tanasuexの部屋

〈宗教の生命は、善をなすことである〉

『 視霊者の夢 』の夢解釈 ! ~4

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                       外 の 世 界 を 香 り で 探 る

へレン・ケラー女史とスエーデンボルグ
 数年前、再度の日本訪問をされたヘレン・ケラー女史とたまたま、関西で落合われて個人的会合をされた賀川豊彦先生は「女史はスエーデンボルグの哲学に徹した方だ」と、後に感慨深げに述懐されたと聞いているが、今更ここに紹介するまでもなく、同女史は16才の少女時代から今日まで、ス氏の唱道する新教会の真理に心酔して来られた人であることは、女史の「わが宗教」を読めば明らかである。
 女史は衆知の如く、生後19箇月目以来、盲・聾・唖者となり、こうして神により、この世の感覚的雑音世界から最も有効的に隔離された第一人者である。世は奸悪と姦智の雑音にわざわいされ、人は純粋な内的真理を把握するのに最も困難な環境に置かれて目明盲となりつつあるとき、ある意味において神は、同女史をこの人類共通の不幸な環境より強制的に救出し給うて、神と宇宙と人生の真理の奥殿に参入せしめ、こうして彼女を内的に啓発し、かの想像も困難な外的不利な条件を克服せしめて、人格、信仰、知識の第一流の人物たらしめたのである。
 ス氏の著作は多くの人々に理解し難く思われたり、また、一部の宗教家達には、不可解な神秘主義者の妄語の如くに宣伝されている。しかしそれは、一つには「食わず嫌い」の不勉強と、今一つには、この世の名利に憧れる心に魅力を与える感覚世界の雑音に禍されて、真理を悟るに必要な内的心が閉鎖されているからである。
 けわしい不幸な悪条件に在ってス氏教説を知り得たことに無上の幸福をうたい、「(負わされた)制限を克服せしめるわが最強の励し」と、彼女を雄々しくもそのイバラの人生に敢闘せしめているこの教えを、我等は偏見を去って学ぶべきではなかろうか。

      新教会 新教会教説普及号 第八号 鳥田四郎主筆  1954年3月発行より 

 

 【コラム】⑨‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥             

      ヘレン・ケラー女史は高級天使でした。

 天界の輪廻転生に縛られない天界の天使が居られました。私たちのこの世の世界に生まれて、自身の修行と私たちに生き方を教えたいとのことで、この世への誕生を強く望んでいました。しかし、天使仲間では、その労苦は大変なので、反対されていました。ですが、この世での身の回りの人達の準備が、仲間の天使達により行われたとき、神より許しをえて、この世に誕生されたのでした。ですから、この世での身の回りの人達の一部は、天使達なのでした。

 そして、ケラー女史は、どんな境涯にあっても、誰においても、この世ではすべての人には、それぞれの役目があり、そのことで生きて生きなさいと、自身もそのような人生を生きていき、それを私たちに示していったのでした。そして、その最も中心の教えがスウェーデンボルグの教説だったのです。※ これは、tanasueの一人ごとです!

 

  ※ 以下の聖句の解釈は、本ブログ

  [『視霊者の夢』の夢解釈! エピローグ ]スウェーデンボルグの教説の最終結論の時に解説します。

            ヨハネ福音書 第9章1節~12節             

   さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。
弟子たちがイエスに尋ねた。「先生、この人が生まれつき目が見えないのは、誰が罪を犯したからですか。本人ですか。それとも両親ですか。」
  イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。 私たちは、私をお遣わしになった方の業を、昼の間に行わねばならない。誰も働くことのできない夜が来る。 私は、世にいる間、世の光である。」
  こう言ってから、イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。そして、「シロアム──『遣わされた者』という意味──の池に行って洗いなさい」と言われた。そこで、彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た。 近所の人々や、彼が物乞いをしていたのを前に見ていた人々が、「これは、座って物乞いをしていた人ではないか」と言った。 「その人だ」と言う者もいれば、「いや違う。似ているだけだ」と言う者もいた。本人は、「わたしがそうなのです」と言った。  そこで人々が、「では、お前の目はどのようにして開いたのか」と言うと、  彼は答えた。「イエスという方が、土をこねてわたしの目に塗り、『シロアムに行って洗いなさい』と言われました。そこで、行って洗ったら、見えるようになったのです。」

 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥⑨【コラム】

 

             

      旧 約 聖 書 第 一 章 (口語訳)         

      ※ 上段は一般の口語訳で、下段の★印の文が

            スウェーデンボルグ関連の訳文です。

 

第 1 章

はじめに神は天と地とを創造された。
★ はじめに神は、天と地とを創造された。

地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
 地はうつろで、むなしく、闇が淵の面にあり、神の霊が水の表面を動いていた。

神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。

神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。
 神は光を見て、善しとされた。神は、その光と暗闇とのあいだを分けられた。

神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。
神は光を昼と名づけ、暗闇を夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。一日である。  

神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」。
★ 神はまた言われた、「水の真中に広がりが生じ、水と水とを分けよ」と。

そのようになった。神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。
★ こうして神は広がりを造られた。広がりの下にある水と、広がりの上にある水とを分離されると、そうなった。

神はそのおおぞらを天と名づけられた。夕となり、また朝となった。第二日である。
 神は、その広がりを天caelumと名づけられた。夕となり、また朝となった。第二日である。

神はまた言われた、「天の下の水は一つ所に集まり、かわいた地が現れよ」。そのようになった。
★ 神はまた言われた、「天の下の水は一つ所に集まり、乾いた地が現れよ」と。そのようになった。

10 神はそのかわいた地を陸と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神は見て、良しとされた。
★ 神は、その乾いた所を地 terra と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神は見て、善しとされた。

11 神はまた言われた、「地は青草と、種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ果樹とを地の上にはえさせよ」。そのようになった。
★ 神はまた言われた、「地は青草と、タネをもつ草と、種類にしたがってタネのある実を結ぶ果樹とを、地上に生えさせよ」と。そのようになった。

12 地は青草と、種類にしたがって種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ木とをはえさせた。神は見て、良しとされた。
★ 地は青草と、種類にしたがってタネをもつ草と、種類にしたがってタネのある実を結ぶ木とを生えさせた。神は見て、善しとされた

13 夕となり、また朝となった。第三日である。
★ 夕となり、また朝となった。第三日である。

14 神はまた言われた、「天のおおぞらに光があって昼と夜とを分け、しるしのため、季節のため、日のため、年のためになり、
★ 神はまた言われた、「天の広がりに光明があって、昼と夜とを分け、しるしのため、季節のため、日のため、年のため、

15 天のおおぞらにあって地を照らす光となれ」。そのようになった。
★ また地の表を照らすため、天の広がりにある光明となれ」と。そのようになった。

16 神は二つの大きな光を造り、大きい光に昼をつかさどらせ、小さい光に夜をつかさどらせ、また星を造られた。
★ 神は二つの大きな光明を造り、大きい光明に昼をつかさどらせ、小さい光明に夜をつかさどらせ、また星々を造られた。

17 神はこれらを天のおおぞらに置いて地を照らさせ、
★ 神はこれらを天の広がりに置かれたが、それは地を照らさせ、

18 昼と夜とをつかさどらせ、光とやみとを分けさせられた。神は見て、良しとされた。
★ 昼と夜とをつかさどらせ、光と暗闇とを分けさせるためであった。神は見て、善

しとされた。

19 夕となり、また朝となった。第四日である。
★ 夕となり、また朝となった。第四日である。

20 神はまた言われた、「水は生き物の群れで満ち、鳥は地の上、天のおおぞらを飛べ」。
★ 神はまた言われた、「水は、這うもの、有魂生物 animavivens で満ち、トリは地の上、天の広がりの面を飛べ」。

21 神は海の大いなる獣と、水に群がるすべての動く生き物とを、種類にしたがって創造し、また翼のあるすべての鳥を、種類にしたがって創造された。神は見て、良しとされた。
★ 神は、大型海獣と、水の中を這わせる有魂生物とを、種類にしたがって創造し、また翼のあるすべてのトリを、種類にしたがって創造された。神は見て、善しとされた。

22 神はこれらを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、海たる水に満ちよ、また鳥は地にふえよ」。 

 ★  神はこれらを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、海の水に満ちよ、トリは地にふえよ」と。

23 夕となり、また朝となった。第五日である。
 ★ 夕となり、また朝となった。第五日である。

24 神はまた言われた、「地は生き物を種類にしたがっていだせ。家畜と、這うものと、地の獣とを種類にしたがっていだせ」。そのようになった。
★  神はまた言われた、「地は、有魂生物を、その種類にしたがって生み出せ。家畜と、這うものと、地のケモノとを、その種類にしたがって生み出せ」と。そのようになった。

25 神は地の獣を種類にしたがい、家畜を種類にしたがい、また地に這うすべての物を種類にしたがって造られた。神は見て、良しとされた。
★  神は、その種類にしたがって地のケモノを造られ、その種類にしたがって家畜を造られ、その種類にしたがって這うもののすべてを造られた。神は見て、それを善しとされた。

26 神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。
★ 神はまた言われた、「われわれにかたどりinimaginemNostram、われわれに似せてsecundum similitudinemNostram、人を造ろう。そしてこれに海のウオと、空のトリと、家畜と、地のすべてのケモノと、すべての地と、地上を這うすべての物とを治めさせよう」と。

27 神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。
神はご自分の像として人を創造された。すなわち神の像としてinimaginemDei創造し、男と女とに造られた。

28 神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。
★ 神はかれらを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海のウオと、空のトリと、地上を這うすべての生き物とを治めよ」。

29 神はまた言われた、「わたしは全地のおもてにある種をもつすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。これはあなたがたの食物となるであろう。
★  神はまた言われた、「見よ、わたしは全地のおもてにあるタネをもつすべての草と、タネのある実を結ぶすべての木とを、あなたがたに与える。樹木が生み出すタネは、あなたがたの食物となるであろう。

30 また地のすべての獣、空のすべての鳥、地を這うすべてのもの、すなわち命あるものには、食物としてすべての青草を与える」。そのようになった。
★ また地のすべてのケモノ、空のすべてのトリ、地を這うすべての物、すなわち有魂生物には、すべての青草を食物として与える」と。そのようになった。

31 神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。夕となり、また朝となった。第六日である。
★ 神は、造られたすべての物を見られたが、見よ、それは、はなはだ善かった。夕となり、また朝となった。第六日である。

        

     ※ 違いの大きな訳文の解説        

1 はじめに神は、天と地とを創造された。

 この「神」は、エローヒムであり、エルという神の複数形です。一般的には尊厳を表す複数形とされていますが、各人に対する創造の業、即ち人間の新生・再生は、天使達による創造の業でもあるため、複数形で表現されているとされています。言い換えれば、〔はじめに神々は、天(複数)と地を創造した。〕とでもなるのかな?

また、この「天」は複数形です。英語では heavens となっています。3層構造に成っているとの理解がありました。

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          「これから読む聖書 創世記 」橋爪大三郎著 春秋社より

※ 人間の新生・再生は、神(主)により直接行われるのではなく、人の背後の霊人、天使を通じて行われるためです。

神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。

  ヘブライ語原典では、1日目に限って、序数(the first day)ではなく基数(one day)で表記されています。 〔岩波書店「創世記」(月本昭男訳)では「一日である」として、正確に訳している〕
 創造の最初の日は「第一日」ではなく「一日」が正しく、それは、第一の状態は、人間の一生の中で有るか無いかの繰り返しの状態であり、それ以降の段階には殆どの人が進むことがなく、この一日目は凡ての人の新生の初めであり、その状態・段階からと思われます。〔これは意図的な表現と思われます。(創造の1日目は、まだそれ以降の日は存在していないのだから…………フリードマンの説)〕

※ 再生しつつある者の凡てが第六の状態へと達するわけではない。現今大半の者は単に第一の状態に達するに過ぎず、若干の者は第二の状態にのみ達し、他は第三、第四、第五の状態に達し、僅かな者しか第六の状態に達しておらず、第七の状態には、殆ど何人も到達していないのです。  「天界の秘儀」より

神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」。 

この「おおぞら」は、もともと「ひろがり」と訳すべきところを現在は「おおぞら」 と訳されているのです。 英語では、 expanse であり、また firmament (文語表現で、丸天上とみなした)  天空、大空であり、 sky ではありません。

  ※ 編集作業中です。

                                   

      創 世 記 Ⅰ (1)  〔1・1~18〕          

      ヘブライ語聖書対訳シリーズ 1 ミルトス・ヘブライ文化研究所編

   本書は,旧約聖書ヘブライ語原典と日本語逐語訳を並べたインターリニアの対訳聖書です.すなわち,原典の一語一語の下に日本語カナ式発音と逐語訳を付け,適宜に脚注をもって補い,さらに日本語聖書として「新共同訳」を本文欄外に載せました。【省略し、別に記載する】 本書の編集方針は,読者としていわゆる専門研究者というより,一般の平信徒ならびに聖書を愛読する社会人を対象としました.したがって次の諸点に留意して,本書をご利用ください.
1.本文 ヘブライ語の本文は,『ビブリア・ヘブライカ・シュトットガルテンシアBIBLIA HEBRAICA STUTTGARTENSIA』(ドイツ聖書協会)を使用しました.BHSと略称されるこの本文は、底本にレニングラード写本を用い、旧約聖書の本文として信頼性の高いものです。本文中に写本の違いで他の聖書と異なる箇所がありますが、それは極めて稀ですし、原文テキストの校訂が本書のテーマではありませんので、その異同について言及することは割愛しました。
2.語順 ヘブライ語は,アラビア語と同じセム語族に属し、文字を右から左に綴ります。本文中は,日本語もそれにならって右から左に書くことに統一しました。(ただし脚注は通常通り、左から右に書きました)最初は読みづらいと思われるでしょうが、元来日本語もそのように綴られていたのですから、しばらくの時間我慢していただければ、慣れることができるでしょう。

3.発音 初学者でもヘブライ語原典を自分なりに読めるように、日本語カナ式発音表示を付けました。もちろん,正確な意味では日本語のカナで外国語の発音を表記することは不可能ですが、ヘブライ語の原典になじみ,やがて興味を持った場合の朗読の手がかりとして設けました。読み方は、イスラエル国営放送の聖書朗読者の発音に準拠しました。(更に詳しくは、本書の「発音について」を参照のこと)
4.訳語 訳語は、限られたスペースの中で、簡明に原語の意味がくめるよう、直訳に近い語義を選び、しかも全体として日本語として読みやすいように工夫しました。原語一語に対して訳語一語を対応させました。しかし、原語のニュアンスを一つの訳語に限定するのは無理な場合があります。したがって、本書の訳語が唯一で決定的なものと断定するものではなく、ほかにも可能性があることは申すまでもありません。適宜に脚注に「別訳」として掲げましたので、御参照下さい。また、同一の原語はなるべく同一の訳語を付けることにしましたが、必ずしもこの原則を機械的に守ったわけではありません。
5.文法 訳語の下に,簡単な文法的説明を付けました。【画像編集時削除しましたが、一部のページには残しています。】

 

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『 視霊者の夢 』の夢解釈 ! ~3

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 『ビブリア・ヘブライカ・シュトットガルテンシア

                                              BIBLIA HEBRAICA STUTTGARTENSIA』(ドイツ聖書協会)

 

創世記の天地創造物語をヘブライ語原典を交えて解説していきます。

スウェーデンボルグの聖句の翻訳は、霊的・内的意義のために、通常の翻訳された旧約聖書では、つまずきとなるからです。

 

                  スウェーデンボルグ研究誌 新  教  会  機関誌 創刊号 

                                                   鳥 田 四 郎 主筆  1953年8月発行より

   スウェーデンボルグは、第一巻の冒頭に、大要次のようなことを述べています。
聖言が主の聖言であり、主より出でたものであるなら、それは全体としても又部分としても、そこに主のこと、天界や教会のこと、信仰問題等が説かれているはずであるにも拘わらず、聖言の内的意義である霊義が知られていなかったからである。人間の肉体を活かしているものは霊であって、両者が分離せられれば、死あるのみである。その様に、聖言の文字的外的意義は、その背後に隠されている生命そのものなる主を証している霊的意義から分離することは出来ない。この聖言の霊的意義を世に伝えるために、ス氏は主の憐憫を受けて召され、絶えず霊や天人達と語り合い、未だ人の知識や想念に浮かべられたこともなかった霊界の驚異を見聞することを許され、また忠信な者の祝福された状態である天界や、不信な者の不幸な状態である地獄について教えられて来たのである、と。

創世記第一章は誰が読んでも天地創造の物語としか理解出来ない。ところがス氏はこれを以て、人間が霊的に誕生する諸階程を説いているものとするのである。
即ち、本来人間は神に造られ、支配され、保護され、導かれているものであるから、自らの立場を知って、神に対して謙虚と従順を以てし、凡てにおいて神に栄えを帰すべきものであるにも拘わらず、現実の人間の状態は神の存在さえ認めない有様である。この様に神から離れて失われた状態にある人間が、神に対する目覚めを与えられ、次第に正しい理解(信仰)に導かれ、内なる心の相と共に外なる生活態度も改革され、かくして、単に理解や思考の方面ばかりでなく、その内なる意義までも改善され、地(人)には多くの生物(良き実)を生じて、神ご自身その業に満足し給い(六日目)、最後に人の心のうちにて罪と戦い給う神が休み給い(七日目)、その結果、人は罪の奴隷たる様より解放され、ついに自由と平和とを宿して安息を獲る。これが第一章から第二章第3節までの内的意義である。
もちろん第一章を文字的意義による理解に限定しても、我らはそこにキリスト教神観中最重要な創造者になる神信仰の理解や、また、神話的表現であるがすでに数千年前、現代の進歩した自然科学による地球発達史と驚くべき一致をみる創造段階の記事がなされたことを思うだけでも聖言の価値を充分認識し得るであろう。しかしながら、物質世界創造記事の背後に、人間の霊魂の創造記事をその内義として有していることを理解するとき、聖言の永遠的価値認識を一段と深められるのである。何となれば物質世界は過ぎゆくものであるが善や真理、愛や信仰の問題を内容とした霊の世界は永遠であるからである。それ故ス氏は、聖言は唯にこの世界で読まれるばかりでなく、霊界においても読まれ、そしてそこでは霊的意義において理解されるというのである。主は「我が語りし言葉は、霊なり生命なり」(ヨハネ6・63)と言われたが、聖言を覆うている物質的、内的関連の衣をはく奪された形において理解するとき、聖言は時間と空間とを超越した永遠普遍の真理の言葉となるので、この意味において聖言はこの世においてばかりでなく、来たるべき霊の世界においても読まれ、理解されることが肯かれるのである。

  

鳥田四郎氏の機関誌の聖書本文は、文語訳で解説していますが、取りあえずその原文のまま掲載していきます。後で、スウェーデンボルグの英訳原文の翻訳書から解釈・解説するときは、口語訳聖書で解説していきます。
(文語訳の聖書は、明治訳とも言われ昭和30年に口語訳が出るまで、親しまれていました。)

 

 本『創世記霊解』は、もっとも忠実な客観的紹介でなく、私自身の主観的理解による
紹介で自由な解釈をしている所も多いと思いますから、あらかじめご了承下さい。

『 創 世 記 霊 解 (1) 』 

第 1 章
 創造第一日(創世記1・1-5)
    ───黎明の訪れ───

1 元始(はじめ)に神天地(かみてんち)を創造󠄃(つくり)たまへり  2 地(ち)は定形(かたち)なく曠空󠄃(むなし)くして、黑暗󠄃淵(やみわだ)の面(おもて)にあり、神(かみ)の靈(れい)水(みづ)の面(おもて)を覆(おほひ)たりき  3 神光(かみひかり)あれと言(いひ)たまひければ光(ひかり)ありき、 4 神光(かみひかり)を善(よし)と觀(み)たまへり、神光(かみひかり)と暗󠄃(やみ)を分󠄃(わか)ちたまへり、 5 神光を昼と名(なづ)け暗󠄃(やみ)を夜(よる)と名(なづ)けたまへり、夕(ゆふ)あり朝󠄃(あさ)ありき 是(これ)首(はじめ)の日なり

