パリのノートルダム大聖堂の夢解釈! ~4
パリのノートルダム大聖堂の図像の謎解説
アミアン大聖堂の西正面扉口は、パリの西扉口浮き彫りの数年後の1220年に着工されています。パリの作例をそのまま模倣して制作されていると言われています。三つの扉口の完成は1235年となります。
これらの図像は、百科全書家のボーヴェのヴィンケンティウスの著書の「道徳の鏡」として区分されているレリーフのグループで、ロマネスク時代とちがい、ゴシック時代は、新しいタイプの「美徳と悪徳」の表現となり、「最後の審判」扉口の側壁上の12使徒に対応して「12の美徳と12の悪徳」が選ばれ、その腰石の部分に図像が表現されています。
※ キリスト教には「自由意志」という観念があり、善を選ぶのも、悪を選ぶのも人の選択なのである。悪魔に誘惑され、悪に走るものは、地獄に落ち、永遠の苦しみを受ける。それゆえ、悪に誘惑されることなく、清く正しく、強く生きることが要求されたのである。聖堂内外に、悪を象徴する種々のものが表現されたのも、こうした悪に誘惑されることなく、正しく生きるよう警告を発する手段としてであったのです。
パリのノートルダム大聖堂の図像の謎解説をより理解しやすくするため、はじめにアミアン大聖堂のレリーフと並べて美術史家等の一般的な解説をしていきます。
アミアンでは、四つ葉ワクに囲まれた二層のレリーフが並んでいます。上部が美徳で下部が悪徳を表し上下一対で12対あり、パリのノートルダムと同じです。上部の美徳はそれを象徴化した盾を持つ人物像で表され、下部の悪徳は具体的な場面でわかり易く表現されています。アミアンでは、その他、月々の仕事のレリーフが並んでいます。
一方パリのノートルダムでも、基本的には同じですが、悪徳は円形の枠の中で示されています。また、パリのノートルダムでは、12対のレリーフの外側に一対ずつ4つのレリーフが付け加えられています。このレリーフが、特に錬金術の表現とされる鍵となるものです。(鍵)8、(鍵)9で解説します。
扉口左側腰石部のレリーフ (右が内側)
『上の段の写真がアミアン大聖堂、下の段がパリ・ノートルダムのレリーフです』
(アミアンでは6対、パリ・ノートルダムでは7対となっています)
扉口左側のレリーフを写真の右側から左側へと見ていきます。 (扉側から外側へ)
美徳が上段で、悪徳が下段です。(美徳が上部にそして悪徳が下部にあることにより、美徳の勝利を意味しているとされています。)
[以下の写真はすべて、左がアミアンで、右がパリのノートルダムのレリーフです。解説の(ア)はアミアン大聖堂、(パ)はパリのノートルダム大聖堂です。
[(鍵)としての番号は次回の謎解きの特に特徴のあるレリーフの番号となります。]
美徳1 信 仰
(ア) 十字と聖杯の描かれた盾を持つ女性像
(パ) キリストの信仰の象徴である十字の盾を持つ女性 十字の左上には赤い塗料の残っている太陽のようなものがある?。 (鍵)1
※ このレリーフは入れ替わっているとされる。
悪徳1 偶像崇拝
(ア) 偶像を礼拝する人物像(以下に記す「参考として」のエミール・マール氏の解釈を参照)
(パ) 円盤の中の女性の顔の偶像を男が身をかがめながら礼拝している (鍵)2
※ 「信仰」に対する悪徳が「偶像崇拝」とされているのは、キリスト教美術にとって、矛盾していると思われる。キリスト教は、民衆教化のために、偶像という手段を使ってきたからです。今でも一部の人たちは、自分たちのは偶像崇拝ではなく、他宗教の仏像などの崇拝を偶像崇拝と批判する者がいるが、厳密に守っているのは、イスラム教であると思う。
(ア) 旗の付いた十字架が描かれた盾を持ち、視線の上に王冠があり、王冠に手を伸ばす女性像。王冠は栄光のしるし。旗は希望のしるしであり、十 字架旗はキリスト復活の象徴であるとする。
