外 の 世 界 を 香 り で 探 る
へレン・ケラー女史とスエーデンボルグ
数年前、再度の日本訪問をされたヘレン・ケラー女史とたまたま、関西で落合われて個人的会合をされた賀川豊彦先生は「女史はスエーデンボルグの哲学に徹した方だ」と、後に感慨深げに述懐されたと聞いているが、今更ここに紹介するまでもなく、同女史は16才の少女時代から今日まで、ス氏の唱道する新教会の真理に心酔して来られた人であることは、女史の「わが宗教」を読めば明らかである。
女史は衆知の如く、生後19箇月目以来、盲・聾・唖者となり、こうして神により、この世の感覚的雑音世界から最も有効的に隔離された第一人者である。世は奸悪と姦智の雑音にわざわいされ、人は純粋な内的真理を把握するのに最も困難な環境に置かれて目明盲となりつつあるとき、ある意味において神は、同女史をこの人類共通の不幸な環境より強制的に救出し給うて、神と宇宙と人生の真理の奥殿に参入せしめ、こうして彼女を内的に啓発し、かの想像も困難な外的不利な条件を克服せしめて、人格、信仰、知識の第一流の人物たらしめたのである。
ス氏の著作は多くの人々に理解し難く思われたり、また、一部の宗教家達には、不可解な神秘主義者の妄語の如くに宣伝されている。しかしそれは、一つには「食わず嫌い」の不勉強と、今一つには、この世の名利に憧れる心に魅力を与える感覚世界の雑音に禍されて、真理を悟るに必要な内的心が閉鎖されているからである。
けわしい不幸な悪条件に在ってス氏教説を知り得たことに無上の幸福をうたい、「(負わされた)制限を克服せしめるわが最強の励し」と、彼女を雄々しくもそのイバラの人生に敢闘せしめているこの教えを、我等は偏見を去って学ぶべきではなかろうか。
新教会 新教会教説普及号 第八号 鳥田四郎主筆 1954年3月発行より
【コラム】⑨‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
ヘレン・ケラー女史は高級天使でした。
天界の輪廻転生に縛られない天界の天使が居られました。私たちのこの世の世界に生まれて、自身の修行と私たちに生き方を教えたいとのことで、この世への誕生を強く望んでいました。しかし、天使仲間では、その労苦は大変なので、反対されていました。ですが、この世での身の回りの人達の準備が、仲間の天使達により行われたとき、神より許しをえて、この世に誕生されたのでした。ですから、この世での身の回りの人達の一部は、天使達なのでした。
そして、ケラー女史は、どんな境涯にあっても、誰においても、この世ではすべての人には、それぞれの役目があり、そのことで生きて生きなさいと、自身もそのような人生を生きていき、それを私たちに示していったのでした。そして、その最も中心の教えがスウェーデンボルグの教説だったのです。※ これは、tanasueの一人ごとです!
※ 以下の聖句の解釈は、本ブログ
[『視霊者の夢』の夢解釈! エピローグ ]のスウェーデンボルグの教説の最終結論の時に解説します。
さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。
弟子たちがイエスに尋ねた。「先生、この人が生まれつき目が見えないのは、誰が罪を犯したからですか。本人ですか。それとも両親ですか。」
イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。 私たちは、私をお遣わしになった方の業を、昼の間に行わねばならない。誰も働くことのできない夜が来る。 私は、世にいる間、世の光である。」
こう言ってから、イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。そして、「シロアム──『遣わされた者』という意味──の池に行って洗いなさい」と言われた。そこで、彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た。 近所の人々や、彼が物乞いをしていたのを前に見ていた人々が、「これは、座って物乞いをしていた人ではないか」と言った。 「その人だ」と言う者もいれば、「いや違う。似ているだけだ」と言う者もいた。本人は、「わたしがそうなのです」と言った。 そこで人々が、「では、お前の目はどのようにして開いたのか」と言うと、 彼は答えた。「イエスという方が、土をこねてわたしの目に塗り、『シロアムに行って洗いなさい』と言われました。そこで、行って洗ったら、見えるようになったのです。」
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥⑨【コラム】
旧 約 聖 書 第 一 章 (口語訳)
※ 上段は一般の口語訳で、下段の★印の文が
スウェーデンボルグ関連の訳文です。
第 1 章
1 はじめに神は天と地とを創造された。
★ はじめに神は、天と地とを創造された。2 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
★ 地はうつろで、むなしく、闇が淵の面にあり、神の霊が水の表面を動いていた。3 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
★ 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。4 神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。
★ 神は光を見て、善しとされた。神は、その光と暗闇とのあいだを分けられた。5 神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。
★ 神は光を昼と名づけ、暗闇を夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。一日である。6 神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」。
★ 神はまた言われた、「水の真中に広がりが生じ、水と水とを分けよ」と。7 そのようになった。神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。
★ こうして神は広がりを造られた。広がりの下にある水と、広がりの上にある水とを分離されると、そうなった。8 神はそのおおぞらを天と名づけられた。夕となり、また朝となった。第二日である。
★ 神は、その広がりを天caelumと名づけられた。夕となり、また朝となった。第二日である。9 神はまた言われた、「天の下の水は一つ所に集まり、かわいた地が現れよ」。そのようになった。
