tanasuexの部屋

〈宗教の生命は、善をなすことである〉

ス氏の霊界批判に対して・・夢解釈!11

                                   スウェーデンボルグの手紙            

              ──エティンゲル博士宛──   訳 鳥田四郎                           

 エティンゲル博士はムルハルトの監督で、その敬虔と博識の故に国民に愛せられていた人である。彼はスウェーデンボルグの教説をドイツにおいて受け入れた最初の人々の一人である。彼はス氏の著作の一部を翻訳紹介したが、そのため、同国の宗教界から迫害を受けた。以下にス氏から同博士の質問に答えた手紙の一つを紹介する。
 ──私が為していることは、主によって遣わされてなすのであるとのことに対して、何らかの徴が必要であるかどうかとのご質問に、以下お答え申します。
 今や徴や奇蹟は与えられないでしょう。何となれば、それらは外的信仰を強制するものであり、内なる人を信仰に確立させるものでないからであります。エジプトにおいてはどうであったでしょうか、またユダヤ国民の間においてはどうだったでしょうか。彼らは主の与え給うた徴や奇蹟にも拘わらず、主を十字架に附けたのであります。それ故もし主が今、御使いとラッパとを以って、空に現れ給うたとしても、かつてと同じ効果があるだけのことでしょう。ルカ伝16・29、30、31節をご参照下さい。今日与えられる徴は解き明かしと、それより生じる新教会の真理の受け入れであります。また、ある人々の言による説き明しも同じく在り得ましょう。(訳者注─例えばインドの聖者サンダーシングの如きものか)。これは奇蹟よりも有効であります。しかしても、恐らく一つの証拠は与えられるでしょう。
 貴下は、私が使徒達と語ったことがあるか、と訊ねられますが、私はそれに対して次の如くお答えいたします。私はパウロと丸1年語り、またロマ書3・28節に記されていることに就いても語りました。ヨハネとは三回、モーセとは一回語ったことがあります。ルターとは百回も語ってきたと思いますが、彼は私に、ローマ法王と完全に分離するだけの為に、天使の警告に反して、信仰のみによる救いの教理を受け入れた、と自白しました。しかし天使達とは、私は過去二十二年間も語っており、日々に語っています。主は私に、天使達との交際を与えて居られますが、私は、それを著書に記す機会を有ちません。判らぬ人々はかく言っているでしょう。「信ずることが出来るための証拠を示してくれと言わないで、誰が信じよう」と。
 「哲学者であった私が、何故この職に選ばれたのか」とのご質問に対しては、次のようにお答えいたします。それは、今日啓示せられている霊的知識が合理的に学ばれ、自然的に理解せられんが為であります。何となれば、霊的真理は自然的真理に応ずるものであり、自然的真理は霊的真理より発出して、後者(霊的真理)の土台として仕えるものであるからであります。霊的なものは、人間的、自然的、または地球に在るものに類似、または対応して居ることは、論文「天界と地獄」第87項よりれ第102項、及び、第103項より第115項によって理解されるでしょう。この故に私は、主に因って、最初、自然科学に導かれ、かくして、1710年から、私に天界が開かれた1745年まで準備させられました。人はすべて、道徳的に教育され、主によって霊的に新生させられ、自然的なものから霊的なものに導かれます。更に主は私に、霊的真理に対する愛を与え給いましたが、これは、名利の為でなしに単に真理それ自身のためのものであります。何となれば、すべて真理の故にのみ真理を愛する者は、主は道であり、真理にて在し給うが故に、主より真理を知るのであります(ヨハネ伝14・6)。これに反して、名利の為に真理を愛することを口にする者は、自らの自我より真理を観、自己から真理を観る者は虚偽を見るのであります。自己からなされる確信は教会を閉ざし、真理の合理的確信は之を開きます。人は彼の理解力に入り来る霊的事柄を、他に理解することが出来ましようか。プロテスタント教会に於て受容れられている教理的観念、即ち「神学的事項に於ては、理性は信仰に捕捉隷属せしめらるべし」と云うことは、教会を閉じ込めるものであります。主によって啓発される理解力を除いて、他に何が教会を開きましよう。「黙示録顕示」第914項を御参照下さい。私は貴下が、「天界と地獄」をドイツ語に翻訳された為に、迫害をお受けになったことを悲しみます。しかし、今日、真理そのものにも勝って受難して居るものがありましょうか。幾人がこの事を知っていましょう、否、誰か之を知りましょう。それ故、やむことなく、真理の擁護に不撓不屈たらんことを。
  