 1節
【元始(はじめ)】 ここでは新生への第一期で、肉体の誕生より、啓示信仰に目覚めさせられるまで
【天地)】 「内なる人」を「天」と言い、「外なる人」を「地」という。人間は内なる人と外なる人によって成っている。内なる人は内なる心で、神・信仰・愛等の問題を感じたり、考えたりする処で、信仰に生きている者のそれは神に向かって開かれているが、そうでない者のそれは神に向かって閉ざされ、地獄に向かって開かれている。外なる人は肉体と肉体に直接結びついている外側の心によってなっており、感覚、言語、記憶的知識等の問題は外なる心でなされる。この内外二心の故に二重人格的振る舞いや行動がとられることがあるのは、我らの知るところである。
【創造】 神が人を霊的に新生せしめること。詩102・18、104・30
信仰はそれがいかに初歩的なものであっても、それは神の業である。〔本節は二節から五節までの諸言と見るべきか〕

 2節
【地は定形なく曠空󠄃(むなし)く】 外なる人に何の善も真もない様(エレミア4・22~23)
【黒暗】 信仰や霊的生活に対する全き無智
【淵の面】 欲と虚偽にとらえられている様(イザヤ51・9~11)
神の霊】 主の憐憫
【水の面】 真や善に関する知識で、内なる人が頼みとしている外なるものに破綻を覚えるまで蓄えられているもの(預言書中に「残れるもの」とあるもの)
【覆う】 雌鶏がその卵を覆い抱き温める様。
霊 義 人間は神について目覚めが与えられるまでは、外側を飾るこの世の知識や道徳の故に、自分を立派な者と考えているが、神の側から見ると、何の善も真もなく、自己とこの世への愛に基づく欲心と霊的真理に関する無智の故に生気を欠いた黒塊のごとく映ずると、ス氏は述べている。しかるに神は、人間が生まれ落ちるから新生の前夜に至るまで、当人の意識には明らかではないが、およそ善きこと、およそ真理なることに関する知識を蓄えさせ、あたかも雌鶏が卵を抱き温めて孵化せしめるごとくに、期の到るまで備えて下さる。それ故一個の人間が神のものとなるまでには、実に長期にわたる神の憐憫にによる配慮があることを知るべきである。
 3節─5節
【光・暗 昼・夜 朝・夕】 神は光であり、神より出ずる真理・智・信仰は光であり、人間より出る内なるものは暗である。主の活動し給うは昼で、その反対は夜である。「エホバの日(昼)」なる言は預言書に多い。夕は先なる状態、不信の状態で、朝は後なる状態で、信仰の状態、また主につけるもの、主の到来の時等を意味する(サム後23・2-4、イザ13・6 9 13 22、エレ6・4)
霊 義 神の憐憫と忍耐のうちに配慮されて来た長夜は、我らが神の言なる啓示にあずかることによって、明け初めるのである。光それ自身にて在りし給う主が、「光あれ」と聖言の真理の光を以て、我らの内なる霊を照らし給うとき、今まで主によって秘かに蓄えられ、温められて来た「残れるもの」なる知識が働いて、この上よりの光の言を受け入れるのである。
 この期から、我らの善悪、真偽の価値判断は傾倒せられ始まる(ピリポ3・78)。こうして我らは神の光により、光と暗との識別能力を得、神の業と人間の肉的業との別を知り、信仰は夕より朝へと向かって進み、天地創造の第2日目、即ち、人間の内なる人と外なる人との新生第二期に入るのである。

   ※ これ以降の『創世記霊解』は、「新教会」誌、
                                     第2号(1953.9)~第11号 (1954.6) によります。

 

 創造第二日(創世記1・6-8)
   ───神による信仰知識と
        人間に由るそれとの分離───

6 神言いひたまひけるは、水の中なかに穹蒼(おおぞら)ありて、水と水とを分󠄃かつべし、 7 神穹蒼(おおぞら)を作りて穹蒼の下したの水と穹蒼の上の水とを分かちたまへり、すなはち斯(かく)なりぬ、 8 神穹蒼(おおぞら)を天と名づけたまへり、夕あり朝󠄃ありき、これ二日なり
 6節─8節
【穹蒼(おおぞら)】 内なる人
【穹蒼の上の水】 内なる人に宿る知識で、神による信仰理解
【穹蒼の下の水】 外なる人に宿る人間に由る記憶的知識
霊 義  新生の初期に在るとき、人は未だ充分に自己愛とこの世の愛に死に切っていない。それで、この世的な楽しみである富貴や名誉等を求めることが多いために、神より与えられている信仰の知識をこの世の与える知識と混淆させたさせた状態に置いている。しかるに神はあるときから──そしてそれは特に我らが人生の危機的出来事、例えば病気・事業の失敗・自己の愛してやまないものの喪失等大打撃に直面して、自己のより頼んでいるこの世の知識の無力さを悟らされる場合に多いが──内なる人に宿っている神から与えられている信仰またその知識と、外なる人に宿っている人より出でた記憶的知識との別を明らかになし給う。これについて今私が思い出すのは、ある人から聞いた一伝道者の実話である。
 神学校を卒業して間もない一伝道者が地方の小都市で伝道していた。一夜、一見して不幸そのものの悲哀にあるとしか思えない一人の盲人が彼の教会の門を叩き、「自分の様な不幸な者でも救って戴けるでしょうか」と訊ねた。伝道者はその頃流行していた神学書の翻訳著書も出していた人であったが、彼の前に立っている不幸な人を慰め励ます言をもち合わさなかった。彼は奥に駆け込んで彼の母親に支援を求めた、と。
もしもこの伝道者が、真に人を救う神よりの信仰知識を持っていたなら、このような狼狽した場面を演じなかったであろう。何となれば、キリストの救いはこの様にこの世のものに貧しくなった人の求めを満たすものであるからである。彼の持っていた神学知識は、結局、外なる人に宿っていた記憶的知識に過ぎないもので、神より与えられた信仰ではなかったのである。ただしこの伝道者が、今まで自分がより頼んでいた神学的知識の無力さに目覚めさせられたという危機的経験から、信仰の再出発をしたなら、彼は新生第二期への階程に進み得たというプラスを獲得したことになったであろう。

  創造第三日(創世記1・9-13)
    ───悔改と勤行の初期的状態───

9 神言ひたまひけるは、天の下の水は一處(ひとところ)に集りて乾(かわ)ける土顯(あらわ)るべしと、即斯(かく)なりぬ、 10 神乾ける土を地と名づけ、水の集合(あつまれ)るを海と名づけたまへり、神之(これ)を善と觀(み)たまへり、 11 神言ひたまひけるは、地は靑草と種を生ずる草と其類(そのるい)に從ひ果を結び自ら種をもつ所󠄃の果樹を地に生ぜしめよと、即かくなりぬ、 12 地靑草と其類に從したがひ種をもつ所󠄃の樹を出せり、神これを善と觀たまへり、 13 夕あり朝󠄃ありき、是(これ)三日なり
 9節─13節
【水・海】 「水」は1章・2節の「水の面」にある如く、神より与えられた真や善に関する知識で、「海」はそれら知識の集積である。
【地】 1章・1節では、人間は「天」によって表わされている「内なる人」と、「地」によって表わされている「外なる人」によって成っているとした。神は我ら人間の「内なる人」を通じて「外なる人」に聖業を進め給う。あたかも自然界の大地が生命を受け入れて動植物を生長繁殖させる生命の容器であるように、人間の心も神の生命を受け入れて、愛や信仰の善き業を生長繁殖させる。(マタイ13・19-24、マルコ4・26-28)
霊 義 神による信仰知識と人間によるそれとの区分が 明らかにせられると、「内なる人」に宿った信仰知識は、「外なる人」にまで進出し、そこで記憶として集積せられるようになる。これが「天の下水は一所に集まり、海と呼ばれる」ものである。すべて神より与えられる信仰や愛は、「内なる人」を通じて「外なる人」にまで降下進出しなければ、善き業として外に現れない。かくして「地」なる「外なる人」に進出した神の生命の種は、次第に発芽、生長、結実するに至る。それがここに、青草、種を生ずる草(穀類か)果樹を以って表されている「信仰の善き実」である。かく彼は悔改で善行に励んでいる。しかしながら彼は、善き信仰、善き行為、善き言を、信じ、行い、語るのは自分自身によるものであると思い、すべての善きものは神より来る(ヨハネ伝3・27、15・5)ことを悟っていない。彼は彼のなす善きもりのにより、これらを与え給うた神を崇めずして、自分を崇める傾向にある。この様な未熟な信仰状態では、彼の「外なる人」なる地に生ずる産物は、活動的動物に譬えられる善き業でなく、せいぜい非活動的植物を以て譬えられる程度のものとなるのである。しかし非活動的な植物でも、最初は青草、次には種を生ずる草、最後には果樹と言うように、向上進歩のあとを見ることが出来る。こうして神によって始められた人間の霊魂創造の業は、再び、夕の状態より朝の状態(1章5節参照)に向かって進められ、次の新生第四期の状態に移行するのである。

   創造第四日(創世記1・14-19)
    ───愛と信仰の二大光体生ず ────

14 神言ひたまひけるは、天の穹蒼(おおぞら)に光明(ひかり)ありて昼と夜とを分󠄃わかち、また天象(しるし)のため、季節のため、日のため、年のために成なるべし、 15 天の穹蒼にありて地を照す光となるべしと、即ちかくなりぬ、 16 神二つの大なる光を造󠄃り、大なる光に昼を司どらしめ、小さき光に夜を司どらしめたまふ、また星を造󠄃りたまへり、 17 神これを天の穹蒼(おおぞら)に置きて地を照らさしめ、 18昼と夜を司どらしめ、光と暗󠄃を分󠄃たしめたまふ、神これを善と觀たまへり、 19 夕あり朝󠄃ありき。これ四日なり
【大なる光】 太陽で愛を意味する
【小さき光】 月で信仰を意味する
【星】 真理及び善の知識

霊 義   新生第四期の本段階の特徴は「大なる光」によって象徴されている愛なる光が【小さき光】によって象徴されている信仰の光と共に主によって「内なる人」【天の蒼穹(おおぞら)】に植え付けられることである。今までの新生の諸階程における信仰の進歩は、信仰理解の進歩の知的なものであった。信仰は知的理解に止まっている間は、その教えの真理であることを知りながらも、これを実行することに歓びを覚えないから、律法化にある重圧を感じ、神の審判の恐怖下に神の誡(いましめ)を守ろうとする。従ってこの様な状況下では、信仰の善き果は創造第三日の非活動的な植物によって譬えられている性質と程度のものである。ただし、もしも我らが、神の憐憫に縋(すが)りつつ、熱心に神の誠に生きようとするならせ、神は我らの「内なる人」の意思に「大なる光」なる愛を、「小さき光」なる信仰と共に植付け給い、我らをして神の真理に従って生きることに歓びを覚えさせ給う。それ故、その後の信仰生活はとみに活気を呈し、地に生ずる産物は活動的動物をもって譬えられるものとなるのである。
 ここに我らは簡単に、真理と善、即ち、信仰と愛との関係について考察してみたい。
プロテスタント信仰に生きる人々のうちには、聖書を重んじながらも、使徒パウロの書簡中の一部の言を偏重または誤解し、主の十字架上の死を贖罪そのものと誤認し、その教理を受け入れることによって、神の前に義とせられると信じ、聖書のうちに最も強調して説かれている愛に関する教えや誠を顧みないものがある。しかし自然界の太陽から光を受け入れて、熱を受けることの少なくなっている冬期の大地は生気を失い、植物は枯れ、動物は冬籠りの状態に入り、春の来るに及んで初めて活況を呈する如く、彼らの信仰生活においても、霊界の太陽なる神より、光に対応する信仰を受けて、熱に対応する愛を受けないなら、冬の状態となり(マルコ13・18-19)信仰生活は沈滞し、善き業の見るべきものも生じないのである。何となれば、愛は人の生命であり、愛に結ばれた真理には力があるが、愛から遊離した真理や信仰は立ち消えとなるからである。
 今や神は「内なる人」に二つの光体を与え給うたが、14節の「天の蒼穹に光ありて」とある。「光」は複数形であるが、「あり」の動詞は単数形である。即ち、愛と信仰とは人の内に与えられる二つの光であるが、両者は一体となって「地」なる「外なる人」を照らし働くのである。信仰と愛とは、互いに分離するとき冬枯の信仰状態となるか、正しい信仰をを逸脱した狂信または盲信となる。
 しかし我らの霊的生活は淡々とした変化なきものではなく、むしろ一進一退しつつ成長するものであることは、自然界に季節・日。年の変化があるのと同じである。もしも我らの霊的生活において愛や信仰の盛衰強弱の変化の移行が多少なりとも経験されないなら、相対的にのみ感得せられるこれらのものの価値は理解されず、またその歓びも得られなくなるのである。そして愛が主となり、信仰が従となるとき、我らの霊的生活は昼の状態となり、これと反対に信仰が主となり、愛がその姿を隠すと夜の状態となるのである。(1章5節参照)

  創造第五日(創世記1・20-23)
    ───信仰理解による躍進───
20 神いひ給ひけるは、水には生物ゆたかに生じ、鳥は天の寫蒼の面に地の上に飛ぶべしと。 21神おおいなる魚と水にゆたかに生じてうごくすべての生物をその類に従ひて創造り、また翼ある諸の鳥をその類に従ひて創造りたまへり。神これを善と観たまへり。
22 神これを祝して曰く、生めよふえよ、海の水に満てよ、また鳥は地にふえよと、23 夕あり朝ありき、これ五日なり。
【生物】 直訳すれば「生ける魂」である。即ち植物のごとく自ら動かぬものでなく、自ら活動するものである。
【烏】 善悪両義において理解力・想念を表す、ここでは善い意味の理智(マタイ13・32、エゼキエル17・23、イザヤ46・12)
【魚・おおいなる魚】 「魚」は記憶的知識、「おおいなる魚」は記憶的知識一般(エゼキエル47・8-10、29・3の「鰐」は「大いなる魚」と同語)
霊 義 新生第三期の悔改と勤行の初期的状態においては、善き業として見らるべき産物は、たとえば、未だ自らは全く動くことも出来ない植物で、生気を欠いたものであった。しかるに第四期に入り、「大なる光」によって誓えられる愛なる光体が、「小さき光に」よって替えられる信仰の光体と共に、「内なる人」(天の蒼穹)に植え付けられて、両光体が一体となって「外なる人」(地)を照し始めたこと、及び、本第五期に入り、すべての善きものは、想念・言・行為等の何れであっても、神より出でるものであって、自分自身に由来しないとの、謙虚な信仰が与えられるに及んで、地の面なる外なる人に生み出されて来るものは、水中には自ら活溌に動く「生ける魂」なる小動物即ち魚類(記憶的知識)や、魚類の代表者鯨(記憶的知識一般)であり、地の上の穹蒼には自由にかける鳥類(理智)である。とくに後者の理智を表徴する鳥は、たんに地(外なる人)の上を飛ぶ許りでなく、蒼穹(内なる人)の面をかけるものであるから、内なる人に宿る高度の霊的知識をも表している。しかもかかる信仰知識が「生めよ、ふえよ」とか、「海の水に満てよ」(「海の水」は(知識の集積を意味する)とか言う神の祝福を受けて、いやましに増加成長して行く状態、これが新生第五期の状態である。かくしてここにも、夕の状態より朝の状態への信仰の躍進が逐げられ(「朝・夕」に就ては、「第1章3節参照」)新生第六期の状態に移行するのである。
  創造第六日(1・24─31)
    ───神の像なる霊的人───
 (1) 霊的人の外的状態(24─25)
24 神言いたまひけるは、地は生物をその類に従ひて出し、家畜と匍うものと、地の獣を其類に従ひて出すべし之、即ち斯なりぬ。
25 神地の獣を其類に従ひて造り、家畜を其類に従ひて造り、地の諸の匍うものを其類に従ひて造ケたまへり、神之を善と観たまえり。
【家畜・匍うもの・地の獣】動物のうち、魚類・鳥類は、善悪両義に於て、理解力に関る知性を表徴するのに対して、獣類拉、意志に関藻情動を表徴する。犠・羊・小羊の如き無害有益の獣類は善の情動を、熊・狼の如き有害獣類や犬などは悪O情動七表す。丿絃に「家畜」と駅されている〔回料Jなる原語は温和な獣類を意味し、善なる高い方面の情動を、「地の獣」と訳されているハイェトエレツは野獣を意味しヽ低い方面の情動を意味する。「這うもの」は昆虫類の如き小動物。(エゼキエル36・9-11、詩148・10等)
霊 義 新生第五期になされた霊的生活の躍進は、「魚」・「鳥」等によづて表徴せられている様に、主として知的信仰理解の方面の向上であった。若し信仰知識が深められても。それを意志の上に実現しなければ、信仰は沈滞し、すべては失われてしまう。これに反して、与えられた信仰知識に基いて、誠実にこれに従って行動しようとするのなら、神は我らの外なる人なる地に、既に繁殖している魚類や鳥類の外に、善き情動を表徴する種々の獣類や、その他の小動物を生ぜしめ給う。それ故、前期においては、与えられた信仰理解から真理を語り、その知識によって真理と善に堅立する程度の状態に在った者が、本期においては更に一歩前進し、同時に愛に基いても真理を語り、かつこれを行う状態の外見を備えるに至っている。
 (2) 霊的人の内的状態「神の像」(26─28)
26 神言たまひけるは我に象りて我の像のごくに我ら人を造󠄃り、これに海の魚と天空󠄃の鳥と家畜と全󠄃地と地にはふ所󠄃のすべてのはふものを治めしめんと、 27 神その像のごとくに人を創造󠄃りたまへり即神の像の如くにこれを創造󠄃り、これを男と女に創造󠄃りたまへり 28 神彼等を祝し神彼等に言ひたまひけるは、生めよ、ふえよ、地に満てよ、地を従わせよ、又󠄂また海の魚と天空󠄃の鳥と地に動く所󠄃の諸の生物を治めよ 。
【我ら】 26節の神の人間創造に「我ら」の復数形が用いられているのは、神が「父子子・聖霊」の三人格の神であるからでもなければ、また一部学者の説明するような「神の自己熟考的複数」でもない。ス氏の証示する処によれば、神は人を支配し導くのに、少なくとも二人の霊人と二人の天使を通じてなし給う。即ち神は人をして、これら霊人を通じて霊人界と、またこれら天使を通じて天界と、そして天界を通じて主と、それぞれ交らしめるのであって、これ等霊人や天使が人から離散するとすれば、人は立所に死滅してしまう。神はそれ故、これら天使を通じて人を支配し給い、善や真理を、また悪や虚偽に対する怖れを吹込み給い、かくして人を漸次新生せしめ給う。それ故26節には「我ら」と複数形が用いられている。ただし天使達は神の命によってのみ人間に働きかけ得るのであって、自らによっては何事もなし得ないから、結局は神のみが人を支配し、人を新生に導き給う。それ故27節においては、「神創造り給へり」と単数形が用いられているのである。【我らに象りて・我らの像の如くに・神の像の如くに】 「像の如くに」とあるのは「像に」と訳さるべきもので、「像」とは原語は「ツエレム」、英語の image である。また「象りて」とあるのは「類似の如く」と訳さるべきもので、「類似の如く」は新生の本段階に在る霊的人の状態であり、「類似」だけなら次章の天的人の状態である。
 なお「神の像に造られる」とか、「神の類似に造られるとは如何なることを意味するかについて、スの最後の著作「真の基督教」第48項中の霊界経験記の中で、霊界に於ける「智慧の学校」の見学記に第三の天界に属する天使から出題されて、本問題を討議結論している場面がある。その結論によれば、「神の像に造られる」とは、愛そのもの、智恵そのもので在し給う神の、それらのものを受ける容器として造られて居ること、また「神の類似に造らる」とは、神より受けたそれらのものが、本来は神のものであるにも関わらず、恰も、自分自身のものであるかの如くに感ぜしめられる様に造られていること。即ち人間に自主意識が与えられて居ることを意味するとの意味内容である。この結論による本聖言に対する説明は、人間の本質を説く為のものであるのに対して、本講解に用いられている説明は、新生の諧階程を説くためのものでなければならないから、そのままではしっくりした説明とはならないかも知れないが、要するに、自主意識にありながらも、凡ての善きものは神のみより来るの信仰に立ち、真実と謙遜を以て神の恵みを受入れる態度に在る状態を言う。
【人を造り】 「人」の原語はアダムである。普通「人」とは被造物なる人間以外を意味しないと思われているが、霊義においては、神は最高の意味では人であり、そのことから、神より出でる智慧や悟り、またこれらの神よりものを受けて新生させられる者を人と言う。(エレミヤ4・23-25、エゼキエル1・26、ダニエル7・13-14、また福音書で主は御自身を「人の子」と自称された)。今まで人でなかったものが、本段階に於ては神なりの知と愛とを受けて、信仰の関る理解力、愛の関る意志、並に両者によって成る人間それ自身も、人の姿を具えさせられるに至ったことを意味する。
【男と女に造り給えり】 霊的人の理解力を「男」と云い、その意志を「女」と云う。また両者が一体になって結合することを「結婚」と云う。ついでながら両者が結合し、信仰と愛とが一体となった状態の者を「既婚地」(イザヤ62・4)と云い、それによって生れる真理の知識に関する子孫を丿息子」、善に関するそれを「娘」と云う。
霊 義 既に内なる人に信仰と愛の二光体が植付けられ、真理Jと善とに向って努力しつつあった彼は、凡ての善と真理とは自己に由来せずして、神よりのみ来るの信仰に立つに及んで、自らを神の生命の容器とする謙虚さが与えられた。かくして彼は、今や「神の像」となったのである。然し彼の旧き人なる自我は未だ完全には死んでいない。それ故「神の類似の如く」であっても、「神の類似」にまで、達していない。従って彼の内的生活は、「内なる人より外なる人へ」の天的人の内的支配の状態と逆行する「外なる人より内なる人へ」の形にある。これに就ては、彼の支配が、知性即ち信仰を表徴する魚・鳥等から、情動即ち愛を表徴する家畜その他のものの順に在り、正に、詩篇第8篇6節以下とは反対の順に在ることによって知られる(本詩は天的人りの内的状態を誦ったものである)。「信仰より愛へ」の順序に在る状態は霊的人の内的姿であり、「愛より信仰へ」のそれに在るのは天的人のそれである。
 然し、霊的人の状態は、天的人とせられる為の準備の段階である。それ故、彼の理解力と意志とは共に新たにせられて行かねばならない。27節の「その像」とあるのは理解力の方面についてであり、「神の像」と後に挙げられているのは意志の方面についてである。そして知性の関わる理解力は男性により、また情動の関わる意志は女性によって表徴せられるから、両能力が更新されることを「男と女に造り給へり」と表現しているのである。神は、この理解力と意志、即ち信仰と愛との結婚を慶び、それによって多くの息(信仰知識)と娘(善即ち愛)の繁殖することを期待し給う。それ故28節の祝福が与えられているのである。ただし、この霊的人の段階には、天的人の安息はなく、旧き人なる肉に対する内なる新しき人の戦は熾烈である。それ故「地を従わせよ」と、外なる人の征服を命じて居られる。そして闘は今烈しくとも、勝利の安息の日は近いのである。
 (三)霊的人の食物(29-31)
29 神言ひたまひけるは、視よ、我全󠄃地の面にある種のなるすべての草と種ある木の果のなるすべての樹とを汝等に与ふ。これは汝らの糧となるべし 30 又󠄂地のすべての獣と天空󠄃のすべての鳥、および地にはうすべての物など、およそ生命ある者には、我は食󠄃物としてすべての靑き草くさを与ふと即かくなりぬ 31 神その造󠄃りたるすべての物を視たまひけるに、はなはだ善りき、夕あり、朝󠄃ありき、これ6日なり。
 【草・種ある木の果のなる樹】 霊的人に与えられる霊的食物で、平安・喜悦等の形で表れる
【地の獣・空の鳥・地にはうもの】 ここでは悪い意志の情動や知識で、慾念・虚偽等の地獄より出るもの
【青草】 地獄より来る自然人の糧で、慾念・虚偽心に対するある種の満足感として表れる。
霊 義 本講26節の「我ら」の証示するごとく、人間はみな幾人かの天使や霊人達に附添われて居り、それらの天使を通じて天界と、そして天界を通じて主と交り、また悪霊を通じて地獄と交るようになっている。人が未だ信仰に目覚めず、ただ自己とこの世に生きて居る間は悪霊と直接の交りにあり、天使とは間接的交りしか持たず、そのため天使達は人間が最悪の状態に墜ちることなきよう常に監視保護すると共に、間接的方法に於て悪を去って善に向うように働きか付るのである。そして悔改めて信仰に入るに及んで人は初めて天使と直接的交りの状態に入り、信仰の進歩と共に、その緊密度が増加えられる。ただし人は、完全に新生されて天的人の状態に入るまでは悪霊との直接の交りは絶えていない。否、ある意味において悪霊達は全力を尽して霊的人の肉に向つて働きかけ、悪しき情動である慾念や虚偽心等の「地の獣・空の島」に喩えられているものを吹込み、そしてそれらの好餌として「青草」によって喩えられているある種の内的満足感を与えるのである。これに対して、天使達を通じて神は、「草・種ある木の果のなる樹」によって喩えられる霊的糧を与えて、悪魔の誘惑に勝しめんとし給う。そしてそれらの霊的糧は、心の平安・喜悦と云うがごとき形に於て表れることは我らの経験する処である。
 神が「光あれ」と我らの霊に黎明の訪れを与え給うてから、今や「神の像」が形造られるに至るまでの、我らの霊魂の巡礼の旅は回顧すれば遥けくもあり、また試錬の広野の旅でもあった。然し今や「乳と蜜との流れる」約束のカナンの地は指呼の間に迫っている。それは、理解力と意志、即ち信仰と愛との男女の結婚の備えがなされたからである。それゆえ神は「甚だ善りき」と言い給うたのである。