(パ) 女性が旗の刻まれた盾を右手に持ち、左手は視線の向けられた上の方にあげている。そこには何かがあったのがわかる。アミアンではそこに王冠が置かれているので、そこに王冠があったと思われる。王冠は来たるべき未来の栄光であり、旗が希望の象徴である。民衆にとっては、神の恩寵が生み出す未来の栄光の待望なのである。
悪徳2 絶 望
(ア・パ) 髪の長い女性らしき人物が身をよじりながら、右手に持つ剣で自分の身体を突き刺している。「プシコマキヤ」では、「怒り」がこの形であったが、「絶望」にこの形が与えられている。
美徳3 慈 善
(ア) 雌羊の描かれた盾を持 ち貧困者に着物を施す女性像
(パ) 女性の持つ盾に雌羊が刻まれている。雌羊は強いものには食べるべき肉を与え、弱い物には乳を、裸のものに皮を、寒い物には羊毛を提供する
悪徳3 貪 欲
(ア) 箱いっぱいに財産を蓄える人物像
(パ) 女性が懐と金庫に財宝をたんまりため込んでいる
美徳4 貞 節(正義)
(ア) 火の中の鳥(不死鳥)が描かれた盾を持つ女性像。女性が持っているシュロの葉は処女の象徴である。
(パ) 女性がサラマンドラ(火トカゲ)の盾を手にしている。火トカゲは火に燃えることがない。つまりなにものかに焼かれても変わることのない黄金のようである。 (鍵)3
悪徳4 色 欲(不正義)
(ア) 鏡を持った女性を男性が抱きしめている。鏡は女性の色気やその魅力を象徴するものである。
(パ) 女性が不正確な天秤を手にしている。 (ここは、破壊され、18世紀に新たに作られた部分とされている)
美徳5 賢 明
(ア) 蛇の 描かれた盾を持つ女性像
(パ) 女性の盾にはへびが刻まれている。「へびのように賢く、はとのように素直であれ」(マタイ伝)10-16 とのキリストの言葉から来ているものとする。へびは賢さや用心深さの象徴である。 (鍵)4
悪徳5 狂 気
(ア) 刃物のような物を手にし、口には食べ物を頬張っている人物像。頭には石が投げられている。(参考:以下に記すエミール・マール氏の解釈を参照)
(パ) 右手に棍棒?を持ち、左手で何か?を持っている若い男である。また近くに木が生えている。 (鍵)5
美徳6 謙 虚(慎重)
(ア) 鳩の描かれた盾を持つ女性像
(パ) 女性の持つ盾には、鳩が刻まれている 。「鳩のように素直であれ」というキリストの言葉のように、鳩は、素朴、謙虚などの象徴である。
悪徳6 傲 慢(無謀)
(ア・パ) 騎士が馬とともに溝に落ちている。この表現は「プシコマキア」に描かれている傲慢の姿である。
扉口右側腰石部のレリーフ (左が内側)(扉側から外側へ)
続いて、扉口右側のレリーフを写真の左側から右側へと見ていきます。
美徳7 勇 気(力)
(ア) ライオンの描かれた盾と剣を持つ騎士像
(パ) 甲冑に身を固めた人物であるが、右手に剣を持っている。着物の裾が長いので女性である。盾にはライオンが刻まれている。ライオンは勇気の象徴であり、剣は力の象徴である。
悪徳7 臆 病
(ア) ウサギに驚いて、剣を落として逃げる騎士像
(パ) 木立からウサギが出てきてそれに驚いて剣を落としてしまっている兵士の姿である。木からフクロウが見ている。
美徳8 忍 耐
(ア・パ) 牛が描かれた盾を持つ女性像、牛は我慢強い動物と思われていたのである。
悪徳8 焦 燥(怒り)
(ア・パ) 剣を持った人物が、僧服を着た人物を脅かしている。「いらだち」ともいわれている。「プシコマキヤ」では、怒りは剣で自分を刺す姿であった。
美徳9 優しさ
(ア・パ) 女性の持つ盾には子羊が刻まれている。中世の神学者にとって、羊は優しさの完全なるイメージだったのである。
悪徳9 冷 酷