★ 神はまた言われた、「天の下の水は一つ所に集まり、乾いた地が現れよ」と。そのようになった。10 神はそのかわいた地を陸と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神は見て、良しとされた。
★ 神は、その乾いた所を地 terra と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神は見て、善しとされた。11 神はまた言われた、「地は青草と、種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ果樹とを地の上にはえさせよ」。そのようになった。
★ 神はまた言われた、「地は青草と、タネをもつ草と、種類にしたがってタネのある実を結ぶ果樹とを、地上に生えさせよ」と。そのようになった。12 地は青草と、種類にしたがって種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ木とをはえさせた。神は見て、良しとされた。
★ 地は青草と、種類にしたがってタネをもつ草と、種類にしたがってタネのある実を結ぶ木とを生えさせた。神は見て、善しとされた13 夕となり、また朝となった。第三日である。
★ 夕となり、また朝となった。第三日である。14 神はまた言われた、「天のおおぞらに光があって昼と夜とを分け、しるしのため、季節のため、日のため、年のためになり、
★ 神はまた言われた、「天の広がりに光明があって、昼と夜とを分け、しるしのため、季節のため、日のため、年のため、15 天のおおぞらにあって地を照らす光となれ」。そのようになった。
★ また地の表を照らすため、天の広がりにある光明となれ」と。そのようになった。16 神は二つの大きな光を造り、大きい光に昼をつかさどらせ、小さい光に夜をつかさどらせ、また星を造られた。
★ 神は二つの大きな光明を造り、大きい光明に昼をつかさどらせ、小さい光明に夜をつかさどらせ、また星々を造られた。17 神はこれらを天のおおぞらに置いて地を照らさせ、
★ 神はこれらを天の広がりに置かれたが、それは地を照らさせ、18 昼と夜とをつかさどらせ、光とやみとを分けさせられた。神は見て、良しとされた。
★ 昼と夜とをつかさどらせ、光と暗闇とを分けさせるためであった。神は見て、善しとされた。
19 夕となり、また朝となった。第四日である。
★ 夕となり、また朝となった。第四日である。20 神はまた言われた、「水は生き物の群れで満ち、鳥は地の上、天のおおぞらを飛べ」。
★ 神はまた言われた、「水は、這うもの、有魂生物 animavivens で満ち、トリは地の上、天の広がりの面を飛べ」。21 神は海の大いなる獣と、水に群がるすべての動く生き物とを、種類にしたがって創造し、また翼のあるすべての鳥を、種類にしたがって創造された。神は見て、良しとされた。
★ 神は、大型海獣と、水の中を這わせる有魂生物とを、種類にしたがって創造し、また翼のあるすべてのトリを、種類にしたがって創造された。神は見て、善しとされた。22 神はこれらを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、海たる水に満ちよ、また鳥は地にふえよ」。
★ 神はこれらを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、海の水に満ちよ、トリは地にふえよ」と。
23 夕となり、また朝となった。第五日である。
★ 夕となり、また朝となった。第五日である。24 神はまた言われた、「地は生き物を種類にしたがっていだせ。家畜と、這うものと、地の獣とを種類にしたがっていだせ」。そのようになった。
★ 神はまた言われた、「地は、有魂生物を、その種類にしたがって生み出せ。家畜と、這うものと、地のケモノとを、その種類にしたがって生み出せ」と。そのようになった。25 神は地の獣を種類にしたがい、家畜を種類にしたがい、また地に這うすべての物を種類にしたがって造られた。神は見て、良しとされた。
★ 神は、その種類にしたがって地のケモノを造られ、その種類にしたがって家畜を造られ、その種類にしたがって這うもののすべてを造られた。神は見て、それを善しとされた。26 神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。
★ 神はまた言われた、「われわれにかたどりinimaginemNostram、われわれに似せてsecundum similitudinemNostram、人を造ろう。そしてこれに海のウオと、空のトリと、家畜と、地のすべてのケモノと、すべての地と、地上を這うすべての物とを治めさせよう」と。27 神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。
★ 神はご自分の像として人を創造された。すなわち神の像としてinimaginemDei創造し、男と女とに造られた。28 神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。
★ 神はかれらを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海のウオと、空のトリと、地上を這うすべての生き物とを治めよ」。29 神はまた言われた、「わたしは全地のおもてにある種をもつすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。これはあなたがたの食物となるであろう。
★ 神はまた言われた、「見よ、わたしは全地のおもてにあるタネをもつすべての草と、タネのある実を結ぶすべての木とを、あなたがたに与える。樹木が生み出すタネは、あなたがたの食物となるであろう。30 また地のすべての獣、空のすべての鳥、地を這うすべてのもの、すなわち命あるものには、食物としてすべての青草を与える」。そのようになった。
★ また地のすべてのケモノ、空のすべてのトリ、地を這うすべての物、すなわち有魂生物には、すべての青草を食物として与える」と。そのようになった。31 神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。夕となり、また朝となった。第六日である。
★ 神は、造られたすべての物を見られたが、見よ、それは、はなはだ善かった。夕となり、また朝となった。第六日である。
※ 違いの大きな訳文の解説
1 はじめに神は、天と地とを創造された。
この「神」は、エローヒムであり、エルという神の複数形です。一般的には尊厳を表す複数形とされていますが、各人に対する創造の業、即ち人間の新生・再生は、天使達による創造の業でもあるため、複数形で表現されているとされています。言い換えれば、〔はじめに神々は、天(複数)と地を創造した。〕とでもなるのかな?