 

                                    内的意義理解のために

★ わが民は愚かである、彼らはわたしを知らない、彼らは愚かな息子であり、理知をもたない、彼らは悪を為すには賢明であるが、善を為すことを知らない。わたしは地を見た、見よ、むなしく、空ろである。天を見た、そこには光は無かった。(エレミア4・22、24)

★ 創世記における一日は、1章5節にあるように夕から朝となっており、私たちが考える朝から夕となって一日であることと逆になっています。ユダヤ教の人達の一日も夕から朝へそして夕にかけて一日と考えています。ここに「夕」は暗闇、影、不信仰の状態を示し、「朝」は、光、真理認識、信仰のある状態を示すため、夕から朝にかけて、心が照らされ、暗闇に信仰の光が射してくる人間新生・再生の過程を表しているためであるとしています。

★ 内なる人は天的なものと霊的なものにより形作られ、外なる人は身体のものではないが、身体のものから来ている感覚的なものから形作られている。天的なものとは、主に対する愛にかかわるものであり、霊的なものとは主に対する信仰にかかわるものである。あるいは「天的なもの」は神の善にかかわるものであり、「霊的なもの」は神の真理にかかわるものであり、その何れも主御自身における愛と知恵、善と真理から発している。

★ 知識は我々が「私は単にそう考えるだけではない、私はそれを知っている」という時のように我々が真に知っているところのものである。記憶知は我々が外なる記憶の内に持つところのものであり、神学的なまたそれ以外のあらゆる種類の知識の膨大な蓄積である。スウェーデンボルグ自身によるこれらの語の正確な定義には〔天界の秘儀〕27、896、1486、2718、5212番を参照されよ。

★ 66 聖言には全般的に四つの異なった文体がある。「第一」は最古代教会のそれである。かれらの表現方法はかれらが知的な世的な物を口にする時、その物の表象している霊的な天的な物をかれらは考えているというようなものであった。それでかれらは表象によって自分自身を表現したのみでなく、それに更に生命を与えるために、それを一種の歴史的なものに作り、そのことがかれらには最高度に歓ばしいものであったのである。それはハンナが予言して語った文体である。──
  高い、高いものを語りなさい、いにしえの物をあなたの口から出させなさい。(サム前2・3)
このような表象は詩編に『いにしえの暗い玄妙な言葉』(詩編78・2-4)と呼ばれている。アブラムの時までつづいている創造、エデンの園等に関わるこれらの事項はモーセが最古代教会の子孫から得たものであったのである。「第二」の文体は歴史的なものであり、それはアブラムの時以後モーセの書とヨシュア記、士師記、サムエル書、列王記の中に見られる。これらの書物には歴史的事実は正にその文字の意義の中に現れているままであるが、しかしその凡ては全般的にもまた個別的にも、その内なる意義では全く他の事柄を含んでいるのであって、それについては、主の神的慈悲の下に、以下の頁に順序を追うて記すであろう。「第三」の文体は予言的な文体であり、それは最古代教会に大いに尊重されたものから生まれたものである。しかしながらこの文体は最古代の文体のように関連した歴史的な形を持っていないで、とぎれていて、内なる意義に由らなくては殆ど理解出来ないものであり、この内なる意義の中に最も深いアルカナが存在しており、そのアルカナは美しい互いに関連した順序を以て連り、外なる人と内なる人とに、教会の多くの状態に、天界それ自身にに関わりをもち、その最も深い意義では主と関わりをもっているのである。「第四」の文体は「ダビデ詩編」のそれであり、それは予言的な文体と普通の言葉の文体の中間に在るものである。そこでは主は王としてのダビデという人物の下に、その内なる意義で取り扱われたもうている。       (天界の秘義 第一巻  柳瀬芳意訳  静思社刊より)


★ 6 人間の再生の六つの継続した状態である六日または六つの期間は全般的には以下のようなものである。
7 第一の状態は先行する状態であり、幼少期からの状態と再生直前の状態とを含んでいる。それは「空ろなもの」「空しいもの」、「暗闇」と呼ばれている。そして主の慈悲である最初の動きは「水の面の上に動いている神の霊」である。
8 第二の状態は主に属した物と人間に固有な物との間に区別が行われる時である。主に属した物は聖言では「残ったもの」「残りもの」と呼ばれ、ここでは特に、幼少の頃から学ばれ、貯えられ、人間が此の状態に入らない中は明らかにされないところの信仰の諸々の知識である。現行ではこうした状態は試練、不幸または悲哀なしには殆ど存在しておらず、その試練、不幸または悲哀により身体と世との物は、すなわち人間に固有な物は静止して、いわば死んだもののようになるのである。かくして外なる人に属した物は内なる人に属した物から分離してしまう。残りものは、その時迄、またそれに役立つために、主により貯えられて内なる人の中に存在している。
9 第三の状態は悔改めの状態であり、その中では人間はその内なる人から敬虔に信仰的に語り、仁慈の業のような善を生み出すが、しかしそれはその人間自身から発しているとその人間が考えているため、それは生きていないものである。こうした善は『柔らかい草』また『種子を生む草』と呼ばれ、後には『果を結ぶ木』と呼ばれている。
10 第四の状態は人間が愛に動かされ、信仰により明るくされるようになる時である。彼は実に前には敬虔に語って、善を生み出したが、しかし彼はそれを行ったのは、彼がその下で苦闘した試練と困苦の結果であって、信仰と仁慈から発したものではなかった。、それで信仰と仁慈とは今やかれの内なる人の中に点火されて、二つの『光体』と呼ばれている。
11 第五の状態は人間が信仰から語り、それにより真理と善とを確認する時であり、その時かれにより生み出される物には生命があって、『海の魚』『天の鳥』と呼ばれている。
12 第六の状態は彼が信仰から、引いては愛から、真のものを語り、善いことを行う時である、彼がその時生み出す物は『生きたもの』『獣』と呼ばれている。そしてかれはその時信仰と愛から行動し、同時にまた信仰と愛とが共になってそこから行動し始めるため、像〔映像〕と呼ばれる霊的な人になるのである。かれの霊的生命は、かれの『食物』と呼ばれて、信仰の諸々の知識と仁慈の業に属したものを歓び、それにより支えられ、その自然的な生命は身体と感覚に属した物を歓び、それにより支えられ、ここから争闘が生まれ、ついに愛が支配し、その者は天的な人となるのである。
13 再生しつつある者の凡てが此の状態に到達するわけではない。現今大半の者は単に第一の状態に達するに過ぎず、若干の者は第二の状態にのみ達し、他は第三、第四、第五状態に達し、僅かな者しか第六の状態に達しておらず、第七の状態には殆ど何人も到達していないのである。                                       (天界の秘義 第一巻より)

  ※ 編 集 中  で す 。

                                                    

 

※ ヘブライ語原典関連は、次回の ~4 口語訳との対訳ブログに移動します。 

 

『 視霊者の夢 』の夢解釈 ! ~2

 編集

 以下は 手塚治虫天地創造物語』(その1) 集英社より

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これが、一般的な文字的な意味による「天地創造物語」の手塚治虫氏による解釈です。童謡風の夢のある解釈ですね!!。
 

 スウェーデンボルグの思想 科学から神秘世界へ 

                                                            高橋和夫 講談社現代新書より

                天地創成の六日間


徹底した聖書研究

本章では『天界の秘義』第一巻で扱われる、スウェーデンボルグによる「創世記」の解釈を紹介する。聖書は世界的なベストセラーである。聖書の最初の巻が「創世記」あり、数ページ足らずのその第一章に神による宇宙の創造が記されていることは、誰もが知っている。しかしその解釈となると、古来、千差万別である。天地創成をめぐる聖書の記述は神的な霊感を吹き込まれて書かれた神のことばだという主張に対して、多くの異議が唱えられている。聖書の記述は地質学や進化論と矛盾するという説、その神話はバビロニアの創成神話の焼き直しにすぎないという説、さらには、文献批評によって聖書の歴史的検証を重んずる「高層批評」による原資料の寄せ集め説など、論争は絶えず、聖書の権威は揺らいできている。スウェーデンボルグは科学者から神学者に転身したが、厳密に言えば、聖書神学者になったのである。独自の霊的体験も彼の神学に反映してはいるが、彼はあくまでも、基本的には聖書を典拠にして議論を展開している。そして前述したとおり(88・89ページ参照)、彼の聖書研究は徹底したものであった。ここでは「創世記」冒頭の、天地創成、エデンの園、人類の堕罪の各神話に焦点を絞って、彼の聖書解釈を考察しよう。

「照応」によって書かれた「聖言」
 スウェーデンボルグによれば、バベルの塔の神話を扱う「創世記」第11章までは、「創世記」の他の章から本質的に分離した、原聖書とも言うべき人類最古の宗教文書である。それはモーセが書いたものでも、複数の原資料を編集したものでもなく、先史時代から伝承された啓示的な文書である。それが書かれた年代は特定されていないが、スウェーデンボルグは、旧約聖書の他の部分とは別系統の、それよりもずっと古い文書だと言う。彼は聖書と「聖言」とを区別する。「聖言」とは、純粋な「照応」で書かれた神的な宗教文書である。純粋な照応で書かれた文書には、字づらの意味や歴史的な意味の奥底に、内的で霊的な意味が必ず存在している。旧約聖書中、聖言でない聖書の巻は、「歴代誌」「エステル記」「ネヘミヤ記」「蔵言」などごく一部だが、新約聖書では、四福音書と「黙示録」以外はすべて聖言ではないとされる。使徒の手紙類は、パウロのものも含め、「有益な宗教文書」ではあっても聖言とは見なされない。聖書の外典と偽典の存在や、カトリックプロテスタントの聖書の巻数の差違を考えればヽそもそも聖書たる規準は何かという議論は当然生じる。それにしてもスウェーデンボルグの言明はヽあまりにも大胆である。しかし、この問題にここでは深入りしない。「創世記」はむろん聖言であり、特にその11章までは最古の聖言である。その部分の文体は、当時よく使用された、純粋な照応の知識に基づく文体になっている。こう彼は言う。聖書を集中的に学び始めた頃、敬虔なキリスト教の科学者として、スウェーデンボルグは『神の崇拝と神の愛』において創成神話を科学と一致させようと試みている。しかし彼は、自然的な真理と霊的な真理との成層的な関連を解明する「照応の理説」を確立してからは、これを聖言に内蔵された霊的意味を探る際に適用するようになった。聖言の字義、つまり表層的な意味を超えて、聖言の意味の核心に迫るには、彼の霊的体験も不可欠な手段であった。なぜなら聖言の内部に浸透するためには、深い呼吸法と結びついた瞑想や思索が必要だったし、また霊界で見聞する個々の現象が自然界のどういう現象と関連するのかという観察も必要だったからである。

「新生の心理学」としての「創世記」
 彼によれば、「創世記」の作者たちは霊界と自然界とが全体的にも個別的にも照応することを熟知しており、自然界の現象、出来事、さらには歴史をさえ素材として、霊的で宗教的な教訓や教説を、照応の体系的な知識に厳密に基づく独特の文体で構成していった。だから天地創成神話についても、神による宇宙や人類の創造という主題だけを扱おうとしたものではなく、もっと明確な宗教的意図のもとに書かれたものであるという。その意図とはつまり、一つは、生物学的な「ヒト」から霊的な「人間」へと新生してゆく人類の霊的な進化のプロセスの叙述であり、いま一つは、霊的な新生へと向かう個人の精神的な成長のプロセスの叙述である。古代の作者はこの目的を果たすべく、表現手段として天地創成という「物語」の形式を意図的に採用した。初めからこうした目的があったのだから、後世の人々が作者の科学的知識の未熟さを批判するのは的はずれであり、その記述が進化論と一致するとかしないとかいう議論も意味がない。スウェーデンボルグは聖言の書かれた目的を明確に規定している。それは、神、信仰、愛、永生、罪、救い、霊的生命といった、人間の宗教生活に必要な事柄を啓示することである。聖書の「高層批評」は、聖書をバラバラな資料の寄せ集めだとして、聖書の権威を歴史的に相対化している。一方、聖書に書かれた一語一句が神的霊感を吹き込まれていると主張する、聖書の逐語霊感説をとる根本主義者は、字づらの意味を絶対化して譲らない。スウェーデンボルグはこのどちらの態度もとってはいない。彼は聖書の権威を聖言に限って承認し、聖言は純粋な照応で記されたがゆえに神のことばであると考えた。しかしそれは同時に、古代の賢人たちの最高の霊的な英知の所産でもあると、彼は考えた。それゆえ、以下に詳しく見るように、聖言は正しく読めば人間の理性で納得できるものであることを、スウェーデンボルグは明らかにしている。 結論を先取りすると、「創世記」の第1章と第2章は、個々の人間と類としての人間の新生へのプロセスを扱う、最古の宗教心理学であると言えよう。筆者はこれを「新生の心理学」ととらえ、聖書と『天界の秘義』を対照させつつ、詳述してみたい。(なお、聖書からの引用は、日本聖書協会編の一九五五年改訳版に従うものとする)

 ◎〔『視霊者の夢』の夢解釈!~5〕へと続きます。

 

 

 次回はヘブライ語原典との比較と人間の魂の新生の解説です。



 

『 視霊者の夢 』の夢解釈 ! ~1

 このブログは、スウェーデンボルグ著 『 天界の秘義 』の「天地創造物語」と「エデンの園」を知るための解説をしていきます。

 

 そのプロローグとして、熱心なスウェーデンボルグ派のクリスチャンであった三重苦のヘレン・ケラー女史の「私の宗教」を紹介します。

   