  1766年11月11日 ストックホルムにて 

※ 聖者サンダーシングは、当初はスウェーデンボルグの教えに心酔し、新教会の教えに寄与していましたが、後年は霊界のアダムとエバにお会いしたなどのトンデモを報告するようになっていました。指導していた伝統の司祭の影響のようです!        

          「秘密結社版 世界の歴史」   

              ジョナサン・ブラック著 (早川書房

  イギリスのジョナサン・ブラックは、次のような報告をしています。  「1744年7月、ロンドンの時計商ジョン・ポール・ブロックマーは、彼の下宿人に何が起こったのかと心配していた。スウェーデンの技師エマニュエル・スウェーデンボリは、普段は物静かで立派な人に見えたし、日曜日毎に地元のモラヴィア教会に通っていた。その彼が、今は髪を逆立てている。口から泡を吹きながらブロックマーを追いかけ回し、訳のわからないことを口叫びながら、メシアを自称しているようだ。ブロックマーは医者に行くように彼を説得したが、スウェーデンボリは医者ではなくスウェーデン大使館に駆け込もうとした。だがどうしても入れてもらえない彼は、近くの排水溝に走って行き、服を脱いで泥の中を転げ回り、群衆に金銭を投げた。」※ このモラヴィア教会は、キリスト教版タントラを教えており、当時はカリスマ的な指導者ツィンツェンドルフ伯爵が教会を牛耳っていて、聖なる行為としての性交を推奨し、絶頂の瞬間にお互いの中に聖なる流出を見るように指導していたとされています。そして、スウェーデンボルグもこの技法を学んだとされているのです。?????

 ※ この技法には、危険と虚偽が隣り合わせです。

  (このタントラヨガに関して、後日ブログで書き込む予定です。)

※ この記事の元ネタは、当時のカトリックの批判者マセシウスによるものです。

 

 マセシウス(スウェーデンボルグに敵意を持つ牧師)は、英国の時計商でモラビア派教徒のジョン・ポール・ブロックマーのところに滞在している間、ブロックマーが目撃した話として、1744年7月、ロンドンで、普段は物静かで立派な人に見えるスウェーデンボルグが、狂気の攻撃にさらされていたかのことを報告しています。それはある晩、スウェーデンボルグが自分をメシアだと宣言し、裸で泥の中を転げ回り、ポケットにつまった金を群衆に投げ与えるといったことやそれに類することをして、狂っていたのが発見された、とのことがらです。しかし、これらのすべては、著者への不信とその信奉者の落胆を目的とした抽象的な非難であり、その後調査した人によって完全に誤りが証明されています。 これはちょうど、スウェーデンボルグがロンドンのブロックマーのところに住んでいた間の彼が『夢日記』の中でサイキックな変化の体験を記録していた1744年のこととなります。そしてこのことは疑いもなく普通でない行動を伴っていたのかもしれませんが、しかし、彼の心は錯乱とはほど遠く、澄んでいて天上の高みに上げられていたのです。このことは疑問とされるこの時期に、彼の輝かしい解剖学上の著作や『神の崇拝と神の愛』を著述していたことから明かです。