また、この「天」は複数形です。英語では heavens となっています。3層構造に成っているとの理解がありました。
「これから読む聖書 創世記 」橋爪大三郎著 春秋社より
※ 人間の新生・再生は、神(主)により直接行われるのではなく、人の背後の霊人、天使を通じて行われるためです。
5 神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。
ヘブライ語原典では、1日目に限って、序数(the first day)ではなく基数(one day)で表記されています。 〔岩波書店「創世記」(月本昭男訳)では「一日である」として、正確に訳している〕
創造の最初の日は「第一日」ではなく「一日」が正しく、それは、第一の状態は、人間の一生の中で有るか無いかの繰り返しの状態であり、それ以降の段階には殆どの人が進むことがなく、この一日目は凡ての人の新生の初めであり、その状態・段階からと思われます。〔これは意図的な表現と思われます。(創造の1日目は、まだそれ以降の日は存在していないのだから…………フリードマンの説)〕※ 再生しつつある者の凡てが第六の状態へと達するわけではない。現今大半の者は単に第一の状態に達するに過ぎず、若干の者は第二の状態にのみ達し、他は第三、第四、第五の状態に達し、僅かな者しか第六の状態に達しておらず、第七の状態には、殆ど何人も到達していないのです。 「天界の秘儀」より
6 神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」。
この「おおぞら」は、もともと「ひろがり」と訳すべきところを現在は「おおぞら」 と訳されているのです。 英語では、 expanse であり、また firmament (文語表現で、丸天上とみなした) 天空、大空であり、 sky ではありません。
※ 編集作業中です。
本書は,旧約聖書のヘブライ語原典と日本語逐語訳を並べたインターリニアの対訳聖書です.すなわち,原典の一語一語の下に日本語カナ式発音と逐語訳を付け,適宜に脚注をもって補い,さらに日本語聖書として「新共同訳」を本文欄外に載せました。【省略し、別に記載する】 本書の編集方針は,読者としていわゆる専門研究者というより,一般の平信徒ならびに聖書を愛読する社会人を対象としました.したがって次の諸点に留意して,本書をご利用ください.
1.本文 ヘブライ語の本文は,『ビブリア・ヘブライカ・シュトットガルテンシアBIBLIA HEBRAICA STUTTGARTENSIA』(ドイツ聖書協会)を使用しました.BHSと略称されるこの本文は、底本にレニングラード写本を用い、旧約聖書の本文として信頼性の高いものです。本文中に写本の違いで他の聖書と異なる箇所がありますが、それは極めて稀ですし、原文テキストの校訂が本書のテーマではありませんので、その異同について言及することは割愛しました。
2.語順 ヘブライ語は,アラビア語と同じセム語族に属し、文字を右から左に綴ります。本文中は,日本語もそれにならって右から左に書くことに統一しました。(ただし脚注は通常通り、左から右に書きました)最初は読みづらいと思われるでしょうが、元来日本語もそのように綴られていたのですから、しばらくの時間我慢していただければ、慣れることができるでしょう。3.発音 初学者でもヘブライ語原典を自分なりに読めるように、日本語カナ式発音表示を付けました。もちろん,正確な意味では日本語のカナで外国語の発音を表記することは不可能ですが、ヘブライ語の原典になじみ,やがて興味を持った場合の朗読の手がかりとして設けました。読み方は、イスラエル国営放送の聖書朗読者の発音に準拠しました。(更に詳しくは、本書の「発音について」を参照のこと)
4.訳語 訳語は、限られたスペースの中で、簡明に原語の意味がくめるよう、直訳に近い語義を選び、しかも全体として日本語として読みやすいように工夫しました。原語一語に対して訳語一語を対応させました。しかし、原語のニュアンスを一つの訳語に限定するのは無理な場合があります。したがって、本書の訳語が唯一で決定的なものと断定するものではなく、ほかにも可能性があることは申すまでもありません。適宜に脚注に「別訳」として掲げましたので、御参照下さい。また、同一の原語はなるべく同一の訳語を付けることにしましたが、必ずしもこの原則を機械的に守ったわけではありません。
5.文法 訳語の下に,簡単な文法的説明を付けました。【画像編集時削除しましたが、一部のページには残しています。】