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         『視霊者の夢』について

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  イマヌエル・カント(1724-1804) 

 

  1766年、スウェーデンボルグの名声を著しく失墜させた批判が、ドイツでイマヌエル・カントによって、『視霊者の夢』(Dreams of a Spirit-Seer)という表題で出版された。フォン・クノープロツホ嬢へ宛てた1763年の彼の手紙以来、幾年かのうちに、彼は『天界の秘義』を購入して読み、この書物を、そのどんな資料も感覚の資料ではないという理由で「ナンセンスにみちた4折判の8巻」と非難した。そして彼は、狂人だけが立証されえないような事柄を書きたくなるのだ、と主張した。彼は、ある友人への一書簡で、自分は「嘲笑されるより嘲笑するほうが」いっそうよいと思った、と述べ、自分の暴力的な攻撃を釈明した。そののちほどなくして、彼は彼自身の『純粋理性批判』(Critique of Pure Reason)(1781年)の仕事にとりかかったが、それはスウェーデンボルグのものとはまったく異なった基盤に立って、哲学の根本規則を提起するものであった。その攻撃は一方的なものであったけれども、スウェーデンボルグヘのカントの攻撃はきわめて影響力が大きかったため、一世代以上にわたって、どんなドイツの学者もスウェーデンボルグのことを好意的に語ったり、スウェーデンボルグをまともに理解したりすることは不可能になった。

 ※『視霊者の夢』は 講談社学術文庫 カント「視霊者の夢」

       岩波書店 カント全集〈3〉前批判期論集(3) 

 以下は 『 スウェーデンボルグの思想 』 科学から神秘世界へ 

                                                            高橋和夫 講談社現代新書より        

         カントによる千里眼批判
超能力者スウェーデンボルグ
 スウェーデンボルグの心霊的な能力は社会生活においてもしばしば発揮され、多くの逸話を生んだ。霊媒として故人の消息を家族に伝えるとか、ちょっとした未来予知とか、現在PSI(超常現象)として知られている出来事が、彼に関して報告されている。彼自身はこうした異常な出来事に好奇の目で関心を示す態度を、人間の健全な精神生活にとって有害かつ危険なものと考え、他人から頼まれ、それが正当な理由を持つ場合以外は、こうした超常能力を行使することはなかった。友人ロブサーム(友人の銀行家)があるときスウェーデンボルグに、一般の人々も他界と交流できるかどうかを尋ねた。その際スウェーデンボルグは、断固としてこう答えている。「こうした交流は狂気へ直通する道ですから、注意してください。というのは、人間に隠されている霊的な事柄を注視する状態において、人間は地獄の妄想から自らを引き離しておく方法を知らないうえ、そうした妄想は、人間が自分の把握を超えた天界の事柄をひとりよがりの思索によって発見しようとすると、その人間を混乱させてしまうからです。あなたは、不必要な探究によって自分を見失ってしまう神学生や、とりわけそうしたことをしたがる神学者たちが、どれほどしばしば理解力を損なうことになったかを、十分ご存知でしょう」。
 ストックホルム大火災を見通した千里眼スウェーデンボルグのPSI能力に深い関心を示した同時代者のひとりが、ドイツの哲学者、若きカントだった。批判哲学を確立し後世の哲学や神学に強力な影響を及ぼしたカントの、スウェーデンボルグヘの接近は興味深い問題なので、ここで取り上げてみたい。『天界の秘義』の出版完了後わずか二年して、スウェーデンボルグは第七次外国旅行に発ちロンドンへ行った。そこで一年間に五冊の著作(「ロンドン五部作」と言われる)を出版して、1759年に帰国した。「スウェーデンボルグ千里眼」として後世の語り種となった事件は、この帰国の途次に起こったのである。7月19日、土曜の夕方のことであった。スウェーデンボルグはイギリスから帆船に乗ってて、スウェーデン西海岸の都市イェーテボリに到着した。そして同市の商人だった友人、ウィリアム・カーステルの夕食会に招かれた。現在もサールグレン家として残っているカーステルの家には、ほかにも15人の客が招かれていた。食事中、スウェーデンボルグは極度に興奮し、顔面が蒼白となった。不安と焦燥に満ちた様子で、彼は幾度となく食卓を離れた。そして、騒然となった一同に向かって、「今、ストックホルムで大火災が猛威を振るっている」と、告げたのである。そして落ち着きを失ったまま再び外へ出て行き、戻って来ると、ひとりの友人に向かって言った。「あなたの家は灰になった。私の家も危険だ」その晩八時頃、もう一度外へ出て戻って来た彼は、大声で叫んだ。「ありがたい! 火は私の家から三軒目で消えた」
 同夜、来客のひとりが州知事にこの話をしたため、知事の依頼に応じて翌日、スウェーデンボルグは火事の詳細を話した。火事のあった二日後、通商局の使者がストックホルムからイェーテボリに到着した。両都市は約480キロメートルも離れていたが、この使者の火災報告とスウェーデンボルグの語った内容とは、薄気味悪いほど一致していたのである。

カントによる批判と評価
 ヨーロッパ中に知れ渡ったこの出来事に深い関心を抱いたカントは、かなり大がかりな調査を始めた。39歳のカントが、その後援者の娘クノープロッホ嬢宛の手紙でこの事件の詳細な調査報告をしたのは、大火の四年後である。彼はその中で、スウェーデンボルグ千里眼は「何よりも強力な証明力を持ち、およそ考えられる一切の疑念を一掃してしまうように思われる」(『視霊者の夢』B版収録のカントの手紙)と述べている。この手紙の中でカントはまた、スウェーデンボルグに手紙を書き、自分の質問事項にスウェーデンボルグが新刊書の中で答えるという約束をとりつけた、とも述べている。カントの依頼を受け実際にスウェーデンボルグに会っ友人の伝えるところによると、スウェーデンボルグは「理性的で、親切で、率直な」人物であったという。ところが二年経っても、スウェーデンボルグが新刊書の中でカントの質問に答えた形跡もなく(おそらく単純な失念と思われる)、またスウェーデンボルグの著作を送るという前述の友人の約束も果たされなかった。苛立ったカントは八巻もの分厚い『天界の秘義』を自ら買い込んで読み、1766年にスウェーデンボルグヘの批判書『視霊者の夢』の出版に踏み切ったのである。
カントの批判の痛烈さは、次のような言葉に反映している。「この著者の大著はナンセンスに満ち」「完全に空で理性の一滴も含まない」。実際、カント学者K・フィッシャーは『視霊者の夢』を評して、カントにとって形而上学スウェーデンボルグは「一撃でぴしゃりと殺されるべき二匹のハエ」だった、と述べている(『視霊者の夢』英訳版の序言)。
 しかしカントは、表面上はともかく、スウェーデンボルグの心霊能力や思想に対してのみならず、霊的な存在一般に対して終始、両面価値的な態度を見せている。すなわち、カント自身、超自然的なものをどう処理してよいか、まだ確信が持てなかったのである。だからこそカントは、スウェーデンボルグの「大著は理性の一滴も含まない。それにもかかわらず、その中には、同様の対象に関して理性の最も精細な思弁がなしうる思考との、驚くべき一致が見られる」(『視霊者の夢』B版)と述べざるをえなかったのである。この批判書において彼はまた、スウェーデンボルグ千里眼に関して、「真実であるという完全な証明が容易に与えられるに違いない種類」の出来事である、と明言している。 その思索の方法は異なるものの、カントの哲学とスウェーデンボルグの思想には、英知界と感性界(スウェーデンボルグでは霊界と自然界)という二世界の分立、時間と空間の観念性、霊魂の不死に関する思索、宗教における道徳性の強調などの点で、本質的に共通しでいる部分がある。
 カントは『視霊者の夢』出版の四年後、ケーニヒスベルク大学の教授になり、そののち10年以上の長い沈黙期間を経て『純粋理性批判』を出版し、不動の名声を確立した。この沈黙の期間の講義で彼が再びスウェーデンボルグに言及し、次のように評したことは注目に値しよう。
スウェーデンボルグの思想は崇高である。霊界は特別な、実在的宇宙を構成しており、この実在的宇宙は感性界から区別されねばならない英知界である、と彼は述べている」(K・ペーリツ編『カントの形而上学講義』)。 

  

 「私の宗教」(ヘレン・ケラー著)

                                                       高橋和夫・鳥田 恵  共訳  未来社  [初版2013年]                                       

                                      訳 者 あ と が き       高 橋 和 夫
本書はヘレン・ケラー(Helen Adams Keller,1880-1968)「My Religion,1927」の全訳です。

 盲・聾・唖の三重苦を背負いながらもこれを克服したヘレン・ケラーと、彼女の家庭教師サリヴァン先生はあまりにも有名です。しかし、ヘレンが47歳の時に出版した「私の宗教」は、一般にはよく知られていません。また本書で紹介されているスウェーデンボルグも同様と思われます。そこで、本書の周辺的なことを少し述べてみます。ヘレン・ケラーは熱病のために2歳になる前に失明し、耳と発話の機能も失いました。彼女を連れて両親がワシントンに住むグレアム・ベルを訪ねたのは、ヘレンが6歳の時でした。グレアム・ベルは電話の発明者です。ベル家は代々、障害者教育に力を注ぎました。グレアムの祖父は吃音矯正法の創始者、父のメルグィル・ベルは聾唖教育に必要な「視話法(読唇法)」の発明者でした。グレアムは父の仕事を手伝い、視話法の普及に努めました。彼の電話機の発明は、ベル家の長年の聾唖教育の延長線上の出来事だったのです。グレアムが最初の電話機で送信に成功したのは1875年で、ヘレン・ケラーの誕生の五年前でした。当時グレアムはボストン大学の音声生理学の教授でした。
 そのグレアム・ベル博士がケラー家に家庭教師として紹介したのが、パーキンズ盲学校を卒業したばかりのサリヴァン先生です。彼女はこの時、20歳、以後50年もヘレンに影のように寄り添います。ベル博士との交流はその後もずっと続き、この交流はさらに、ヘレンがサリヴァンに次ぐ「第二の恩人」と書いたジョン・ヒッツ(John Hitz)氏へと繋がります。ヒッツは長年にわたってワシントン駐在のスイス総領事を務めたのち、ベル博士が設立したヴォルタ局の局長になりました。ヴォルタ局は聾者に関する情報の収集・配布をしたり、『ヴォルタ・レヴュー』という雑誌を発行する機関でした。ヒッツはスウェーデンボルグ派のキリスト教徒で、12歳のヘレンと出会ったときは、すでにかなりの高齢でした。その交流はヘレンの20代後半まで続きました。この人こそ、ヘレンが生涯にわたって信奉した「宗教」を教えた恩人なのです。このようにヘレン・ケラーの人生は、彼女を取り巻いた多くの人々の愛と善意に支えられていたのです。本書にも書かれていますが、暗闇と沈黙の世界に生き、飢えれば食物を本能的に求めるだけの少女の、「三重苦の聖女」「光の天使」への変身は、私たちに教育の力をまざまざと見せつけます。サリヴァン自身も、パーキンズ盲学校に入るまでは、孤児同然であり、視力も失いかけていました。彼女の生涯はヘレンに「私の幸福はサリヴァン先生の不幸の上に成り立っていた」と語らせるほど、悲劇的でさえあった献身の生涯だったように思います。その驚異的な努力によって、ヘレンは読み書きを覚え、話せるようになり、ハーバード大学(──その女子部であるラドクリフ女子大学)を優秀な成績で卒業しました。その後、88歳で世を去るまでどんな働きをしたかは周知のとおりです。本書はヘレン・ケラーがみずからの内面を率直かつ真摯に吐露した重要な著作であるにもかかわらず、日本ではほとんど知られておらず、数多くあるヘレンの伝記でもほとんど触れられていません。その理由は、ヘレンが本書の中で述べていますので省きますが、一言付け加えますと、サリヴァンでさえスウェーデンボルグを誤解し、狂人扱いしたことがあったと伝えられています。
 しかし私は、本書を読まないで、他の自伝その他だけではヘレンの内面のほんとうの姿はけっして知りえないと思います。確かにサリヴァン先生の尋常でない努力のおかげで、視覚と聴覚を除く他の感覚は鋭敏さを増し、同年齢の子供たちと較べても驚嘆すべき速さで言葉を習得してゆきました。感覚や理解力の発達という、知性的な側面の成長は奇跡的といえたでしょう。けれども、たんに知性ではなく霊性という側面、つまり心の奥深い領域における自覚の深まりとか、魂の成長はどうだったのでしょうか。ヘレンは本書でも他の自伝でも、サリヴァン先生が親しく教えてくれる自然を愛し、その美をたたえます。しかしヘレンには自然への関心以上の、存在の根源すなわち神へのもっと深い宗教的な問いがありました。それは誰もがいだく宗教的な懐疑や苦悩に関するもろもろの問いです。これらに対して納得のゆく答えが見出されないかぎり、彼女の魂に真の安らぎは訪れませんでした。
 無類の読書家だったヘレンは、本書の二年後に出版した自伝『流れの中ほど──私のその後の人生』において、「自分の生活を豊かにしてくれた、どうしてもあげずにおれない書物」として、第一に聖書を、そして次にスウェーデンボルグの『神の愛と知恵』をあげています。ヘレンはヒッツが点字にして贈ってくれたスウェーデンボルグの諸著作を手引きにして、点字の自分の聖書を、その点字が磨滅してしまうまで幾度となく読んだと言っています。こうして彼女は神の愛に触れ、ほんとうの信仰を得ることができました。これは彼女の霊性の開顕であり、暗黒と沈黙の世界は光と歓喜の世界へと変貌したのです。そしてここから、泉から水が湧き出すように、ヘレンの社会事業家・講演者・著述家……等々としてのあの力強い活動の原動力が生まれたのです。
ジョン・ヒッツ翁の高潔な人格とヘレンとのあいだで育まれた愛と友情、そしてヘレンの手を握ったまま突然死した永訣の日の記述は、読む者の涙をさそわずにはおきません。また、異端視され続けた天才科学者兼神秘家スウェーデンボルグを、世間の誤解と偏見から解き放つべく書かれた第三章を読めば、ヘレンがどれほど深くスウェーデンボルグに傾倒しているかがわかるでしょう。むろん、これをもっと端的に表現しているのが、巻頭の「スウェーデンボルグ」と題した詩だと思います。そこには「2000年来の真のキリスト教のもっとも偉大な戦士」とたたえた彼への熱い眼差しが見てとれます。訳者たちは長年このスウェーデンボルグの宗教思想を研究しています。ヘレン・ケラーが本書でおもに語っているのは、まさに彼自身の伝記的事実とその豊かな教えです。それゆえここで余計な解説を加える必要はないと考えます。読者はヘレンから直接メッセージを聞いてください。それは鮮烈なインパクトをもって私たちの魂の奥底に響いてきます。私たちの人生に勇気と希望を与えてくれる言葉です。 

 

  

      「私は、私の魂が霊の光の中に立ち『生と死はひとつのものだ』と叫ぶまで、確固とした思想をもってあらゆる視力を超えた視力につき従ってゆきます。」「大多数の人々にとって霊的な事象が漠然としていて遠いものであるのと同じように、障害をもつ私の感覚にとっては、自然界のほとんどすべての事象が漠然としていて遠いのです。私はスウェーデンボルグの教えを記載した点字の大著に手を深くさしこみ、霊界の秘密がつまったその教えを引き出します。内的感覚は──お望みなら"神秘的"感覚とよんでもいいのですが──見えざるもののヴィジョンを私に与えてくれます。」

 

※ ここでヘレン・ケラーが言う「あらゆる視力を超えた視力」「内的感覚=神秘的感覚」とは、目に見えない世界すなわち霊的世界を知覚する「視力」であり「感覚」である。スウェーデンボルグヘレン・ケラーもともにこの「あらゆる視力を超えた視力」をもって「天界」を視たのである。そして同時に「天界」を視る「視力」をもって人間世界を視たのだ。

  するとそこでは、人間は肉体を持つ一個の存在であるばかりか、肉体と知性と霊という「三重の層」からできている存在で、その本質に「神的人間」もしくは「神性」を宿した存在に視えてくる。「人が肉体で感じ取るあらゆる形というものは心象へと還元され、その心象は霊魂によって生命と意味を与えられる」。とすれば、世界は感覚と知性と霊の三重の了解の統合としてその人の前に立ち現れるのである。                                                                                                        序文 鎌田東二より

 

   私は口を開いて、たとえを語り、いにしえからの謎を語ろう。これはわれらがさきに聞いて知っていたこと、またわれらの祖先たちがわれらに語り伝えたことである。
                                                                                                     「詩編」第78編


詩編」のこのあとには、イスラエルの民のエジプトでの体験と、カナンの地への移住の旅の概要が記されています。この記録は歴史的な事実でありますが、ここではそれが、秘義を受けた者にしか充分には理解できないようなたとえ話である、と宣告されているのです。………このたとえ話は、物質主義と無知から脱出し、美しく肥沃なカナンの地が象徴するようなもっと幸せな人生をめざす、私たちの遅々とした困難な旅を完璧に描き出しているのです。 ………………
 スウェーデンボルグは、聖書が物質的世界の創造や文字通りの洪水のことを述べているとは思っていませんでした。また「創世記」のはじめの11章は、アダムやノアという名の個人についての記録であるとも思っていませんでした。彼の注意を引いたのは、まったく違う次元の主題だったのです。彼は、ヘブライ語を学んだり精神的な啓発を受けたりしたおかげで、「創世記」のはじめの数章が、人類発生からユダヤ民族の時代にいたるまでの人類の霊的生活を、古代の寓話的語り口で述べたものだと理解したのです。
「創世記」第1章には、はじめは暗く混沌としていた人間の心が、素朴な真理と幸福に満たされたエデンの状態へと発達するまでの、進化の諸段階が描かれている、と彼は指摘しています。このエデンの時代は利己主義が台頭してくるまで続き、その後、子供のような無邪気さはしだいに失われてゆきます。そしてついには、間違った考えが洪水のように世界に氾濫することになりました。………………   「私の宗教」より引用               

 

  次回より創世記の天地創造物語をヘブライ語原典を交えて解説していきます。スウェーデンボルグの聖句の翻訳は、霊的・内的意義のために、通常の翻訳された旧約聖書では、つまずきとなり理解出来ない個所があるためです。

 

パリのノートルダム大聖堂の夢解釈! ~14

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 この写真は、シャーロック・ホームズ探偵の作者で有名なコナン・ドイルが1922年に発表した「コティングリー妖精事件」とされる妖精の写真です。後にこれは贋物とされたものです。《心霊術や神秘主義には、このようなことがたくさんあります。》

 また、1910年~20年代のこの時代、発明家のエジソンは、「人間の魂もエネルギーである」として、霊界との通信機(霊界ラジオ)の研究をしている。

『この周波数が現代物理学上、未知数であり完成されていないとされています。』

 

ユゴーとオカルト

      参考文献   白水社 Webマガジン『ふらんす

                  「19世紀のオカルティストたち」     中村隆夫            

            NHKテキスト 「ノートルダム・ド・パリ」 鹿島 茂

 