 1740年(52歳)『生物界の構造』(第1巻)を出版。霊的な閃光を見、心霊体験始まる。

 1741年(53歳)『生物界の構造』(第2巻)を出版。

 1743年(55歳) 7月、『夢日記』をつけ始める(1744年10月まで)。

 1744年(56歳)『霊魂の王国』(第1巻、第2巻を出版。4月、『夢日記』に主イエス・キリストが顕現したことが記される。

 1745年(57歳)『霊魂の王国』(第3巻)『神の崇拝と神の愛』(第1部、第2部)を出版。このころ、霊界への眼が開かれる。『アドヴァーサリア』の著述を開始。

 1747年(59歳)『霊界日記』をつけ始める(1765年まで)。7月、鉱山局監督官を辞任。

 1749年(61歳)『天界の秘義』(第1巻)を出版(1756年までに全8巻を出版する)。

 

※ スウェーデンボルグの霊界へのチャネリングは、子供の頃からの呼吸法にあったようです。(また後年は、霊界のヨギから呼吸法の技法を伝授されているようです。) 

……スウェーデンボルグは、たとえば、子供の頃、私は彼ら〔おそらく彼の両親〕が朝と夕に祈っていたとき、自分の息を意図的に止めようとした。また私は、呼吸数を心臓の拍動数に一致させようとしたとき、理解力がいわばほとんど消失しはじめたことを観察した。後年、私は、想像力を用いて執筆していたとき、自分が自分の呼吸を、あたかもそれが鳴りを静めたかのように、止めてしまっていることを観察した(『霊界日記』3320、3464)。

 また「精妙な呼吸」、すなわちヒンドウのプラーナーヤーマや中国のタイ・チー(太極拳)に利用される技法を発見した。人は肉体で呼吸すると同時に「呼吸を視覚化する」。「息」を肉体の周囲に送ったり、あるいはたとえば息が「腹部を満たしている」と想像したりすることができる。スウェーデンボルグは、精妙な呼吸が自分の肉体にみなぎり、実際に自分の肉体器官に働きかけるのを観察した。「呼吸のそれ以外の多様性、たとえば、生殖器や腰の部位に属する腹式呼吸や、左側の呼吸であって同時に右側の呼吸でないような呼吸があることが、私に示された」(『霊界日記』3325)。

 

            スウェーデンボルグ夢日記      
               スウェーデンボルグ著 鈴木泰之訳  たま出版

 

 7月1日~2日
 【209】非常に不思議なことが私に起こる。キリストが神の恵みを私に示されたときのような、強い震えがやってくる。次から次へ10から15回。私は前のときのように顔から投げ出されるつもりで待っていたが、これは起こらなかった。最後の震えで、持ち上げられ、私の手がある背中に触れる。背中全体をとらえ、また同じく前方の胸部下方にも手を伸ばした。すぐにそれは横たわり、また私は正面から顔つきも見る、しかしこれはきわめて漠然としていた。ひざまずき、私も並んで横たわるべきかどうかとそのとき心の中で思ったが、しかし、そうならなかった。これは許されていないかのようだった。震えは、すべて身体の下方から始まり頭へ上っていった。【210】これは目覚めているのでもなければ眠っているのでもない、幻の中でのことである、というのは私の思考もみな一緒だったから。このことが分かるのは、外部から分離した内部の人間である。すっかり目覚めたとき、同じような震えが何回もやってくる。顔から投げ出されなかったから、これは聖なる天使のものであるに違いない。これが何のことなのか、主がいちばんよくご存じである。「おまえの導きとなるものを何か持つべきである」と、最初のときに言われたようだ。またはそのようなこと。私の中の内部と外部の人間に神の恵みが示された。神ひとりに賞賛と誉れあれ。
 【211】次に続いたことやその他の根拠から、これは、私が「内部の感覚」についての真理を明らかにするだろう、ということに違いないと認めた。しかしそれらの背後に触れるのであり、正面は漠然と。なぜなら、このことの前に、私にこれまでのこの主題についてやり遂げてしまうという予告がなされたようだったから。まさにその後、私の取るに足りないスタイヴア貨を、より価値のある硬貨に交換する特権を得たことが私に示されたように。そのとき、少しばかりの金〔貨〕が私に与えられた。しかし、それにはまだ銅〔貨〕も一緒だった。
 7月3日~4日
 【212】特別な優しさをもって、キスをして、女と別れたようだ。少し離れたところに別の者が現われた。目覚めたとき、恋の欲望がまだ続いているかのような感じだった。それでもまだ、あたかも不平を言うように、「少しも理解していない」と言われた。これは、私の書いている「感覚全般」が今や終わりにきている、また計画しているところの「内的機能の働き」が把握できないこと、それと私が今や「大脳」についての、第二部まできていることを意味する。