(ア・パ) 美しく着飾った女性が、飲み物を持ってきた給仕を足蹴りにしている。
美徳10 調 和
(ア) 平和の象徴オリーブの枝が描かれた盾を持つ女性像。
(パ) 盾内が壊れていて不明である。(この部分は修復部分にあたり、当時の姿を伝えていないとする)
悪徳10 不 和
(ア) 夫婦げんかの場面である。水差しや糸巻きが散乱している。
(パ) 二人が喧嘩をしている。床には散らばったコップが、左の人物には胸があるので、夫婦げんかのようです。
美徳11 従 順
(ア・パ) ひざまずく従順さを象徴するラクダが描かれた盾を持つ女性像
悪徳11 反 逆
(ア・パ) 男が司教に向かって手を挙げている 。中世においては、教会に従わないことが、最大の反逆であった。
美徳12 堅忍不抜
(ア) ライオンの頭を手にし、王冠とライオンのしっぽが描かれた盾を持つ女性像。 頭と尾は終始一貫を象徴しているそうです。「死に至るまで忠実であれ、そうすれば、命の冠を与えよう(「ヨハネ黙示録」2章10節)」という言葉が視覚化されているとされる。ライオンの頭としっぽとは、はじめと終わり、つまり最初の日から最後の日まで堅忍不抜であることが必要であると説いているのである。
アミアン大聖堂の「堅忍不抜」のレリーフの拡大写真です。ライオンの頭としっぽが分かるでしょうか!
(パ) 壊れているが、女性の盾には王冠らしきものが表現されているが定かではない。 (鍵)6
悪徳12 移り気(不服従)
(ア・パ) 僧院を抜け出す僧の姿、心残りがあるのか僧院に顔を向けており、そこには僧服が脱ぎ捨てられている。 (鍵)7
そのほか、パリ・ノートルダム大聖堂には、この「十二の美徳と悪徳のレリーフ」の左右に一対ずつの浮彫りがあります。!!!
左側のレリーフは、ヨブ記の物語より、お金持ちのヨブが貧乏になり病気で体に蛆がまとわりつき、妻からも神を呪ったほうがいいといわれ、友人からも「神からのこんな罰をうけるなんて何をしたのか」と言われたが、彼らのことを祈り、やがて以前よりも健康でお金持ちになる話である。上部は蛆のわいたヨブに妻と友人から言い寄られている。
その下は、ヨブが清流をわたっているとされています。(この解釈では、何の意義があるのでしょう!) (鍵)8
右側のレリーフには、アブラハムのイサクの犠牲が彫られている。神から自分の息子を犠牲にするよう言われ その通りにする直前に天使に止められその代りそばを通ってきた羊を犠牲にささげる。よく見ると羊が見える 。
その下は、ニムロドがバベルの塔を作ったあと、天に向かって投槍を放つところである。アブラハムと討論で負けたので対照的に描かれているとされています。 (鍵)9
参考として、
エミール・マール著「ヨーロッパのキリスト教美術」による解釈を以下に記す。
道徳の鏡
ロマネスク時代には、作家たちは、プルデンティウスの『プシコマキヤ』※1(心の戦い)に拠って、善悪の戦いを表現した。13世紀になると、善と悪とは全く新しい仕方で表現されることになる。
低浮彫によって彫られた「善」は、荘重、不動かつ堂々たる姿をした座った女たちである。彼女らは盾を持っているが、その表にそれぞれの徳を示した動物の紋章が見られる。
「悪」の方は、人像の形をとらず、行為によって表され、それが「善」それぞれの下方の円形の枠の中に収められている。妻を打つ夫は「不和」を表わす。「無節操」は、僧衣を脱ぎ捨てて修道院から逃げ出す修道士である。要するに「善」はその本質によって表され、「悪」はその結果によって示されるわけである。一方では、すべてが安らいでいる。他方では、すべてと動きと戦いである。この対照は、作家たちが表明しようとした理念を、見る物の心の中に呼び起こす。つまり、これらの安らかな像は、善のみが心を統一しそれに平和を与えるものであることを、そして善から離れたところには動揺しかないということを、私たちに教えてくれる。こうして13世紀の芸術家たちは、前代の人々がなじんでいた『プシコマキヤ』を放棄して、一段と深い理念の中に入り込んでこれを表現しようと考えたのであろう。ロマネスクの彫刻家たちは、私たちに「キリスト教徒の生活は戦いだ」と言う。しかしゴシックの彫刻家たちはそれに加えてこう言う。「あらゆる徳に心を支配させることのできたキリスト教徒の生活は、平和そのものであり、それはすでに神のうちに身を休めることである。」