  我が国では、ユゴーは、作家として知られていますが、母国フランスでは、詩人として認識されていますが、その詩の神秘性もありオカルティストなのです。

 ユゴーとオカルティズムとの関わりはジャージー島での降霊術によって始まったと言われますが、彼が霊魂の不滅を信じるようになったのは1844年頃からと言われ、ジャーナリストで作家のアレクサンドル・ヴェイユ(1811 -1899)を通じて神秘主義に関する知識を得ていたといわれます。
 ユゴーが、ジャージー島に亡命していた1853年9月6日のことである。30年来の付き合いのジラルダン夫人が彼の亡命先の家「マリー・テラス」を訪れ数日間滞在した。彼女は新聞王エミール・ド・ジラルダンの妻であり、若い頃から社交界の華として知られ、また「シャルル・ド・ローネー子爵」という男性名で文化、社会、政治などにわたる時評を新聞に連載していた才女であり、また「ロマン主義のミューズ」としてジョルジュ・サンドと並び称された。ユゴーに降霊術を伝授したのがこのジラルダン夫人でした。
 彼女によるとテーブルは単にくるくると回るだけではなく、テーブルがこつこつと叩く音はアルファベットを示し、1回なら「A」、2回なら「B」というように書き留めれば、それらが単語になり文章にもなるというのだった。ユゴーと家族は早速試してみたがうまく反応しなかった。四角いテーブルを使っていたのが原因で、丸テーブルでなければならないということで、ジラルダン夫人が後日それを持って来た。9月11日にはユゴーの死んだ娘(1843年に18才の長女のレオポルディーヌがセーヌ川を帆送中、夫とともに溺死した事件は、ユゴーの心に絶望感を生みだしていた。)が現れ、それ以後彼はすっかり夢中になってしまった。その後、この交霊会はまる2年間続けられている。
 彼はモリエールラシーヌシェイクスピアといった作家たちだけではなく、マホメット、キリスト、ルターらと交信したという記録がされています。
 また、「話すテーブル」は絵を描いたり、ピアノを弾いたりもしたようだ。ユゴーの降霊術は1855年まで続くが、これに関してはユゴーが考えていたことがテーブルの言葉として出てきたのに過ぎないと否定的な立場を取る研究者もいるが、彼が亡命時代に神秘的な考えを深めていったことは事実で、この時期の彼の作品『静観詩集』、『諸世紀の伝説』などに降霊術に関わったことの影響が出ているとする研究者もいます。

 そして、もともと、ユゴーという人はイタコ体質とでも形容すべき霊感が非常に強い人でしたから、『ノートルダム・ド・パリ』の場合には、ノートルダム大聖堂と中世という時代に思いを馳せているうちに、彼の無意識の奥底にあったフランスの古層のようなものまで現れてきていますが、では、その古層とは何なのでしょうか?。
 この小説を書いたのは、資料の準備はしていましたが、執筆してからは、四カ月半の短期間であり、意識の集中があったと思われます。これは、個人的な見解として、スピリチュアリズムから言うと、これはユゴーが聖職者であったときの過去世の記憶ではないかとも思っています。特に[ 第三編二の  パリ 鳥瞰(ちょうかん)の個所など]です。

 

 映画『 ブライズ・スピリット』のジュディ・デンチふんする霊媒師が執り行う降霊会の一場面です。     
 

  以下、ユゴーの降霊会の様子の一部です。

                         ( 参考引用は、ヴィトルユゴーと降霊術 稲垣直樹 水声社刊 )

       日曜日の夜のこと、以下に記すとおりのことが起こった。


                                   ★
 1853年9月11日(日曜日)
出席者──ジラルダン夫人、ヴィクトル・ユゴー夫人、ヴィクトル・ユゴー、シャルル・ユゴーユゴーの長男〕、フランソワ=ヴィクトル・ユゴーユゴーの次男〕、ユゴー令嬢、ル・フロ将軍、トレヴヌー氏〔ふたりともユゴーの友人〕、オーギュスト・ヴァクリー。

 四角い大きなテーブルの上に丸い小さなテーブルを置いて、ジラルダン夫人とオーギュスト・ヴァクリーがテーブルに着いた。何分かして、テーブルが震えた。

ジラルダン夫人──おまえは誰?
 (テーブルは一本の脚を上げ、その脚をいっこうに下ろそうとしない。)
 [ジラルダン夫人]──何か嫌なことでもあるの? もし、あるのなら、一回コツンと叩いておくれ。ないのなら、二回コツコツと叩いてちょうだい。
 (テーブルは一回コツンと叩く。)
 [ジラルダン夫人]──何が嫌なの?
──ひし形。
(実際、私たちはひし形に座っていた。つまり大きいほうのテーブルのひとつの角を挟むようにして座っていたのだ。
 私にはまるで納得がいかなかった。ジラルダン夫人が私たちをからかって、わざとテーブルをコツコツいわせている。そうはっきり心のなかで思っていたわけではない。しかし、何かテーブルに語らせようとするあまり心が緊張して、知らず知らずのうちにテーブルに置いた夫人の手に力が入ることはありうる。そうは思っていた。ほかのテーブルを取りに行き、その上に小さいほうのテーブルを置いた。ジラルダン夫人とシャルル・ユゴーが下の支えのテーブルを直角に切る形で席に着いた。やがてテーブルが揺れた。)
ル・フロ将軍―私が今、何を頭に浮かべているか言ってごらん。
──貞操
(ルーフロ将軍は自分の妻のことを頭に浮かべていた。私はますます納得がいかなくなった。自分の妻のことを頭に浮かべている夫に向かって「貞操」と答えるのは、いかにも機知に富んでいて気の利いたことのように私には思えたのだ。それで私はその答を、ジラルダン夫人が考えたものとしたわけである。
ヴィクトル・ユゴーが何か言葉を紙に書いて、その紙を折ってテーブルの上に置いた。)
オーギュスト・ヴァクリー──このなかに、ある人の名前が書いてあるんだが、どんな名前か言えるかね?
──いいえ。
ヴィクトル・ユゴー──なぜだね?
──紙。
 (こうした答を次々と聞いて、私は、ひょっとすると……と思いはじめていた。ジラルダン夫人の意志が働いているのではないということをはっきりさせる必要から、念のため、シヤルル・ユゴーとこの私にテーブルに手をあてさせてほしいと申しでた。シャルルとふたりでテーブルに着いた。テーブルが動きはじめた。私は頭のなかに、ある大物の名前を思いうかべてこう言った。)
オーギュスト・ヴァクリー──私が今、頭のなかに思いうかべている名前は、どんな名前かね?
──ユゴー
 (確かにそれが私が思いうかべていた名前だった。これを契機に私はテーブルをいくらか信じるようになった。
 少し前から心が高ぶるのを感じていたジラルダン夫人は、幼稚な質問ばかりして時間を無駄にしてはいけないと私たちに注意を促していた。何かものすごい霊が現れるのを夫人は予感していたのだ。けれども私たちはといえば、相変わらず疑いを持っていたものだから、まあテーブルには答えられまいと思いながら、紙に書いたり頭のなかに思い浮かべたりした言葉がどんな言葉かいつまでもしつこく尋ねつづけていた。テーブルは支離滅裂な文字を書きはじめた。)
ジラルダン夫人──私たちを愚弄しているの?
──はい。
 [ジラルダン夫人]── なぜなの?
──ばからしい。
 [ジラルダン夫人]── さあ、そんなら、おまえ自身のことをはなしてごらん。
──気づまり。
 [ジラルダン夫人]──何が気づまりなの。
──疑い深い人。
 [ジラルダン夫人]──何一人、それとも何人も?。
──ひとりだけ。
 [ジラルダン夫人]──何その人の名前を言ってちょうだい。
──金髪の人。
(確かに、りっぱな金髪をしているトレヴヌー氏が私たちのうちでいちばん疑い深い人だった。)
 [ジラルダン夫人]──何その人に出ていってもらいたい?。
──いいえ。
               ☆

  

               ★
(テーブルは揺れ動き、行ったり来たりして、なかなか答えようとしない。私はテーブルを離れた。ル・フロ将軍が私に替わった。今テーブルに着いているのはシャルル・ユゴーとル・フロ将軍というわけだ。)
ル・フロ将軍──私が今、誰の名前を頭のなかに思い描いているか言ってごらん。
ジラルダン夫人(ル・フロ将軍の言葉を遮るように口を開いて)──おまえは誰なの?
──娘。
  (ル・フロ将軍は自分の娘のことを考えていたわけではなかった。私はと言えば、私は甥の工ルネストのことを考えていた。私が質問した。)
オーギュスト・ヴァクリー──私はいったい誰のことを今、考えているかね?
──死んだ女性。
ジラルダン夫人(たいそう感動した様子で)──死んだ娘なの?
  (私は同じ質問を繰りかえした。)
オーギュスト・ヴァクリ──私はいったい誰のことを今、考えているかね?
──死んだ女性。
 (今や誰もが亡くなったユゴーの愛娘のことを考えていた。)

ジラルダン夫人──おまえは誰なの?

──姉妹の魂。
 (ジラルダン夫人は姉妹のひとりと死別していた。自分がある人の姉妹だと言おうとして、テーブルはラテン語で姉妹と言ったのだろうか?)
ル・フロ将軍──今テーブルに手を置いているシャルル・ユゴーと私はどちらもそれぞれ姉妹をひとり亡くしている。おまえはいったい誰の姉妹なんだね?
──疑い。
 [ルーフロ将軍]──おまえの国は?
──フランス。
 [ルーフロ将軍]──町は?
 (答はなかった。今この場に死んだ女性が確かに来ていると私たち皆が感じていた。皆は涙を流した。)
ヴィクトル・ユゴー──幸せかい?
──はい。
 [ユゴー]──今どこにいるんだね?
──光。
 [ユゴー]──おまえの所に行くにはどうしたらいいのかね?
──愛すること。
 (皆が心を動かされたこのときから、テーブルはもうためらわなかった。皆が自分のことを分かってくれていると感じたのだ。質問するとすぐにテーブルは答えた。なかなか質問しないでいると、テーブルは動き、左右に揺れた。)
ジラルダン夫人──誰がおまえをここによこしたの?
──神さま。
 [ジラルダン夫人]──目分自身のことを話してちょうだい。何か私たちに言っておきたいことがある?
──はい。
 [ジラルダン夫人]──何なの?      
──あの世のことを思って心を悩ませなさい。
ヴィクトル・ユゴ──おまえを愛する者たちの苦悩が分かるかい?
──はい。
ジラルダン夫人──その人たちはこれから先も永く苦しむの?
──いいえ。
 [ジラルダン夫人]──その人たちはもうじきフランスに帰ることになるの?
 (テーブルは答えない。)
ヴィクトル・ユゴ──その人たちが祈るとき、おまえの名前を口にしたら、おまえはうれしいかね?
──はい。
 [ユゴー]──おまえはいつもその人たちのそばにいてくれるのかね? その人たちを見守っていてくれるかい?
──はい。 
 [ユゴー]──その人たちが来てほしいと望んだら、またここへ来てくれるかね?
──いいえ。
 [ユゴー]──でも、また来てくれることは来てくれるだろう?
──はい。
 [ユゴー]──近いうちに?
──はい。
                  (午前1時30分閉会。) 

 

          【こうして最初の「彼方の世界」との交信は幕を閉じるのである。】

 

                    ☆

                 ─────略──────

                             

           降霊術の実験でも、ほかのときにも何度か「ヨーロッパ合衆国」が出てくるが、なんと事もあろうに、抽象概念である「文明」そのものがテーブルに現れて、「ヨーロッパ合衆国」の実現が近いことを予言する。それだけではなく、「文明」は、この世にみずから(つまり、文明)を押し広めるのにもっとも尽力する現代人として、ユゴーの名を挙げるのである。こうした奇々怪々なことが起こる九月十五日の実験に、「文明」の話が佳境に入るところあたりから参加してみよう。実験は昼間行われ、参加者は当初ユゴー夫人、長男のシャルル、それにオーギュスト・ヴァクリーの三人だ。途中から、ユゴーが加わる。      

                  ★
[ヴァクリー]──おまえを地上に実現するのに、もっとも功績のあった当代の人物の名を挙げておくれ。
──ユゴー
 (ヴィクトル・ユゴーが入ってくる。今、5時45分である)
ユゴー──私を待っていたのか?
──待っていた。
ユゴー]──私が話相手になろう。
──民衆は王。王はトリブーレ〔フランソワ一世の宮廷づきの道化師。ユゴーの戯曲『王は楽しむ』の主人公。服従する「民衆」を象徴する〕だ。王杖は道化の杖だ。
ユゴー──今に、夜が明ける。こう、私は、ずっと思いつづけてきたのだが、おまえは知っているか?
──知っているとも、偉大な曙を歌う偉大な鳥よ。
ヴァクリー──地上に文明を押し広める当代の偉人の列挙を続けておくれ。
──シャトーブリアン〔フランス・ロマン主義の作家。政治家としては外務大臣を勤めた〕。
ユゴー──偉人の名前をおまえが偉大だと思う順に挙げているのか、それとも偶然に任せて挙げているのか?
──偶然などというものはない。
ユゴー──列挙を続けなさい。
──ナポレオン。
ユゴー──大ナポレオンのことだな?
──もうひとりのほうは墓場のみみずだ。
ヴァクリー──他の偉人の名を列挙してくれ。
  (答はない。)
ユゴー── 名前を列挙するより、私の質問に答えるほうがいいかね?
──そのほうがいい。
ユゴー──私が今、支えとなっている戦い〔ナポレオン三世の政権に対する戦い〕を、おまえは是とするか?
──「良心」のひそみに倣うことなどしない。
ユゴー──私の未来について何か言うことがあるか?戦うこの私に。
──苦悩する者たちみんなのことを話そうではないか。
ユゴー──フランスと世界に重くのしかかっている圧政が、いったいいつ終わるか、言えるかね?
──フランスは一つの国にすぎない。
ユゴー]──フランスはそうだ。だが、世界は?
──おまえの言う世界とは一つの地平線までの広がりにすぎない。
ユゴー]── ありとあらゆる文明をおまえはつかさどっているのか?
──そうだ。
ユゴー]──さまざまな文明の努力というものは、とくに婦人と子供に向かってなされるべきだ、と私はかねがね思っているのだが、おまえも同感か?
──それに、老人に向かっても、なされるべきだ。老人も、子供と同じくらい、墓場に近いのだから。
ユゴー]──墓場と夫人のことを私が以前おまえに話したのは、とくに未来のことを念頭に置いてのことだったのだ。
──教育は、呪われた社会が受ける洗礼式だ。
ユゴー]──そうすると、おまえの思うところでは、婦人の権利と子供の権利を保証して初めて人間の権利が保証されると、われわれが考えて当然なのだな?
──そうだ。
ユゴー]──宗教と聖職者たちを分けて考えるのが望ましい〔教会権力の教育への介入にユゴーは議会で反対した〕とおまえは思うのだな?
──どの宗教も冬に枯れ、春に息を吹き返す。
ユゴー]──そう、それで、神は永遠の樹液、社会は樹木、宗教は葉なのだな。
──そのとおり。
ユゴー]──私が自分のなすべき仕事を続ける、このことについて、おまえはどう考えるか?
──おまえは仕事を続けなければならない。未来を手に、時代の先駆けとなれ。
ユゴー]──少なくとも、ヨーロッパ大陸に自由が確立されるのを、私がこの目で見て死ねると思うか?
──見て死ねると思う。
ユゴー]──ヨーロッパ合衆国は?
──見て死ねると思う。
ユゴー]──その実現は流血の革命か、それとも無血の革命によってなされるのか?
──涙に比べたら、血は何ほどのものでもない。
ユゴー]──ヨーロッパの民衆が涙にかきくれるとき、たとえ流血の戦いを起こしてでも、これを救わなければならない、おまえはそう言いたいのか?
──そうだ。
ユゴー]──あと何年したら、ヨーロッパ合衆国を目の当たりにできるのか?
──六年。
ユゴー]──あと何年、ボナパルトの支配は続くのか?
──二年。
ユゴー]──共和政が続いたのと同じ期間だな。私が垣間みたあの法則、作用に見合った反作用、満ち潮に見合った引き潮がある、というあの法則によるのか?
──満ち潮と引き潮は人類の呼吸。
ユゴー]──また来れるかね?
──ああ。
ユゴー]──おまえにまた来てもらうには、どうしたいいのか?
──霊感を受けること。
ユゴー]──立ちさる前に、何か言いおくことはないか?
──偉大なる人よ、『レ・ミゼラブル』を完成させよ

                  ☆
                           (7時30分閉会。)  

     終わりのほうで、共和政が続いたのと同じ期間、ルイ=ナポレオンの政権が続くという言葉が聞かれたが、これはどういう意味か? 二月革命によって共和政が成立するのが、1848年2月下旬。ルイ=ナポレオンのクーデターによって共和政にピリオドが打たれるのが、1851年12月上旬。この間、約3年9ヵ月、共和政は続いたことになる。この降霊術の実験が行われているのが、1853年9月中旬。ルイ=ナポレオンが政権を握った1851年の12月上旬から約1年10ヵ月の歳月が流れている。この後2年、ルイ=ナポレオンの政権が続く、とテーブルは言っているのだから、通算すると、ルイ=ナポレオンの支配は約3年10ヵ月続くことになる。共和政の持続期間とテーブルが主張するルイ=ナポレオンの政権の持続期間はほぼ一致する。このことをユゴーは指摘しているのだ。また、最後で、「文明」がユゴーに、『レ・ミゼラブル』を完成させよ、と命じているが、これにこたえるかのようなことをユゴーは実際に行っている。『レ・ミゼラブル』という題名で一応総括できる『レ・ミゼラブル』の下書きを、ユゴーは1845年11月から1848年2月にかけて執筆していた。この原稿に本格的に手を入れはじめるのは1860年4月、つまり出版の二年前なのだが、このテーブルの勧告を受けた二ヵ月後、1853年11月に刊行された『懲罰詩集』の裏表紙の近刊予告に、ユゴーはこの小説の広告を出す。そして、その際、初めて『レ・ミゼラブル』というタイトルを使っている。

 

               ─────略──────

                                      ★

1855年7月2日、月曜日、[午後]9時30分。
出席者で記録係──アリックス氏。
シャルルとユゴー夫人がテーブルに着く。
十分経って、テーブルは自分のほうからコツコツ叩きはじめる。

──明日というのは「永遠」の苗字であり、今日というのは「永遠」の名前だ。芸術は美の良心。
  幸福は星の蜜であり、人間は諸々の世界の蜜蜂だ。神は恒星たちの入る蜂の巣の主だ。善良であること、それは自由であること。憐憫は苦しみの鍵。人の苦しみを慰めることは自分自身の心をしずめることだ。涙はそれを流すほうの傷も、流されるほうの傷もひとしなみに癒してくれる。愛といっしょになれば、涙は喜びの贈り物。子供はみな死体を挿し木にしたものだ。墓地は神の温室なのだ。
ユゴー夫人──知ってのとおり、私たちに降霊術の手ほどきをしてくれたのはジラルダン 夫人です。

  夫人について何ひとこと言ってくれたら、私はとてもうれしく思います。
──死んだばかりの人のことは、われわれは話題にはしないのだ。真新しい墓穴は広大無辺なる存在に所属する。新たに復活した者たちに対しては、神自らが話がある。死者たちが沈黙しているのは、実は、神が彼らに話をしているからなのだ。話をする死者たちもいれば、話を聞く死者たちもいるわけだ。
 [ユゴー夫人]──ありがとう。おまえの名前を言ってくれる?
──イザヤ〔旧約聖書に登場する予言者・神に対する信頼を常に持つよう説いたことで知られる。〕                   (午前0時35分閉会。)
                        ☆                                                    

                               【これが「降霊術の記録」最後の記録です。】

 この最後の記録はユゴーたちの降霊術のきっかけを作ったジラルダン夫人が三日前に亡くなり、この実験の行われた7月2日は、ちょうど夫人の葬儀の日に当たっていました。
ユゴー、ジラルダン夫人を「あの偉大な魂の持ち主」と呼んで、その死を悼んでいる。

こうして、2年間におよんだ降霊術の実験は、その冒頭の記録で主役を演じたジラルダン夫人に再び話を戻すことで、そして、その生命の終わりを話題にすることで、時間の円環をあまりにもぴったりと閉じる形を取るのである。「彼方の世界」の住人となったジラルダン夫人は、ついにユゴーの生前、ユゴーの前に現れて語り出すことはなく、降霊術というパンドラの匣(はこ)がユゴーよって再び開かれることはこののち、ついになかった。 

