肉は梯子の両側とも言え、わたしたちが登る謙遜と規律の諸々の段階が、神の召命によってそこに取り付けられているのです」とあり、二本の枠木について聖ベネディクトは一本を肉、二本目を霊と規定しています。霊と肉に支えられた謙虚の横木を一段一段修道士たちは昇っていかなければならないとして、合計十二段の最高の謙虚の段階を規定しています。
天と地を結ぶこの梯子(階段)は、救済の梯子として既に古代末期のキリスト教の石棺浮彫やカタコンベの壁画としてあらわされ、救済の範例として機能した図像です。
時は203年、皇帝アウグストゥスの時代以降続いた「ローマの平和」も終わり、ローマ帝国支配下のキリスト教徒に暗い命運がのしかかっていた。古代都市カルタゴ貴族の娘ペルペトゥアは、キリスト教に回心し、師サテュルスらとともに殉教した聖女であり、とくに次のようなヴィジョンを語り継いだことで知られる。
彼女は迫害を前にして、早春の地中海の陽光を受けて光り輝く梯子を仰ぎ見ていた。
わたしは、黄金の梯子を見ましたの。とても長い梯子で、天までとどいていました。また、たいへん幅がせまくて、よほど小柄な人でないと登れませんでした。おまけに、この梯子の左右には、鋭くとがった鉄の剣や小刀がとりつけてあって、登っていく人は、横や下を見ることができません。〔・・・・・・〕梯子の下には大きな、おそろしい竜がいますので、こわくて誰も登っていこうとしませんでした。〔・・・・・・〕サテュルスさまは、わたしたちのほうを見おろすと、「竜なんかこわがらずに、平気の平左で登っていらっしゃい」と言われました。
そして、彼女たちは、牢獄から引き出され、両手を後ろ手に縛られて町中を引き回されたあげく、ライオンや豹といった猛獣にかみ殺され、あるいは斬首された。そして、この殉教譚の黄金の梯子ヴィジョンは、のちの梯子の図像展開に大きな影響を与えているのです。(・・・・・・)
この二つの異次元の世界を結ぶ梯子には、おのずと現世つまり物質的・肉体的世界と、来世つまり精神的・霊的世界との対比が前提としてあります。また心身二元論の立場でなくとも、素朴に、この世からあの世へと渡るための仲介物、此岸と彼岸を結ぶ架け橋といった観念が、梯子や橋、さらには網や紐などに託されています。(・・・・・・)
キリスト教に対する迫害と殉教の時代を経て、キリスト教中世の時代に入ると、梯子のイメージは、ヤコブの梯子による天上への上昇、人間の内面的な修練による魂の上昇という道徳的宗教観、さらには宇宙観と結びついて、大きく展開されていったのです。
これら霊的梯子の階段・段階は、文献により、7、12、15、30、33段などいろいろあります。そんな中で、9段階の梯子として解説する文献がW・グレッツェルの『天国にいたる霊的梯子』(1594年)にあります。(下の図)
ベネディクトゥス『戒律』挿絵、1162年頃ヴェルテンベルク州立図書館蔵。
画面中央には、モンテ・カッシーノの修道院を思わせる建物の中でベネディクトゥスが書見台を前に執筆しており、その左下方には、石を枕にして天使の昇り降りする梯子を見上げるヤコブが右腕を枕に横たわっている。中世における夢見の典型的にポーズである。右側では、キリストの戦士である殉教者たちの頭部が各段に並んでいて、下部には、竜(ドラゴン)が大きな口を開けて食らいつき、上部では半円形内にキリストが殉教者たちを守るように手をさしのべている。
※ この本の『戒律』の謙虚の段階は12段の段階で規定されていますが、この挿絵は7(?)段と10段でデザイン化されています。
これらのヤコブの梯子は、人々の救いのために、天から差し伸べられた梯子であり、バベルの塔のように地から天に向かって建てられた梯子ではありません。また翼のある天使が翼を使わず、足を使って昇リ降りしていることが次元の階段・段階を表しているように思われます。
「ジェイコブの夢」 ウィリアム・ブレイク 1805年頃 ロンドン大英博物館
※ ウィリアム・ブレイク──詩人であり、画家でもあったブレイクが産業革命後の社会にありながらも自らの幻想世界を表現している。ブレイクは、しばしば天使の幻視を見て、話しかけられることもあったといいますから、実際にこの詩人が夢見た光景のようです・・・。
※ 中世では階段といえば、その構造上、螺旋階段が普通でしたので、「天の梯子」もまた螺旋階段として表現されたりしていました。
上の図は、12世紀の「逸楽の園」(パリ国立図書館)のなかの「美徳の階段」です。
『 中世芸術の重要な源泉の一つであるオータンのホノリウスは、美徳を地上と天上をつなぐ長い梯子として思い描いている。彼は「ヤコブの夢」(旅の途中、石を枕にして眠ったヤコブは、地から天に達する梯子を天使たちが上がったり下ったりするのを夢に見る。創世記28章)を道徳的な観点から解釈し、梯子の踏み段のそれぞれを一つの美徳とみなし、それを「忍耐」「寛大」「信心」「質素」「謙遜」「現世蔑視」「清貧」「平和」「善意」「霊的歓喜」「忍苦」「信仰」「希望」「穏和」「堅忍」の十五であるとしている。・・・・この挿絵は神秘の梯子を忠実に表現していて、その下端は地面を踏まえ、上端は天空に消えている。そして、この梯子の段上には人類が置かれている。聖職者や世俗の人びとは、地上にいる「悪徳」たちが下から呼びかける中を、苦しみながら一段ずつ昇ってゆく。「怠惰」を象徴する寝台はその疲れを癒やしにくるよう彼らに誘いかけ、「放蕩」は彼らに微笑みかけている。籠に入れられた黄金が、皿に盛られた料理が、馬や楯が、彼らの欲望をかき立てる。幾人かはその誘惑に抗しきれず、彼らが到達した高みから一気に地上へと落下している。しかし、おそらく修道女であろう1人の女性は、何も聞かず何も見ずに、頂上で彼女を待つ王冠に向かって昇ってゆく。これ以上に寓意を劇的に図像化することができただろうか。修道女たちに捧げられたこの挿絵は、その幼い魂を揺さぶり動かしたにちがいない。今日のわれわれもまた、そこに感じられる真摯さに感動せずにいられようか。』