 

 7月7日~8日
 【213】楕円形の球体がその底部から最上部へと凝結してゆく様子を見る。舌の形をとって。それからその後、これは広がり、広がって消えた。私の信ずるところ、最内部は聖域であり、下方の球体の中心として仕え、そしてこのことの大部分は、舌の表わすこととして考え出されるだろう、これを意味する。私はこうなる運命だった、と信じた。これが、
私が何とかしなくてはならなかった聖域の疑いようもない意味である──このことより確実なことは、科学のすべての対象は女の形をとって私に現われることである。さらにまた、私を父の属する会に入会させるべきか、審議がなされていた。
 【214】おなじく、神の御子は愛であり、この方が人類に善をなし、その罪を取り去られる、という確かな思考もやってきた。実に、最も厳しい刑罰さえも。それゆえ、もし正義があるなら、慈悲は愛を通してもたらされるに違いない。

 

 7月9日~10日
 【215】王と一緒に談話していたが、あとになって王は部屋に退いた。その後、王子たちと話を交え、面識を得る。彼らの間で私のことが話題になる。私は彼らに、「私は愛とか崇拝について臆病なのです」と語った。立ち去ろうと思ったとき、女王のテーブルが用意してあるのを見る。私はしかるべき服装でなかった。その場は、何かの機会に、急いで白い上着を脱いだ。上に行って、着てこようと思った。父と話し、決して誓ってはならないことを父に気づかせたので、父は私にキスをした。ここで、女王が召し使いを連れて上がって来た。これは、私が神の子供たちと交遊関係に入ったことを意味する。なぜなら前日、別の宿*を選んだから。

 

  原注(*)ブロツクマーのところを去った後、スウェーデンボルグはリチャード・シアースミスの家に移った。(1772年3月29日、彼が亡くなったのはここである)

 