 ※ この時代の背景には、1848年のフォックス姉妹のポルターガイスト現象があり、1854年頃には、アメリカではなんと300万人以上の降霊術の愛好者と約一万人の霊媒がひしめいていました。これら交霊会に参加し、すべてを信じていた著名人には、アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーンとその妻メアリー・トッド・リンカーン、社会改革者ロバート・オーウェン、ジャーナリストで平和主義者のウィリアム・トーマス・ステッドなど、また、進化生物学者のアルフレッド・ラッセル・ウォレス、電話の発明者アレクサンダー・グラハム・ベル、テレビ技術の発明者ジョン・ロジー・ベアード、発明家トーマス・エジソンの霊とコンタクトしたと主張した人物などなどです・・・・・・・・!!。

  

  夢解釈!~13の大祓祝詞「太祝詞言」 の一つとされる「一二三祝詞の解説です。

         ひ ふ み 祝 詞(意訳)

 

ひふみよいむなや こともちろらね しきる
ゆゐつはぬ そをたはくめか うおえ にさりへて
のますあせえ ほれけ

 

   神道家の大家と言われる人達によれば、この最初の「ひふみよいむなやこと」は、「1・2・3・4・5・6・7・8・9・10」であり、「ひと、ふた、みぃ、よぉ、いつ、むぅ、なな、やぁ、ここのっつ、とぉ(と)」であり、宇宙創成の魂の進化を表しているとされていますが、そのあとの解釈がありません。ここに全文を解説している意訳の解釈を紹介します。

 この祝詞「太祝詞言」として祈る時のリズムは巫女舞の時や繰り返し朗詠される時など4・5種類あるようです。

ひふみ祝詞の解説 (ある巫女の霊感と感応による)

ひふみよいむな
天照大神(みこ又は天皇)が人の前でお祈りをしている

※ みこは、人々の生活を守り、いく世もの間、過ごしてきた。

やこともちろらね
 火を守り、人を守り、長い時間、幾世代をも過ごしてきた
ヤコトモ-火の神のみ光をいただいて、人々を守り

しきる
天地(あめつち)のミコ、豊作の神に感謝して

ゆゐつはぬそ
 天候の神、海山の獲物の恵みに


 感謝し
チロラネ シキル ユヰツハヌソ ヲ──人々は豊作の神に感謝し、海の神山の神、きまた天候の神に感謝していた。

たは
父なる神、天なる神
タハ クメカ ウオエ ニサ リヘテノマス──天なる神、地の神、兄弟姉妹の神々よ、万物全ての神々よ

くめか
母なる神、地なる神

うおえ
強大な神々よ、万物めくるめく神々よ

にさ
集まりたまえ

りへてのます
集まれ、祝われよ

あせえほれけ
明日に向かって、栄えよ
アセエホレケ──天地万物の神の恵みに感謝し、額に汗して働こう


みこは、天地万物の神々に感謝し、人々が明日に向かって栄えるよう祈りつづけよ。みこに守られし人々よ。ここに集え、祝われよ。

 

 

   ※ パリのノートルダム大聖堂の夢解釈!~15  で最終 となりますが、この最終は「黒い聖母の秘密」です、これが大聖堂の本質です、それらの資料の収集と読み込み、そして編集するために期間を要しますので、

次回シリーズの『 視霊者の夢 』の夢解釈 ! を随時公開していきます。  

 

パリのノートルダム大聖堂の夢解釈! ~13

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伊勢神宮 宇治橋から望む朝日

(「ユゴーとオカルト」の編集が滞っているために「特別編」として、このブログを公開します。 次回に「ユゴーとオカルト」「ひふみ祝詞」を書き込みします。)


神秘主義について (宗教・宗派を超えて)  特 別 編  

                  

    コラム⑤その②でコメントしたAさん が、高校生の頃、ある神宮の巫女さんのアルバイトをしていたときの話です。その神宮の本殿には、神様がいないという違和感があったそうです。どうも神様は別の方角のご神木から出てこられると感じるということでした。そこで、神主さんたちに、それらのことを話したら、そのご神木の方角は、もともと本殿があった場所で、火災により引っ越しして、今の場所に本殿を造営したのだそうです。それで、関係者が相談して、ご神事を執り行い、現在の場所に遷宮されたということでした。それを、自分の霊感能力はすごいんだとばかりによく話していました。これはコンタクトされた2、3割の有益で正しい情報の一例です。

  正月等で神社参拝をなされるとき、「天津祝詞」や「大祓祝詞」を拝聴することがあると思いますので、ここに特に大祓祝詞の古式である播磨古式の「大祓祝詞」について述べます。

※ この解説文は、2010年11月に尾畑雁多氏のホームページに投稿した内容を編集し直したものです。

(以下の内容の全体は、編集者(たなすえ)の理解・考え・意見ですが、※印の陰陽師口伝は、播磨陰陽師 尾畑雁多氏によるものです。)

 この大祓祝詞は、一般に知られている神社本庁の大祓祝詞に対して、大きな相違の部分があり、通常の大祓祝詞を知っている方達には疑問となる箇所について、特に述べています。 

       大祓祝詞(播磨古式)の解説

 高(たか)天(ま)原(のはら)に神(かむ)づまります 皇(すめら)が親(むつ) 神漏岐(かむろき) 神漏美(かむろみ)の詔(みことのり)を以 (も)ちて
高天原(たかまのはら)]が一般的ですが、古事記冒頭には「訓高下天云阿麻下效此」とあり、天はアマと読むように指定されています。それでも古い神社の 一部では、今も「たかまがはら」と読んでいるところもありますが、まちがいであるとされています。また、伝統により、中ほどの「高天原」は「たかまのはら」と読むのに対して、冒頭は「たかまがはら」と読む矛盾の伝統がみられます。
正しくは「たかあまはら」「たかあまのはら」と読むべきものと思われます。
 ※ 陰陽師口伝では、【 冒頭部分、「高天原……」は、標準の場合「たかまのはら」と読みます。「たまあまはら」あるいは「たかあまのはら」の読み方も ありますが、これは使い道が違います。つまり、標準とは違う場合に使います。
 「たまあまはら」は、「玉津天原《たまつ・あまはら》」のことで、津の部分は小さな発音になっていることから、省略されたものです。
 この「たまツ」または「たま」は、美称《びしょう》です。美称は、上品な言い回しのことで、多くの祝詞に登場します。例えば、「はや・あきつひめ」の 「はや」も美称です。また、「たけ・イカヅチの神」とか「たけ・スサノオのミコト」の「たけ」も美称です。
 ですので、「たまあまはら」と言った場合は、高天原を「天原《あまはら》」と呼んでいる宗派が、美称を使ったものです。これは、神仏習合系の神道祝詞に多く伝わっているようです。
 「たかあまのはら」については……正確には「たか・あまの・はら」と区切って発音します。これは、大祓祝詞を真で使う時の読み方です。
 古くは、「たか・あまヌ・はら」と発音し、「ヌ」の部分を「の」と「ぬ」の中間の音で、小声で発音します。これは、大祓祝詞をより正確に唱える場合…… 特に厳密な儀式の場合に使う発音です。 】とのことです。
[神漏美の命を以ちて]が一般的で、「命」(みこと)が「御事」の意味のときは、神や人を尊んでいう場合であり、「御言」の意味のときは、言葉であり、 「詔」(みことのり)ですから、このように明確に表現する方がすっきりしますね。又「神漏岐」の[岐]はキと読む万葉仮名ですから、ギではなくキとなりま す。
 ※ 陰陽師口伝では、【 「かむろき、かむろみ」は、「かむ・ろ」に対して「き」と「み」で呼びわけ、陰陽を表していると伝わります。ここは正式には 「かむ・すべら・お・きみ」と「かむ・すべら・め・きみ」ですので、「かむろき」と「かむろみ」は、その略式と言うことになります。
 略式の「ろ」は、「る」と「ろ」の中間の発音ですので、「かむるき」とか、「かむろき」とか言った場合が多数あります。ですので、次も「かむ・る・み」 または「かむ・ろ・み」と発音しますが……ただし、標準の場合は「かむ・ろ・み」としています。】とのことです。

★ 吾(あ)が皇御孫(すめみま)の 天(あめ)の握石(にぎし) 国(くに)の握石(にぎし) 空津彦(そらつひこ) 彦火(ひこほ)の瓊瓊杵(ににぎ)の命(みこと)は
[我が皇御孫の命は]が一般的で、「ニニギの命」を表現していながらも、一般の大祓祝詞では明確に示さないままであり、このように明確に表現されている方 がよいように思いますが、皆さんは、どのように感じておられるでしょうか!。

★ 豊(とよ)葦(あし)原(はら)の中津(なかつ)の国(くに)を 安国(やすくに)と平(たいら)けく知(しろ)し召(め)せと 天降(あまくだ)し 言依(ことよ)さし奉(たてまつ)りき  …………… …………… 四方(よも)の国中(くになか)と 豊(とよ)葦(あし)原(はら)の水穂(みずほ) の国(くに)を 安国(やすくに)と定(さだ)め奉(まつ)りて
[豊葦原の瑞穂の国]が一般的で、秋田県唐松神社の物部文書の大祓祝詞がこれと同じで[中津の国]となっており、またこの箇所と対となる後の[四方の国中と大倭日高見の国]が一般的な箇所でも、この物部文献では[豊葦原の瑞穂の国]となっており、その共通点に何らかの接点があっただろうと考えられます。
「中津の国」「瑞穂の国」ともに日本の国ではあるが、特定の地域として限定していないと言うことがいえると思います。
 ※ 【 播磨陰陽師口伝では、「中津の国」は国の名としてではなく、「豊かなアシの原の中にある土地」と言う意味で、「まだ、あまり開拓されていない土 地である。」と言う意味も、含んでいます。それで、「豊葦原の中津の国」と言う言葉が使われたのです。
 そして、それを「安国と、平らけく知ろしめせと……。」とあります。
 この時の「安国」は、「平定された土地」あるいは、「統治された土地」を意味する言葉で、やはり国名そのものではありません。
 意訳になって、少し感じが違いますが、「平和に統治することを告知せよと……。」と言うような意味です。
 そして、その後に、そこを「豊葦原の水穂の国」と呼んでいます。これは、少し統治され始めたことを意味しています。
 大祓祝詞は、少しづつ、物語が進行して行く形式を持っています。 】 とのことです。

★ かく言依(ことよ)さし奉(たてまつ)りし 国中(くぬち)に なお荒(あら)ぶる国津神達(くにつかみたち)をば
荒らぶる神を国津神と限定されているのが明快ですね。

★ 草々(くさぐさ)の罪事(つみこと)は 天津罪(あまツつみ) 国津罪(くにツつみ) ここだくの罪(つみ)出(いだ)してん ……… かくのごとく  罪(つみ)出(いだ)してば

ここで天津罪・国津罪の個々の罪状を述べる大祓祝詞もあるのですが、それらを言葉に表すということは負の言霊を発するものであるから、言葉に出さないで心の中で唱えるとする播磨古式・大祓祝詞の賢明さが大変納得できるものです。
 ※ 【播磨陰陽師口伝では、天津罪と国津罪は……祝詞の中にあって、けっして発音されない部分と伝わっています。罪の内容を、声を大にして唱えては、言葉穢《ことばけが》れになるとも伝わっています。ですので、一部の流派では、その部分を大祓祝詞から削除し、あるいは無言か、あるいは小声で唱えるとされています。
 しかし、この部分は……播磨陰陽道では……心の中でイメージすることになっています。言葉そのものは、暗記していますが、唱えません。
 イメージすることにより……罪、咎、過ちが、どのようなものであるのかを、心に、深く、かみしめるのです。
 そして、その時に、自分自身の中にある罪等を、同時にイメージすることになっています。その後、この祝詞の最後の部分で、はや・さすら姫が登場して、そのすべてのさすらいを許され、罪等が、祓われるのです。
 ですので、最後の部分で、「すべてが、心の中から開放され、祓われ、清められることを目指して、この大祓祝詞を唱えるのだ……。」と伝わっています。  】………とのことです。
それから、この箇所の罪状の中に、近親相姦と見られる罪状が述べられていますが、それは、
 ※ 【 母の前で娘を犯す罪と、娘の目の前でその母親を犯す罪のことです。これは、大きな悲しみと厄を生む原因とされています。
 それは、太古に、この大祓祝詞がつくられた時、深い罪として認識されていました。これらを簡単に言うと、縄文時代の戦いで、勝者が犯した罪のことを言っているのです。
 そして、「生き剥ぎだち」と「死に剥ぎだち」も同じ、深い罪です。これは、身分が体にイレズミされていた時代でしたので……勝者が、敗者の皮膚を剥いで、身分を下げたことを、大きな罪としています。 】 と理解しているとのことです。

★ 天(あめ)の御蔭(みかげ) 地(つち)の御蔭(みかげ) 日(ひ)の御蔭(みかげ) 月(つき)の御蔭(みかげ)と隠(かく)りまして 安国(やすくに)とは 平(たいら)けく知(しろ)し召(め)さん
この箇所の前に  
 ★ 皇御孫(すめみま)の命(みこと)の瑞(みづ)の御(みあ)殿(らか) 仕(つか)え奉(まつ)りて とあります
(意訳……天照大神の御子孫として生き生きとした御殿を造営して(―人々をして―)奉仕する) 
「隠りまして」は建物の中に隠れ籠もるのではなく、目に見えない背後での働きをいっているようです。古事記に「独神に成りまして身を隠したまひき」などとあります。私たちの自然の背後にあって、天地自然のめぐみや働き、太陽のめぐみ、月の運行や働きなどにおいて、私たちは生かされ、育まれているといえるでしょう。つまり、「おかげ」であり、私たちは、上からの恵みや誰かれの恵みで保護されていることを「お陰をうける」といっていますね。
この箇所は一般的に「天の御蔭、日の御蔭」であり、建物の中に籠もることなどと理解されたりしていますが、
 ※ 【播磨陰陽師口伝では、伝わった正式なものは、
 「天《あめ》の御蔭《みかげ》、地《つち》の御蔭、日《ひ》の御蔭、月《つき》の御蔭。」です。これを「天の御蔭、地の御蔭。」と「日の御蔭、月の御蔭。」の二種類に、分けて使います。
 曰く、「神職は、一般に……天の御蔭、地の御蔭を使い……陰陽師は、日の御蔭、月の御蔭を使うとなり。」とありますが、後に、この祝詞が、神職陰陽師であげるものではなくなり、その時に、「天の御蔭、日の御蔭。」に変化したものと伝わります。
 本来、大祓祝詞は、ひとりであげる種類のものではありません。
 神職と、陰陽師が、ふたりであげるのを正式としています。】 とのことです。
 ◆ 特にこの箇所をこのように知り得たとき、播磨古式・大祓祝詞は、真に一子相伝の口伝が伝えられていると確信したものです。太祝詞言とともに………。
 ◇ こんな歌があります。
 天地(あめつち)を 照らす日月(ひつき)の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ
 ◇ 神様の大御心は、天地日月の心でもあります。

★ 天津祝詞(あまつのりと)の太祝詞言(ふとのりとこと)を宣(の)れ
単純に読んでみると「太祝詞言を宣れ」としながら、何も宣らないで、「かく宣らば」とする一般の大祓祝詞はいかがでしょうか。大祓祝詞全体が「太祝詞言」 だとすることには疑問が残ります。
この祝詞の箇所は秘言であり、播磨古式・大祓祝詞のこの箇所は、隠されていた太祝詞ではないかと思っています。
[一部では、「アマテラスオホミカミ」や「ひふみ祝詞」(物部文書等による)《 この祝詞については、次回 ブログ~14 で解説します 》、「トホカミエミタメ」(これはフトマニの占いの時に使用するもので完全に否定されている)などが言われていますが………。]
 ※ 陰陽師口伝では、【「天津祝詞の太祝詞事(この字は言で良いですが)を宣《の》れ……。」とあります。この「宣れ」は、誰か他の人に対して言っているのです。
 この時、正式には……陰陽師が、太祝詞事を宣ります。
 つまり、神職が、
 「陰陽師に対して……天津祝詞の太祝詞事を宣れ……と宣言するのだ。」と伝わります。
 そして、その言葉は、天の岩戸の前で使われた言葉を基本としています。
 まづ、「遠神の御霊屋、参り。」と宣言します。
 これは、「トオカミのミタマヤ、まいり。」です。
 天の岩戸に参ることを意味しています。
 そして、 「遠神の恵《え》みため、参る。」と宣言します。
 これは、 「天照大神のために、ここに控えて参ります。」と、言うような意味です。  それから、
 「ひと、ふた、み、よ……。」と宣《の》り、続いて、「いつ、むゆ、ぬ、なな……。」とします。この時の「ぬ」は「~の」と言う意味で使われます。
 そして、
 「やぁ。」と、神職が、ヤァと声をあげます。
 ひとりでこれを行うときは、そこだけ調子を変えて「やぁ~」と言うように叫ぶことになっています。
 そして、最後に、「ことのたり。」と宣言します。
 これは、「ことが足りる」と言う意味です。
 意訳すると、
 「一、二、三、四。(息を吸う)五、六の、七……やぁ。(息を吸う)ことが足りる。 」となり、最後に「おー」とオタケビをあげます。
 この時のオタケビは、本殿の扉を開く時に神職があげる「お~」と同じものです。
 その「お~」を四回、力をこめて叫びます。
 この時は、天の岩戸が開くことをイメージします。

 これらは総じて、天の岩戸を開ける神事に準じています。
 ですので、その次の文章が、
 「……かく宣らば、天津神は、天《あめ》の岩戸《いわやと》、押《お》し開《ひら》きて……。」となるのです。】 とのことです。
 ◆ 一つの理解として、「天の岩戸」とは、心の扉を意味しています。
「私は今、心の扉を開くところです。そのため、心の準備をし、天の数え歌のかけ声とともに心の扉を開きはじめます。そして「おーおーおーおー」と神迎えの 聖音とともに心の扉を開けるのです。そのようにするならば、私たちは、天の岩戸である心の扉を開くことができます。そのとき私たち人の心は、神の心と一体となるのです。………  とでもなるのでしょうか。
 ◆ ある神秘家の説によると、ここで「天津祝詞の太祝詞事を宣れ」と「太祝詞言」ではなく「太祝詞事」と記されているのは、ここで実践するとよいとする 「天津祝詞の太祝詞事の行」のことを言われているとのことです。それは、一般に公開してはならない秘事といわれることなのですが、現在では、真摯に心より 神を敬い、真理を求める方たちには知ることができるようになっているようです。
一種の呼吸法のようですが、単に超能力を求めるためだけなら、それは本人にとっても、社会にとっても知らない方がよいことでしょう!。
 ◆ 一般の私たちは、日々にこの大祓祝詞を唱える習慣をつけることで十分でしょう。
※「ひふみ祝詞」については、 次回 ブログ~14 で述べます。

★ 国津神(くにツかみ)は高(たか)山(やま)の末(すえ) 短(みじか)山(やま)の末(すえ)に登りまして
[たか山の末 ひき山のすえ]と一般に言われていますが、「短」の漢字が当てられていることから、もともとは「みじか山」と読まれていたようです。

★ 高(たか)山(やま)の深霧(いきおり) 短(みじか)山(やま)の深霧(いきおり)を かき分けて聞(きこ)し召(め)さん
[タカ山のイホリ ヒキ山のイホリ]と一般に読まれ、又は「イオリ」「イボリ」とも読まれたりしていますが、意味不明とされながらも「雲や霧」を表すと言われています。
ものの解説本によれば建物の「庵」(イヲリ)をあてて「建物をかき分けて」などと解釈しているものもありますが、理解に?がつきます。
修験道の一部の祝詞に、「息降り」の漢字を当てたものがありました。霧のことなのですが、深山や森の息吹きを表していて適切だと思いました。 以上、「イホリ」より「イキオリ」がすっきりして、よく理解できると思いますが、いかがでしょうか。