パリのノートルダムの正面入口は、この種の表現の最古の例を私たちに示している。
これらの新しい擬人的表現の例を幾つか挙げよう。
イエス・キリストの右側に彫刻された「信仰」は、栄誉の席を占める。背のない椅子に座り、盾を持っているが、その盾には、パリでは十字架、シャルトルでは聖杯、アミヤンでは聖杯の中に十字架が、それぞれ表されている。シャルトルの北口では、「信仰」は、祭壇の上で生贄となった子羊の血で聖杯を満たしている。それゆえ中世の「信仰」は十字架の上で死んだイエスの犠牲の功徳に対する信仰であり、さらにまた(聖杯が証しするように)毎日祭壇の上で奇跡的に繰り返される生贄の永遠性に対する信仰でもある。それゆえわが中世の芸術家たちによって表現された「信仰」は、聖アウグスティヌスの定義したものと合致している。この定義は、後にペトルス・ロンバルドゥスによって繰り返され、キリスト教社会全体に受け入れられたものである。曰く、「〈信仰〉とは、私たちの目に映らないものを信ずる徳である。」聖体の秘蹟はその最も完全な象徴である。
パリ、アミアン、シャルトルでは、「信仰」の下方に1人の男がいて、猿に似た毛の生えた偶像を拝む身振りをしている。これは「偶像崇拝」である。というのは、中世人が異教の神々に与えた姿は、このような素朴なものだったからである。当時の人々の考えによれば、古代の神々の像には危険な悪魔どもが住んでいて、彼らはときどきその醜悪な姿を現すのだった。それを拝む者は魔王そのものを拝むことになるのだった……。
「貞潔」の次に「賢明」が来る。「賢明」がパリとシャルトルで持つものは一見してすぐその主がわかるものである。その楯は蛇で飾られているが、その蛇は時には棒に巻き付いている。この紋章ほど貴いものはない、というのは、イエスが自らそれを「賢明」に与え、こう言われたからである。「蛇のごとくさとくあれ。」
「狂気」は、「賢明」に対立するものであるが、多少ていねいに目を留める価値がある。それは、パリ、アミアン、オッセールとパリ・ノートルダムのばら窓では、ほとんど衣を着けていない男が棍棒で武装している姿である。彼は石が飛んでくる中を歩いてゆくが、時にはその頭に小石が当たっている。たいていは口に妙な形のものをくわえている。それは明らかに狂人の姿であって、いたずら子どもが執拗についてきて、石を投げているであろう。これは、日常見かける情景から取ってきたかのように生き生きした姿で、その起源はたしかに庶民的なものである。中世の古いしきたりによると、狂人を表すときは、手に棍棒を持たせ、チーズを食べている姿にする。ただし時代が下ると棍棒は人の首の付いた笏杖となるが。俗語で書かれた幾つもの詩、とくに「狂人のトリスタン」は、狂人をそのような姿に描いている。芸術家たちがこの人物の像を作るに当たって伝統に従ったことは疑いない。
※1 プルデンティウス(348~410年)スペイン生まれの古代末期のキリスト教詩人。『プシコマキヤ』などを書いた。
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次回は、「大聖堂の秘密」(フルカネリ著) をメインに、レリーフの錬金術的謎解釈の解説です。