※ この日記部分は、スウェーデンボルグが狂気にあったとする年月のための、その転換期の期間の日記を記載しています。             

    シグステッド著スウェーデンボルグ叙事詩の第23章「転換期」

         「転換期のスウェーデンボルグ」 より引用

 彼は、守護霊が自分のごく年若いときから一緒であった、自分に神の栄光を増し加える目的のための才能が与えられた、自分が正しい道を行く以外のことを行なうなら生きる価値はない、と気づきます。娯楽・富・地位、これらはすべて虚しいものと認めます【165】。 神はまさに彼に語り掛けておられたのですが、彼はそれをほんの少ししか把握していません、語り掛けが象徴によってなされていたので、まだ、ほとんど理解できなかったのです【175】。非常に見事な地所を所有している女の人と一緒にその地所を歩き回る夢を見ます。彼女と結婚することになっていました。彼女は敬虔と知恵を意味します【179】 。すべての「情愛(感情)」は女によって表わされます。宗教的エクスタシーにおける神秘主義者は、神への愛を表現する言葉を、この世の愛、その肉体的な愛に相当するものを借りて表現することがあります。驚くべきことに性愛的な要素がスウェーデンボルグの夢の中にしばしば現われてきます。人間の生理について学んだ者として、彼は性的な夢の意味を記し、それらをわずかでも隠そうとする意図もなしに正直に描くことができました。ある性的な記事の後、「こうしたことは、世間の目から見れば不純であろう。しかしそれ自身は純粋である」と彼は言っています(1744年4月24日【179】。高貴な処女たちは彼の愛した真理と哲学上の研究を表わし、そして、彼女たちとの結びつきは知恵への彼の愛を意味しました。彼を背後から捕らえようとした虚偽はぞっとするような形で現われました。こうしてある忌まわしい夢は、自分の時間をより高い事柄に使うべきだ、はるか下方にある世俗の事については書くな、ということを意味しました。「神よ、私に恵みをくださり、さらにお教えください!」と懇願しています。(日記【185】)
 この全期間、スウェーデンボルグはオランダに滞在し、『動物界』の出版に没頭しており、その最初の二巻が印刷されています。1744年の春、船の夢を見ますが、これは著作をイギリスで続けなければならないことの象徴であり、そこで三巻目はイギリスで出版しようと決めました【176】。
出発の前に、友人のプレイス大使をもう一度訪ね、著作の最初の二巻を贈呈しています。アムステルダムの銀行、グリル社からクレジット(信用貸し)を取り付け、5月13日の月曜日、アムステルダムの下宿を引き払い、イギリスに出発します。ハーウィッチに到着するのは5月15日──これはイギリスの暦では5月4日でした【192】。
 到着した夜、スウェーデンボルグは非常に美しいデザインの銅版画の夢を見ます。これは彼が今にも非常に立派なものを生み出そうとしていたこと──次の作品『神の崇拝と神の愛』の前兆であることを意味しました。(日記【194、195】)〔訳注、スウェーデンボルグ自身は『動物界』第三巻の図版と解釈しています。〕
 別の夢では敬虔な靴職人に触れ、「旅で一緒になり、そのときその人のもとに下宿した」と言っています【197】。旅行中に出会った「敬虔な靴職人」とは、オランダにいる子供たちを訪ねた後、ロンドンに帰る途中のモラビア派信徒のジョン・セニフでした。スウェーデンボルグは自分が静かに過ごすことのできる家族を推薦してくれるよう頼み、ロンドンのドイツ人信徒協会の幹事であったセニフ氏は、まず自分の家に連れて来て、その後、フリー卜街の金時計の彫刻師ジョン・ポール・ブロックマーを紹介しました。四日後、スウェーデンボルグは彼のところに下宿します。ブロックマーもまたモラビア派信徒であり、彼の家で兄弟団の集会がもたれていました。一時、スウェーデンボルグはこの人たちと
フェタ通りにあるモラビア派の礼拝堂に同行しましたが、その団体に加わりません。彼はスウェーデン教会に出席し、そこで聖餐に与り、献金しています。
 モラビア派信徒たちについて彼は次のように言及しています──
 いろいろな摂理によって、私はモラビア兄弟団に所属する礼拝堂に導かれた。自分たちは真のルター派である、聖霊の働きを感じる、と主張している。その働きとは彼らが互いに語るところでは……。私はまだ彼らの兄弟団に加わるのは許されていないのだろう。彼らの礼拝堂は、その後になってちょうど見たままのように、3か月前に私に示されていた。また、そこの全員は聖職者のような服装であった(5月19~20日)。(日記【202】)
 スウェーデンボルグは隠遁生活を送っていたのですが、ブロックマーとは友好期間を持ち、しばしば談話しています。疑いもなくブロックマーは、霊的な物事に強烈に引き付けられたこの下宿人に好奇心をそそられました。私たちは、スウェーデンボルグの高められた状態が家族一同に何か強烈なものを伝達したであろう、と容易に推測できます。かつて、そこの女中がベッドや部屋の掃除をしようと入ってくるのを拒んで、部屋の扉を二日間開かなかったことがあります。厳粛な大きな著作に携わっているときには一人にしておいてほしいのです、と彼は言っています。
 モラビア派信徒たちにとって、彼が自分たちの教派に加わらなかったことは期待外れだったでしょう。彼の経験している驚くべきことは、彼らの活動範囲外であり、彼らはそのことに憤慨したのでしょう。7月にブロックマーの家を去り、ほかの下宿に移りますが、ブロックマーとそこの女中が彼の研究を妨げ、彼の論文をいじる癖があったのがその理由の一つでした。(原注、シアースミスはカー夫人のところに下宿したと言っている。