★ 科戸(しなど)の風(かぜ)の 天(あめ)の八重雲(やえくも)を吹(ふ)き放(はな)つことのごとく
★ 朝(あした)の御霧(みぎり) 夕(ゆうべ)の御霧(みぎり)を 朝風(あさかぜ)夕風(ゆうかぜ)の吹(ふ)き掃(はら)うことのごとく
★ 大津辺(おおつべ)におる大船(おおふね)を 舳(へ) 解(と)き放(はな)ち 艫(とも) 解(と)き放(はな)ちて 大(おお)海(うみ)原 (のはら)に押(おし)放(はな)つことのごとく
★ 彼方(おちかた)の繁木(しげき)が本(もと)を 焼(や)き鎌(がま)の敏鎌(とがま)を持(も)ちて 打(う)ち掃(はら)うことのごとく
この箇所は、祓うことのたとえをいっているのですが、
個人的な見解として「天の八重雲」は、日々の生活からくる、心のにごりや穢れをいい、「朝の御霧 夕の御霧」は悩みごとをいい、
 ◆ 《この霧には、尊敬をあらわす接頭語の「御」が用いられています。それは、悩みごとや心のにごり、穢れなどは、単に悪いものではなく、それを乗り越えたとき、私たちの心の成長、魂の進化へと導く要素を持つものだからです。ですから、単に祓えばいいということではなく、これを機会にいつも清められた心でなければいけないということでしょう。そのため、悩み事に「御」が用いられているものと理解しています。》
「大津辺におる大船」とは、私たちの肉体にしばられている心をいい、「彼方の繁木」とは、個人がしたものではないが、外からふりかかってくる穢れなどと思って唱えているのですが、皆さんはどう理解されているでしょうか。

★ 天津神(あまツかみ) 国津神(くにツかみ) 八百万(やおよろつ)の神(かみ)々(がみ)共(とも)に 諸々(もろもろ) 聞(きこ)し召(め)す ものをぞと宣(の)る
この部分は延喜式の「六月晦大祓」では、宣(のりたまう)とあります。これは、前段最後の「宣れ」と対をなすものと思われます。
播磨陰陽師では、祝詞は「のる」から「のりと」だとします。ですから、この大祓祝詞では、「宣れ」がありますから、「宣る」とする宣命体の方がしっくりするように思われますが、いかがでしょうか。

 ◆ 祝詞とは、「祈りの言葉」であり、「いのり」とは意を宣べることであり、心の中にある願意を口に言い表すのが「祈り」であるといいます。ただぼんやりと思うことには、迷いの念が伴うことがあります。思考をハッキリとした言葉に載せることによって、それは、理路整然とした正しい思想に組み立てられてい くのです。
 奏上体は人が神に向かって宣べる場合であり、宣命体は、上の者が下に向かって宣べる場合であり、「神の祈り」でもあります。
私たちが大祓祝詞を唱えるときは 
「神もまた自分とともに祈っていて下さっているのだ」
            との確信のもとに唱えられてください。
ところで、例えば、天降し言依さし奉りき(たてまつりき)の「奉」は古くは「まつる」とのみ読み、時代が下りて「たてまつる」と読むようになったものといわれておりますので、播磨古式・大祓祝詞は、必ずしも、すべての箇所が古式そのままではなく、改作されている箇所もあると思われます。しかし、同じく 「奉」を「たてまつる」と読む江戸時代の大祓祝詞があるのですが、こちらはすべての「奉」の箇所が「たてまつる」と読まれています。これに対し、古式・大祓祝詞では、「四方の国中と豊葦原の瑞穂の国を安国と定め奉りて」「皇御孫の命の瑞の御殿仕え奉りて」の箇所では「まつりて」と読まれています。このように、この大祓祝詞は、細かい点にいたっても、緻密に漢字の読みがなされ、非常によく出来ている祝詞だと感じています。

★ 播磨古式・大祓祝詞は、古式が残っている大祓祝詞だと考えています。

以上、一般的な大祓祝詞(神社本庁が昭和三十一年に改訂・制定した)と播磨古式・大祓祝詞のいくつかのちがい等について述べました。特に一般の大祓祝詞を知っている方にとっては、この祝詞を唱えることに、はじめは違和感が感じられると思いますが、しかし、空んじられるほどになってくると、こちらの祝詞の方が内容もよく理解しやすく、自然な感じになってくるのではないかと思っています。これは公開されており、播磨古式・大祓祝詞を末永く、大切にして、唱えられて、日々親しんでいただければと思います。(^_^) 

 [ 宗教において、神秘主義は、宗教・宗派を超えて共通のものがあります。また宗教から神秘主義を取り除いたら単なる道徳となるでしょう!!。]  

パリのノートルダム大聖堂の夢解釈! ~12

 神秘主義について

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 神秘(オカルト)の世界には薄いヴェールがかかっていて、ふつうの感覚ではとらえられないといわれる。アーサー・ラッカム(1867-1939)のこの挿絵は、パンドラが箱をあけ、悪霊たちがそこから飛びでるところ──特別そなえのない人間が、こうした企てに臨み、あの薄いヴェールを持ちあげてしまえば、かならずや身に危険がおよぶという観念を完膚なきまでに表現した神話上の物語──を示している。じっさいの神話では、パンドラの箱(神々からの贈りものとして彼女が持参した)は、パンドラの夫エピタテウスによって開かれる。そしてすべての禍が箱から世界へと逃げこんだとき、ただひとつ「希望」だけが箱に残っていて、人間にもまだ利用できたのだった。オカルティズムの主張するところ、ヴェールというのは、目で見てわかる世界のようすにほかならない。その背後に、秘伝のイニシェーションの実践を通じて特別な洞察力や意識を発達させた者しか近づくことのできない、もうひとつの現実が存在するのである。
  (『オカルトの図像学』 フレッド・ゲティングス著  青土社刊 より)

 

 オーエン・S.ラクレフの『オカルト全書』(藤田美砂子訳)の序文にアイザック・バシェヴィス・シンガーがこう記している。

 「オカルトというものを生み出したのは、人の心である。人の生死、性、その他あらゆるものに疑問を覚えるところから、オカルトは生まれたのである。絵を描こうとするとき、画家はまず人々の想像から着想を得、それから自分自身の想像力を働かせることによって、漠然とした魔術的・神秘概念に具体的な形を与える」

 「オカルトは、神秘主義という人類最古の科学であり、最古の宗教でもある。いずれも、人生にまつわる根本的な疑問に対し、答えが見つからないところから生まれた。疑問を覚えたとき、想像力が豊かな者なら、自己の内に向かい、答えを精神の世界に求めようとする」 

今回は神秘主義について話をしていこうと思う。それにしても神秘主義っていったい何なのだろう。神秘主義mysticisme、オカルティスムoccultisme、魔術magie……厳密な区別はさしおいて、ここではそのすべてをひっくるめて神秘主義と呼ぶことにしたい。あらゆる宗教形態は神秘主義であるといえるし、魂と神の合一を求めるものもこの名称で括られるだろう。

 だが、天使や精霊などを召喚して世界と人間の進化を求める「白魔術」と、悪魔や悪霊に奉仕する「黒魔術」があるように、よかれと思って生まれた神秘主義のなかにも邪悪なものへと変質していったものが多々あることを忘れてはならない。全般的に善を求める神秘主義の根底にあるものはある種の救済論である。

 プラトンによれば永遠不変のイデア界に似せて善性を本性とする神デミウルゴスが世界を創造したが、既に存在する物質を材料として使用したために、世界は不完全なものとなってしまった。そのため物質界はイデア界を手本にして変貌していかなければならない。グノーシス派では原初の世界は至高神アイオーンによって創造されたが、私たちが住んでいる世界を創ったのはこれよりも劣るヤルダバオートあるいはデミウルゴスと呼ばれる神であった。これは旧約聖書における創造主の神に匹敵するもので、プラトンの考えと同じように世界の創造の素材として物質が使用された。それ故、人間は神の霊を持ちながら肉体という牢獄に繫がれていることになる。救済のためにはグノーシス(霊知)が必要であるというのが、グノーシス派の基本形である。

 旧約聖書の「創世記」では、アダムとイヴは神から禁じられていた知惠の実を食べて堕落したが、その発端は蛇がイヴを騙したことによる。そこで正当キリスト教では蛇は悪魔の象徴と見なされる。しかし物質的世界を悪と考えるグノーシス派では、アダムとイヴに木の実を食べるように促して「霊知」を授けた蛇は善なるものの象徴だった。ウロボロスと呼ばれる自分の尾を嚙んでいる蛇の図像は、自らの死と再生を意味し、グノーシス派においては復活したキリストの象徴となる。この円環状の蛇は初めと終わりを示し、ヨハネ黙示録の21 章6 節の「わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである」というキリストの言葉と呼応している。

 さて、ウロボロスを重要な象徴として用いているものに錬金術がある。ウロボロスの象徴に言及する前に、まず錬金術の基本形について話をしておかなければならない。錬金術師たちは黄金変成、不老不死を目的のひとつにしたが、究極の目的は上記の救済論にあるように、不完全な人間が神のような存在になることにある。しかし神のようになって世界を自分の意のままにしようとするなら、それは黒魔術に堕してしまう。錬金術師たちは霊的にも自分を高めるように精進しなければならない。

 彼らが不老不死を追求したのは、病を治癒する薬を得ること、すなわち不完全な状態から完全な状態へといたることを意味したのである。では黄金変成はといえば、不完全な卑金属を完全なものであると考えられた金へと生成発展させることにあった。

 錬金術では金属は鉄→銅→鉛→錫→水銀→銀→金という変成をたどるが、それに必要なものは「賢者の石」pierrephilosophale である。これを手にすることができれば不老不死も宇宙の完成も可能になるという代物で、これを哲学者の卵と呼ばれるフラスコで創り出すことに躍起になる者が多かったが、達人adepteと呼ばれる人たちはこの作業と同時に霊的に高まることをも同時に追求した。錬金術師というと詐欺師という言葉がすぐに連想されるが、黄金変成に成功したと偽る者、あるいは富だけを求める者がいたことに由来する。だが真の錬金術師とはadepte のことをいうのである。

 (白水社 Webマガジン『ふらんす』「19世紀のオカルティストたち」 

                         中村隆夫より引用)

ユゴーとオカルト

お 知 ら せ

    ユゴーの亡命中のジャージー島での交霊会の様子の資料が入手しましたので、長文となるため、次回のブログ~13 で書き込みします。 

                           

                             ユイスマンスとオカルト

「ある女は、まる裸になって仰向けに寝ころぶと、両手で自分の乳房を握りしめながら両脚をばたばた蹴り立て、またある女は、急にみにくい藪にらみとなり、お尻を突きだして腹ばいになり、こッこッと牝鶏のように鳴き立てたかと思うと、不意にものが言えなくなって、口を大きくひらき、舌を巻き込んで上あごに押しつけた」(松戸淳訳)。
 これはJ.K.ユイスマンス(1848-1907)の『彼方』(1891)の黒ミサの場面を描写した部分である。彼はゾラの門下となった自然主義の時代、『さかしま』(1894)に代表されるデカダンスの時代を経て、心霊自然主義あるいは神秘的自然主義の時代へといたる。この最後の時代の始まりを画する作品が、この『彼方』である。後にカトリックに改宗したユイスマンス悪魔主義からカトリック神秘主義へと移行していく。その代表作は『大伽藍』(1898)であり、『腐爛の華』(1906)である。
 ユイスマンスは徹底して文献資料を渉猟し、フィールドワークを行うことで知られている。『彼方』を執筆するにあたって多くの資料を探し、悪魔主義の実体を知るために接近したのがブーラン元神父(1824 -1893)だった。本名はジョゼフ=アントワーヌ・ブーランで、彼は神秘主義的マリア信仰、終末論を信奉し、またさまざまな事件を神の意志によるものと解釈する傾向を強く持つ。さらに教義の重要な部分に「修復」という考えを位置づけていた。これは不信心や瀆神などの罪を、特別な祈りやカトリシズムの実践によって浄化しようとするものである。
 ブーランは神父らしからぬ事件をいくつも起こしていた。1860年には修道女で彼の愛人となるアデル・シュヴァリエが子供を産んだのだが、ブーランが生まれてまもなくその子を殺害したというのだ。また1861年にはアデルと共謀してサン=ガブリエル修道院のシメオン神父が信者たちから集めた多額の寄付金を横領したという詐欺罪により、懲役3年の刑を受けている。1869年には何度かにわたって悪魔祓(ばら)いや催眠術などによって修道女らの治療を行ったことで告発されてもいる。ついに1875年2月1日、パリ大司教J=H.ギベールはブーランにカトリック教会からの永久追放を宣告した。
 ユイスマンスはこの元神父と会うため、スタニスラス・ド・ガイタに紹介してくれるように依頼した。しかしにべもなく断られてしまった。ガイタの秘書で神秘主義者でタロットの達人オズヴァルト・ヴィルト(1860 -1943)あるいは詩人・評論家のレミ・ド・グールマン(1858 -1915)の愛人ベルト・クリエールを介してブーランと会ったようだ。おそらく1890年のことである。しかしこれより前の1887年、ガイタ、ヴィルトらは秘儀法廷の名でブーランに死刑宣告をしていた。ここから「呪い合戦」が始まった。ガイタの批判は主に3点あり、①誰彼かまわぬ性の放縦、②不倫や近親相姦、獣姦、③夢魔との交接、自慰行動をブーランとその信徒たちが実践していたというのである。実際、ブーランの教義には「生命の交わり」というのがあり、それは生殖器官の穢れを祓われると、原罪を免れた選ばれた存在が誕生するという教理である。
 1893年1月4日、ブーランはリヨンで急逝した。彼の死の様子を家政婦のジュリー・ティボーが手紙でユイスマンスに伝えている。「夕食の時間が来ました。あの方は食卓につき、たっぷり召し上がりました。とても陽気でいらっしゃいました。さらにゲイ家の婦人たちのところへいつもの訪問もされました。戻っていらっしゃると、すぐにお祈りの用意が整うかと私に尋ねました。数分後、あの方は気分が悪くなり、『一体これは何事だ?』と叫び声をあげられました。そう言いながらくずおれてしまったのです。[…]断末魔の苦しみが始まりましたが、それは2分と続きませんでした」。
 この突然の死を知ったユイスマンスは、「黒魔術の勝利で始まるとは、1893年は怖ろしい年です」と手紙に書いている。彼は詩人・小説家・ジャーナリストでブーランからオカルティスムを学んだジュール・ボワ(1869 -1955)に自分の考えを伝えた。するとボワは「ジル・ブラース」紙に「私は、ブーランの予感、ティボー夫人とミスム氏の見た予兆、死んだこの男(ブーラン)に対する薔薇十字カバラ団のヴィルト、ペラダン、ガイタの疑う余地のない攻撃について書くことが自分の義務であると考える」と書いた。この記事はガイタらがブーランに呪いをかけたことを糾弾する趣旨のものだった。「フィガロ」紙に掲載されたユイスマンスへのインタビュー記事には、「ガイタとペラダンが黒魔術をしているのは事実です。あの気の毒なブーランは彼らが絶えず送り続けていた悪霊と2年間ずっと戦っていました」と書かれている。
 こうした記事が幾つも掲載されると、我慢していたガイタもさすがに怒り心頭に達し、ボワにピストルによる決闘を申し出た。どちらも怪我を負うことはなかった。ボワの立会人だったヴィクトール・ユゴーの甥のポール・フーシェが「トゥールーズ西南新聞」に書いたことによれば、弾丸の一発は銃身のなかで止まり、ボワとガイタを乗せた馬車を引いていた一頭の馬が倒れたため馬車は横転し、もう一頭の馬は悪魔を見たかのように恐怖で震え、道で20分も釘付けになっていたとのことだ。
 ガイタはブーランの死から4年後の1897年に36歳で世を去った。死因は尿毒症の悪化、あるいは麻薬の常習であったらしい。だが、ガイタがブーランに放った呪いの「流体fluide」のどれかが目的を達成せず宙に迷い、それが自分のところに逆流してきたためであるとの噂が立った。

白水社 Webマガジン『ふらんす』「19世紀のオカルティストたち」 

                         中村隆夫より引用) 

 ※ この呪いの逆流に関連するレリーフとして、 ブログ~6 の コラム① の説明   「憤怒」(絶望)を参照してください。

            魔術的《バラ戦争》
 19世紀後半から末にかけて、フランスでは。《オカルト・リバイバル》というべき現象が起こっていた。象徴派の詩人を中心にオカルト思想が再評価され、多くの魔術グループが誕生したのである。若き侯爵スタニスラ・ガイタと隠秘学者ウィルトがおこした、「薔薇十字カバラ会」もその一つであった。薔薇十字カバラ会はそのころ、ブーランという破戒憎が黒ミサを実践しているという噂を耳にするや、さっそく、ウィルトとガイタが調査にのりだし、ブーランが伝説の英雄、天使などの霊体と性的に交わる邪悪な魔術を行なっていることをつきとめた。そこで、薔薇十字カバラ会は、ブーラン一派に魔術的制裁を加えるという決定を下したのである。ガイタはロウ人形にピンをつき刺しながら、ブーラン派の壊滅を祈念した。むろん、ブーラン側もそれを察知、対抗手段をとったため、その効力は発揮されなかったが、ブーランの支持者である小説家のユイスマンスは、見えないゲンコツに四六時中、頬を張られるという被害をこうむっている。ブーランもまた、人形術を用いたのだが、薔薇十字カバラ会のガードは固く、さしたる障害は受けていないようだ。結局、この魔術戦は泥仕合となり、後はペンの力を借りての中傷のしあい、というお決まりのパターンをたどっていった。この魔術的《バラ戦争》結果は引き分けというところであろうか。  

 

    ( 黒魔術の秘法 悪魔学入門 流 智明 著より引用)

           

 

【コラム】⑤ その2」‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

     ある瞑想の会の人たちのこと

       幽 体 離 脱 体 験

 この会の一人の方は知り合いでした。あるとき、自分たちは、幽体離脱体験をしたことを得意げに話されていました。

 この会の人を(Aさん、Bさんとして解説していきます)。Aさんは小さい頃から霊感のある方で、よくコンタクトされて、見せられているその内容をよく私たちに話されていました。またBさんは、指導する立場の人で幽体離脱などを指導する立場の人でもあるようです。Aさんには幽体離脱した後、安全に元の肉体に戻ってこれるかの不安があったようです。それで、二人で幽体離脱し、彼女らの指導をしているティーチャーを訪れる幽体離脱をして、テイーチャーを訪れたのだそうです。そこに、ティーチャーは、何か盆栽の手入れをしている姿が見えたそうです。その後何処かを訪ねたようですが、何処だったか覚えていません。自分としては、幽体離脱現象についてはあり得るが、もっと大事なことは、霊的真理であると思っていたからです。
それでは、このような能力のある方たちは、人間的にも、人格的にも完成されて優れた人たちであろうか?。 (ある仲間の人は、この能力をのぞきに使い破門されたりしているようです・・・・・・・・。)
 ところで、この知り合いのAさんのアドバイスに対し、周りの人たちはどのような経験をしているだろうか?人生におけるいろいろな問題点をすぐれて解決し、有意義な人生を歩んでいるのだろうか? しかし、そうではありませんでした。すぐれて、正しく、賢い物事の解決につながることも確実にはありましたが、ほとんどの場合、心の迷い道に誘導されている姿がよく見聞されました。
 それは、Aさん自身が見られた事象の解明をする学びがなく、その事象の深奥を理解、解釈せず、単にストレートに理解、受け答えをするだけで、間違った解釈の読みをしてしまうことが往々にしてあるからです。Aさんに後日、それらの事を指摘すると、自分には、このように見えたのであり、頑なに人の意見を、また間違いを認めようとはしませんでした。一般に「偏執病的精神分裂症」と呼ばれるこれらの人たちはこのような性格の人たちのようです。
 しかし、ある時、Aさんは、ある人に対して「あなたのオーラ体がない」とその人に言い、その人は「Aさんは私は存在しないと言っている」と笑って自分に話されたのでした。しかし、それから数ヶ月後、その人は亡くなられたのです。そこで、初めてみえなかったことの意味が理解出来ました。Aさんのコンタクトは時間軸を超えた状態で見ていたのでした。
 このAさんの霊的コンタクトで見せられている事柄をどのように解釈するかについて、Aさん自身は教えを受けておらず、今までの自身の経験から理解しているだけなのです。ですから、これらの見せられている事柄の正しい解釈がなされないために、7、8割の事柄については、単に人々を迷わせる内容の事柄です。それらは、信頼に値せず、また生き方を迷わせるトンデモな情報の事柄でした。むしろ知らない方が良いという内容でもあったのです。霊的能力により知られた事柄については、よくよく注意しないといけないということです。
  ※ 霊的なアドバイスを受けることについて

 ある生き神様と言われる霊能者がいました。身近な人たちはよく、相談に伺い、いつも適切なアドバイスを受けていました。それから、時がたち、この方は教祖として生涯を送ることになりました。そして、あるとき霊眼が開かれ、霊界を探訪し、亡くなられた身近の人達を訪れたそうです。そうしたら、意に反してほとんどの人達が喜びの世界ではなく、苦しみの世界にいることを知ることになりました。そして、自分は間違った指導、アドバイスをしていたことを悔いたそうです。自身で解決しなければならない人生の宿題は、自分で努力し解決しなければならなかったからです!!。 

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥【コラム】⑤ その2」 

 

 

【コラム】‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥  

    幻視や幻聴は霊的ステージが高い証拠⁉

伝 説

 幽霊や異星人の姿を見たり、その声を聞いたりできるのは、常人より霊的ステージが高い証拠である。それらすべてを幻覚や幻聴扱いしてしまうというのは、高次元の存在とコンタクトができる超能力者を、精神異常者扱いしたり、愚弄するものだと言えるのではないだろうか?