[「ゴシックの図像学(上)」 エミール・マール著より]
鍵のかけられた本について
「哲学の女神」の左手に持つ二冊の開かれた本と鍵のかけられた本について、美術史家は、新約聖書と旧約聖書としていますが、フルカネリは顕教と密教であるとします。
【 密教であり、錬金術の秘密であるとしますが、錬金術の文献は、象徴表現による記述であり、探求者には開かれていますが、単にそれを読んだとしてもわからないようになっていますから、その内容自体すでに、鍵が掛けられているようなものです!。】
※ 中世の時代「神学」を学ぶためには、各学問の総括である「哲学」まで学ばなければ、さらにその上の「神学」を学ぶことは出来ませんでした。ですからこの「鍵の掛けられた本」とは、「神学」をあなたも学ばれるようにという励みなのかも知れません・・・・・・。
上の図は、「最後の審判の入口」のライオン(反キリスト)とドラゴン(悪魔)を踏みつけ、右手で祝福を与え、左手に本を持っている美しき神・キリストの像です。
その持っている本にも封印がされて表現されています。これは、新約聖書(福音書)や「ヨハネの黙示録」にある「生命の書」であるといわれています。「生命の書」は、人の思いと行いを一まとめにしたもので,人生の記録です。そして,その「生命の書」には忠実な人々の名前と,彼らの義にかなった行いが記されているとされています。
※ 中世では、印刷本はなく手書本でしたから、大変高価で貴重なものでした。そこで図書館等では持ち去られないために、鍵がかかり、その場に鎖でつながれていた時代です。
【コラム】②‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
「生命の書」に関して次のことが思い出されました。ヨハネによる福音書の中の「姦淫の女」の箇所です。
朝早くまた宮にはいられると、人々が皆みもとに集まってきたので、イエスはすわって彼らを教えておられた。すると、律法学者たちやパリサイ人たちが、姦淫をしている時につかまえられた女をひっぱってきて、中に立たせた上、イエスに言った、
「先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。
モーセは律法の中で、こういう女を石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか」。
彼らがそう言ったのは、イエスをためして、訴える口実を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いておられた。
彼らが問い続けるので、イエスは身を起して彼らに言われた、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」。
そしてまた身をかがめて、地面に物を書きつづけられた。
これを聞くと、彼らは年寄から始めて、ひとりびとり出て行き、ついに、イエスだけになり、女は中にいたまま残された。
そこでイエスは身を起して女に言われた、「女よ、みんなはどこにいるか。あなたを罰する者はなかったのか」。
女は言った、「主よ、だれもございません」。イエスは言われた、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」。
この中の 「地面に何か書いておられた」は、何を書いていたのでしょうか?
これは、律法学者たちやパリサイ人たちが周りにいて、それらの人々の犯した罪を書かれていたのです。ですからその中に、自分の犯した罪を見て、年寄りからひとりびとり出て行ったのです。これは現在の福音書では、この書かれた事柄について削除されているということです。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥【コラム】②
※ 【作画年代は不明です】
※ レリーフ解説 上下二段に分かれた死後世界が描かれている。上段では、天使たちが、裸体の魂たちを楽園へと導く一方、下段では、悪魔たちが、何やら物騒な拷問器具で悪しき者の魂を大釜に入れて煮たり、鋭利な歯をもつ糸鋸のような道具に載せていたぶっている。そして、不思議にも上下の区画を梯子がつないでいて、その梯子を死者の魂が昇っている・・・・・・。
※ この梯子の八段の横棒は、明快ですが、一番の下部の足を掛けている箇所にも構造上、横棒があるように思われます。トータルとして、九段の梯子と思われます。
ですが、中世において「天使の梯子」が九段として解釈されていたのが一般的だったかは不明です?。
その他いろいろな「天使の梯子の図」
『ムハンマドの梯子の書』 左上「眠るムハンマドを訪れる大天使ガブリエル」 右下「梯子をのぼるムハンマド」 13世紀末 オックスフォード大学ボドリアン図書館蔵。
「天使の指導者」 マイケル・ルーカス・レオポルド・ウィルマン 1691年頃
※ 更新するにあたり、以下の書籍を参照、引用しています。
「西洋美術の歴史3 中世Ⅱ」 木俣元一、小池寿子 著
中央公論新社 2017年発行
※ お知らせ
◎ 「夢解釈!2」の追加・更新が終わっています。(「存在の階梯」の神秘主義的解説その他の内容です)
◎ 「夢解釈!7」の更新はまだ作業中です。
◎ 次回は、ヴィクトル・ユゴーの「ノートルダム・ド・パリ」をメインとした内容となります。