スウェーデンボルグの去る前、悩ましい出来事が起こり、このことはその後さらに大きく間違えられ、スウェーデンボルグは狂気であったとのうわさを引き起こすことになりました。
 時計彫刻師のブロックマーは宝石商人たちとも商売をしていましたが、その中に不正直者がいたのかもしれません。
 話によれば、二人のユダヤ人が、スウェーデンボルグが部屋でぐっすり寝込んでいるのを見て、それをよいことに彼の金時計を盗みました。スウェーデンボルグはあとになって枕元に時計が見当たらないのを知って、その人たちに返すよう要求しました。
「あなたがエクスタシーの状態にあるとき、自分で時計をひっつかみ、通りに出て、どぶに投げ込んだのを覚えていないのですか?」とその人たちは言いました。
 「私の友よ、あなたはその言葉が間違いだと知っている」これがスウェーデンボルグの返事です。
 その後、二人の悪党を裁判に訴えたらとの助言を受けましたが、彼は、そうする価値はない、と言っています。「彼らの行動によって、私以上に彼ら自身が傷ついている。主が彼らに哀れみを持たれますように」。)
 当時、スウェーデンボルグは感覚を扱っている『動物界』の第三巻を著述していましたが、思考の他の方向が開かれ、その心の中に新しい計画が形作られていました。夢の中に、大きな美しい宮殿が示され、そのそばのイチジクの木の快い木立ちと取り巻く堀がいつもそこから見ることができそうなので、そこに住みたいと願いました。「翼(よく)をずっといったところの窓が開いていた。ここに私の部屋を持ちたいと思った。宮殿は私の著作の構想を意味するのだろう」(6月15日~16日)。(日記【205】)
 かつて、眠りと目覚めの間で彼は、「聖なる震え」に繰り返し襲われ、幻の中に一人の男を見ました。「それは聖なる天使であったに違いない、なぜなら、顔から投げ出されなかったから」と彼は結論しています。このことを「外部の感覚から分離した内部の感覚から」知った、と彼は言っています。これは、内部の感覚がますます明確で継続的なものになってゆくという長い連続の最初のものでした。(日記【210】)
 9月21日、スウェーデンボルグは初めて霊から話しかけられます。自分の著作について深い思考に浸っていましたが、そのとき突然、「黙れ、さもないと、おまえを打つ!」という言葉が聞こえました。この出来事に怯え、彼はこのことを研究に、特に日曜日の夕方に、あまりに長く夢中になるな、との警告と受け取っています(日記【242】)。実際、彼は根っからの著述家でした。『五感』の原稿を二つ折り判(四頁分)にして200頁もの書き改めを一か月半足らずの間に成し遂げています。人々は、その非凡な知性を今日の私たちに伝えてくれるガチョウの羽ペンを削る暇さえどうやって見つけだしたのだろうと驚きます! この驚くべき速さは彼の頭脳が飛び抜けて明晰であったことによってのみ可能となります。そのどんな負担も、よく考え自ら課したものでした。彼自身の言葉によれば、彼は「心配や苦労に邪魔されずに、長く深い思考にいた」のです。試練が起こったのは彼の霊的な生命においてです。彼は、職務では慎重、社交では控えめであり、ときおり愉快な気晴らしにも加わりました。
 その莫大な著作を書き続けている間に、彼は天界の神酒(ネクタル)を飲む夢を見ます。それは、その著作への助けが高い源泉からやって来るであろう、そして神が彼をたんに器として用いられるであろう、ということのしるしでした【235】。「私は神がみこころのままに用いられる道具のようなものである……。私が竜を殺す道具となれたら! と望んだ」(日記【245、227】)
 試練は依然と彼を襲います。そそのかされて得意になり、自分の著作を誇ります。「神お一人以外にだれも私を助けることはできない!」と絶望のうちに叫び、巨大な黒い雄牛に突き刺されそうになる夢を見ます。「おまえは無事に通過できる」と言われます。彼は、自分が「触覚」についての第一章をやり遂げたとき何かが起こるだろう、という予感を得ます【248、241】。この予言は的中します、というのはすぐあとで、スウェーデンボルグは、その真ん中に太陽が壮麗に輝いている美しい宮殿の切妻壁についての夢を見たからです。「その会の中で、私を会員にすることが決定した、と私に言われた。不死の会員であり、これは死んで生き返った者以外に、だれ一人なった者がいなかった」(日記【243】)  彼の心に新しい書物が形作られていました。その題名は夢に出てきます──それは「神の崇拝と愛についての神聖な本」となるだろう。また幻の中で、これはまったく異なっている愛から発する、他の著作とはまったく違ったものであることが彼に示されました。それでも彼はこれが(他人から)たんなる物語りや慰みものと見なされるのではないか、と疑っています。これを放棄しようという気にすらなったのですが、しかし、継続する力を与えられました【261、262】(10月6~7日)。(日記【250】)
 2日後に述べていることは──
 今夜は今まででいちばん嬉しかった、なぜなら、無垢の王国の幻を見たから。下方に想像できる限りで最も美しい庭園を見た。どの木にもかわるがわる白バラが置かれていた。その後、広い部屋に入ったが、そこにはミルクやパンの入った容器が並んでいた。これ以上食欲をそそるものは想像できないほど食欲をそそった。特には思い出せないがある女の人と一緒だった。そこから戻るとき、美しい小さい無邪気な子供がやって来て……。これは、子供は無垢そのものを意味し、私が無垢の王国にいたことを意味する。私はこれに大いに心を動かされ、すべてが無垢であるそのような王国にいることができたら、と願った。目覚めたことを嘆く、そこを去らねばならなかった」。(日記【257~259】) 