真 相

 幻視や幻聴が現れるのは、超能力者だからでも精神異常者だからでもない。誰にでも起こるごく普通のことなのである。幻視や幻聴を精神異常扱いすることも、また超能力扱いすることも、幻視や幻聴を特別視しようとする一種の差別以外の何ものでもない。
 誰にでも起こる空耳をはじめとして、人間は予想以上に幻視や幻聴を経験しているものなのである。
 起きている状態でもそのまま白昼夢の世界へと落ち込んでしまえる〈夢見がちな性格〉(Fantasy-prone personality)と診断される人が、人口の4%はいると言われている。この性格の人は、自分が創り出した空想の世界をリアルに体験できて、その世界を見たり触ったり、嗅いだり、五感で体験できるという特異な《能力》を有している。人口の4%と言えば、25人に1人。日本にも500万人近くいる計算になる。すごい数である。
 この性格を持つ人は、白昼夢に陥りやすいという点だけが通常人と異なる点で、そのほかに精神に問題があるわけではない。差別されるいわれは何もない。もちろん逆に、変なものが見えるからといって、常人以上の能力者だと威張る必要もまったくない。ただ、そういう〈性格〉の持ち主というだけにすぎないのである。
 一般人がどのくらいの割合で幻視や幻聴を体験しているものなのかについて、少々古いが19世紀末に取られた統計がある。「完全に起きている時に、非物理的な存在を見たり、触られたり、その声を聞いたりしたことがあるか」と、2万7000人余の人々に尋ねたのだが、その結果、約12%の人が、そういった経験がある、と答えている。精神分裂症の患者は確かに人口の1%くらいはいるが、その数を大きく上回る結果となっている。

 また、連れ合いを亡くしてしまった未亡人や男やもめの人々を対象にして、死んでしまった人の姿を見たり訪ねてきたと感じたことがあるかどうかを調べたという調査もいくつかある。いずれの調査でも50%から65%の人々が「そういう経験がある」と答えている。 そして、そういう経験をしたほとんどの人が、この体験によって慰められた、という感想を抱いていた。亡くなったお爺ちゃんを本当に愛していたのならば、たまにはお爺ちゃんの声がしてしまっても、それはそれで当然なのではないかとも思われる。人間とは、心が求めれば、時には存在しないものを見てしまい、聞いてしまう生物なのだろう。
 人間は、精神状態のありようだけでなく、化学物質の作用によっても幻覚をみることがある。その一例として、クローデット・ピアスという女性の症例が報告されている。
 1975年8月、ピアスは自分の主治医に向かって、「最近、テレビを見ることができなくなって困っているんです」と相談を持ちかけた。彼女は、パーキンソン病を患っていたため、医師はその薬の副作用で彼女の眼に異常が起きているのでないかと思って調べてみた。だが、彼女の眼には障害は何もみられなかった。
 不思議に思った医師は、「なぜテレビが見られないんですか」と尋ねてみた。すると彼女は「叔父さんが悪いんです。叔父さんが、テレビを見る私の椅子に腰掛けちゃっているんですよ」というのだった。医師は当然のように「ならば、どいてほしいって頼めばいいじゃないですか」と言ったが、彼女の答えはこうだったのだ。「そんなことできるわけないじゃないですか。だってその叔父さんは、1961年にすでに死んじゃっているんですから」
 お分かりだろうか。彼女は死んでしまっている叔父さんの幻影にテレビを見るのを邪魔されていたのである。そして、その幻影を見ている彼女自身も、叔父さんの姿が幻影であるということをちゃんと認識していたのである。それでもなおかつ、死んじゃったはずの叔父さんは、テレビの前に居座り続けていた、というわけなのである。
 このような奇妙なことがなぜ起きたのか。それは、彼女がパーキンソン病の治療のために飲んでいた薬の副作用に原因があった。パーキンソン病は、神経伝達物質ドーパミンが脳内で減少することによって起こると言われている。減ったドーパミンを補充するために、ドーパミンの前駆物質であるLドーパを経口投与する治療が行われるのだが、その際に副作用として、約半数の患者が何らかの幻覚を見るといわれているのである。彼女の叔父さんは、Lドーパが創り出した幻影だったのである。人間は、精神だけでなく、生化学物質の代謝によって生きているケミカル・マシーンでもあるというわけだ。
幻覚・幻聴というと、いかにも意味がなさそうに聞こえるかもしれないが、なかにはそう単純に片づけられないような事例もあるようだ。以下の話は、英国医学会が発行している『英国医学ジャーナル』に掲載された話である。
 84年の冬のこと、自宅で読書を楽しんでいた英国のある平凡な主婦の頭の中に「声」が急にこう話しかけてきた。
 「どうか怖がらないで聞いてほしい。急に話しかけられて驚いていることとは思うけど、他に方法がなかった。僕と友人は、オルモンド通りにある小児病院で以前働いていたのだけど、僕らは、あなたのことをどうにか助けてあげたいと思っているのだ」
 この主婦はそれまで一度も大病をしたことがなく、病院にかかったことさえなかった。オルモンド通りに小児病院があるということは、知っていたがそれまで行ったこともなかった。
当然ながら、いくら「声」が「怖からないでほしい」と言っても、彼女はパニックに陥ってしまった。彼女は「自分は気が違ってしまったのではないか」と悩んだ。
 彼女は精神科医のイケチュク・アスオネの元を訪れ、抗精神薬を処方してもらった。そのお陰でか「声」は2週間ほどで消えていった。だが、彼女がバカンスに海外に出かけていた時、その「声」は再び帰ってきた。そして彼女に「早く英国に戻るように」と勧告をしてきたのだ。「声」は彼女に、「頭に腫瘍が出来ていて、脳幹が炎症を起こしているのだ」と告げたのであった。
 アスオネ医師は、英国に戻った彼女を改めて診察してみたが、脳腫瘍の徴候などどこにも見られなかった。だが、余りに心配する彼女を納得させるために、脳のCTスキャンを取るように手配をしてあげた。
 彼のこの処置は、当然のように同僚たちの非難の的となった。そんな幻聴に従って、既往症もないような患者を高価な検査に回したりすべきではないというのだった。この反対のお陰で検査の日にちは延びてしまったものの、アスオネ医師の手配通り、彼女は頭部のCTを撮ることができた。
すると、そこに本当に脳腫瘍があったことが判明したのだった。驚いた医師らは、彼女に即刻手術をするよう勧めた。そして「声」もまた、「そうすべきだ」と彼女に告げたのだった。
 幸い手術は成功し、大事に至る前に彼女の腫瘍は取り除かれた。手術の後に「声」は、こう彼女に告げた。「あなたの手助けができて、僕らはとってもうれしいよ。それじゃあ、さようなら」それ以来、声は二度と現れなかった。そして、彼女は元通りの健康体へと戻ったのである。
 いかにもオカルト雑誌の投稿欄にでも載っていそうな出来過ぎた話だが、これは前に書いたように、97年末に英国医学会誌に掲載された話である。
論文の著者である精神科医イケチュク・アスオネは、手術から1年たった後、この主婦を病院の症例研究会へと招待して、同僚の医師達に対して、彼女が手術に至った経過を説明してもらってもいる。
 こんなことが起きた原因についてアスオネらは、「脳の腫瘍は身体症状を起こしてはいなかったものの、彼女は無意識のうちに頭に異物を感じていて、脳腫瘍を恐れる彼女の無意識が、声という形で現れて来ていたのではないか」と推論をしている。一応、医学雑誌の論文である。腫瘍が語りかけてきたとか、霊が教えてくれたといった解釈は論外としても、偶然の一致という座りの悪い説明方法を用いないのならば、このような風に解釈するのが精一杯といえる、まことに奇妙な事例といえるだろう。
 英国医学会誌がよく載せたものだと思うが、雑誌の編集者がそのまま捨てるには惜しいと思ってしまったというその気持ちもまた理解できるような、「ちょっといい話」ではある。 (皆神龍太郎)  ( 新・トンデモ超常現象 56の真相 太田出版より引用 )

 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥【コラム】⑦ 

 

 

【コラム】⑧‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥  

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   この絵は、西暦1483年にイタリア・ルネッサンスの画家、サンドロ・ボッティチェリ(1445─1510)によって描かれた絵画である。『マルスウェヌス(ヴィーナス)』(ヴィーナスとマルス)と言われる。ロンドン、ナショナル・ギャラリー所蔵。 

         この絵の一般的な解釈~

主 題 この絵画には、勇猛と美のアレゴリーであるローマの神々、ヴィーナスとマルスが描かれている。若々しく官能的な男女が、ふざけるサテュロスに囲まれ、森の中で横たわっている。
この絵画は、概して、理想的な五感の快楽や愛、戯れが描かれている。絵の中で、ヴィーナスは、ヘルメットと槍を運びながら、二人の幼児のサテュロスが遊んでいるあいだ、眠っているマルスをみつめている。マルスの腕の下で、甲冑の胸当ての中に入るサテュロスもいる。概して、理想的な五感の快楽や愛、戯れが描かれている。絵の中で、ヴィーナスは、ヘルメットと槍を運びながら、二人の幼児のサテュロスが遊んでいるあいだ、眠っているマルスをみつめている。マルスの腕の下で、甲冑の胸当ての中に入るサテュロスもいる。4番目のサテュロスは、マルスを目覚めさせようと、彼の耳元で小さなほら貝を吹いている。この絵画は古典的なものを源にして描かれている。おそらく「アレキサンダー大王とロクサネの結婚」という失われた絵画に対する詩人ルシアンの描写を元に描かれており、ここから重要な解釈が広がり、初期ルネッサンスの新プラトン主義の思想に影響を受けている。

寓 意 場面は幽霊のでる森、遠近法、極めてタイトでコンパクトな地平線で設定されている。ヴィーナスの背景には、遠くに海をみることができる。最前面の、マルスの頭のまわりのスズメバチの群れは、おそらく愛はしばし痛みを伴うという象徴として浮かんでいる。

もうひとつの可能な解釈では、スズメバチは、この絵画を依頼したかもしれないヴェスプッチ家を意味する。ヴェスプッチ家のシンボルは、スズメバチである。    

  これとは別に、以下のような解釈がある!!。しかし、このような意義の解釈は、美術学者には一般に認められていません??。

         この絵の秘められた意義解釈~

この絵の一般的な解釈では、これは、ある種の寓意画で、女神のウェヌス(ヴィーナス) が眠っているマルスをいわくいいがたい形で監視する古典的なテーマを扱っているとされています。しかし、この絵をオカルトのシンボリズムに照らしてみると全然違う意味がこの作品にあることがわかります。この絵のタイトルの『マルスウェヌス(ヴィーナス)』は近代になってつけられたもので、この絵は、マルスウェヌス(ヴィーナス)とは縁もゆかりもないことが明らかになります。ただボッティチェリのすべての寓意画についていえることだが、そのシンボリズムは複雑でいくつかの簡単な形にまとめていうのはむずかしい。しかしともかく、この絵に正しくアプローチするには、中世のオカルトの教義体系で、すべてを備えた人間からすると肉体はその一部にすぎない──人間は肉体のほかにいくつかの霊体を有する──と考えられていたことを思い出さなければならない。
 今のオカルティズムでは、肉体にもっとも縁のふかい霊体を「エーテル体」と呼ぶ。だが中世には、ウェゲタビリス(生気をあたえ右、植物性の)とかエンス・ウェネーニ(毒因)といったラテン名をはじめ、これにはけっこう異名もあった。また時代がくだってからの錬金術では、伝統的に「生気体」と呼ばれている。そしてこの「生気体」という用語に匂わされているように、エーテル体は生命体なのである。したがってこれを、高次の「アストラル体」と混同してはならない。こちらは感情体である。なお中世のオカルティストは、エーテル体をこんなふうに思いえがいていた。それは凡人の目には見えないものの、うねうねとした光体で、肉体とは反対の性からなると。        
 この人間をめぐる神秘的なイメージを心に抱けば、『マルスウェヌス』はべつの様相を帯びてくる。そこでまず、ボッティチェリエーテル体と肉体の関係を描きだすことに関心があったとしてみよう。そして彼は、ある友人からエーテル体について学んでいた(彼の交わった一派は、秘教の知識に深く通じていた)としてみよう。またさらに彼は、肉体が眠りにつけば、エーテル体はそれまでよりずっと自由になり、さほど肉体に釘づけでいる必要がなくなるというオカルトの公理を聞きおよんでいたと仮定してみよう。ただエーテル体には、肉体を生かしておくという目的がある。だからそれは、肉体からさほど離れず、そのそばにとどまって用心ぶかく目を光らせながら、よく気を配っているというわけだ。
 さてそうなるとボッティチェリは、おのが女性のエーテル体にガードされて眠っている人間の肉体を描いたらしい。また肉体がいわば殻のようなものだと強調する点については、よろいというものに表現されている。よろいというのは、からだを取りまく防御用の金属の殻にほかならないし、それもまた肉体と同じく生命がないからだ。さらによろいで遊ぶ四人の若いサテュロス(山野の精)も、いずれ劣らぬオカルトのシンボルで、四大元素をそれぞれひとつずつ象徴している。すなわち、よろいをおもちゃがわりにしているサテュロスは、「地」を表わす。好戦的に槍をもつサテュロスは、「火」を表わす。貝殻を吹きならすサテュロスは、「風(空気)」を表わす。いっぽう第四のサテュロスは、「水」を表わすが、これはこれで目下の問題にからんでくる。(占星術錬金術でとても重要な役割を演ずる)四大元素は、あらゆる肉体や物体の形の基本になるといわれているからだ。そして第五元素=「精髄」(クウィンテスンス)が、こうした四大元素をつなぎあわせるのだが【(第五元素=「精髄」(クウィンテスンス)というのは、オカルト関係の文献に由来する概念である。クウィンテスンスという英語は、「第五の元素」を意味するラテン語のクインタ・エッセンティアにちなみ、地水火風という四つの下位の元素を結合させる、目に見えない高次の元素を示している】オカルト界ではよく、エーテル体は第五元素でできているといわれる。第五元素は、人間の目には見えないが、強力な光と生気の波動だと考えられているのである。(人間のエーテル体を表わすとされた)女性の着ている半透明の衣裳をもっとつぶさによく見てみると、ボッティチェリは、その流れるようなドラペリーを通じて動きや生気というものをほのめかすために、あらゆる努力を惜しまなかったことがわかる。この女性像の動きのなめらかさと人体の深い昏睡状態は、まったく対照的だ。あるいはさらに注目すべきことかもしれないが、ボッティチェリは、その女性の油断おこたりない表情のなかに、エーテル体は肉体を恋しているという神秘的な概念、肉体というのはじつは「生気体」が時空に勢いよく押しだされてできたものにほかならないという概念を示そうとしているのである。大オカルト詩人ウィリアム・ブレイク(1757-1827)は、この考えをとても意味深長な表現で、「〈永遠〉は〈時〉の産物に恋している」と述べた。事実オカルトの伝承によると、エーテル体がじつは永遠に属するのにたいし、肉体は「〈時〉の産物」なのだという。
 ある意味では、この絵にたいする今の題名も、さほど的はずれとはいえない。オカルティストがエーテル体を称し、ウェヌスと言ったり書いたりするときもあるからだ。つまり肉体もそれなりのレヴェルで、さまざまな事物──ごちそう、音楽、性交に楽しみを覚えるので、人間をガードする「生気体」は、こうした事物がたいして人間の害にならないことや、人間も物質界を楽しめることを保証するというわけだ。
そしてここまでくれば、図1の荒けずりな木版画が、ボッティチェリの目もあやな絵画ともろに関係していることがわかる。木版画ウェヌスも霊的な存在として描かれているのだから──この女神は裸でいて、鏡のなかの自分に見とれているにもかかわらず、シンボルによって霊界に位置づけられている。だからこそ、彼女の足は雲に乗っているのだし、足元には自分の支配する獣帯の宮をしたがえているわけだ。まただからこそ、六芒星が頭上にあるばかりか、さらにもうひとつの六芒星がからだをおおっているのである。かくして図1のウェヌスは天上の存在だとわかるわけだが、これらはみんな、このウェヌスが女性の肉体の形で示されてはいても、そのじつ霊的な存在であることをシンボルで示す方策といえよう。いっぽうボッティチェリは、自分の絵の女性が霊的な存在であることを示すのに、べつのテクニックを使っている。すなわち薄いドレスを表面を流れるエネルギーに変化させたり、顔を女神の顔にしたりしているのだ。


 すでに見たように、なんらかのオカルトの教えにまつわる知識を(いかに不十分な形であれ)いったん身につけてしまえば、美術の世界をちがった形でながめられるのである。たとえばボッティチェリの美術を正しく理解するためには、中世のエーテル体の概念とウェヌスについて、多少の知識がいることはわかるだろう。じっさいオカルトのシンボリズムを少々理解すれば、かなりのもの──宗教に奉仕する形でつくられたきわめつけに深遠な美術作品から、広告技術の商業魔術にいたるまで──をちがった立場で見るようになるだろう。

ある占星術書から抜粋した金星=ウェヌスの絵(図1)を見ると、獣帯の金牛宮天秤宮を表わす雄ウシと天秤の像にはさまれる形で、ウェヌスの陰部を六芒星がおおっている。いっぽう、この裸の女神の右側の風景には、ウェヌスの支配するもの──性交、音楽、ごちそう──が示されている。ところでウェヌスを喜ばせる条件といえば、魂との相性がいいことだ。したがって、この像に六芒星が出てきたところで驚くにはあたらない。六芒星によって、天国が地球に浸透したために地球と人間が友好関係にあることがはっきり示されるからだ。・・・・・・・・

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   図1 中世末期につくられた,金星=ウェヌスおよびそれが支配するといわれる
      人間の活動をめぐる絵。 15世紀フランスの『羊飼いの暦』より     

 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥【コラム】⑧ 

 

◎ ブログ No.8「天使の梯子は加筆、更新しています。