※ この高貴な処女の表現の感覚は、ノートルダム大聖堂ボエティウス哲学の女神と共通の感覚だと思われます。別の表現をすれば、高級天使だと思われます。    

 ※ (創世記2・7)の「神エホバは土地の塵で

人を形られ、生命の息を(spiraculum)その鼻に吹

き入れられた。人は生きたものとなった。」

 聖書の世界では、息と命は密接です。旧約のヘブライ語に「ルアハー」は、息、命、風であり、ギリシャ語による新約聖書は「ルアハー」は「プネウマ」に訳されます。これも「息、風、命、霊」を意味しています。聖書がラテン語に訳された時「ルアハー」はラテン語spiritusと訳され、これが英語のspiritの語源となっているのです。キリスト教ではSpiritusは神の霊、神の息吹、聖霊を表します。Spiritusはspirareの名詞形ですからやはり「息」と「命」の関係がここにもあります。
息は命の証。そもそも「生きる」という言葉は「息」からくるそうですし、亡くなる時「息を引き取る」と言いますね。「息」と「命」は密接な関係にあるのです。
 ところで以前にブームとなった「千の風になって」の風は純粋な単なる風なのではなく、「霊」をも含んでいます。私たちは「この風を心の中では、個人の霊と思うのではないですか!」 古代の人々は、もっとその感性が鋭く、そのため「息・命・風・霊」を同義語として表現されていたのでしょう!。

以下は「千の風になって」の原詩です。(千の魂となって!。)      

 

※ 追加及び修正の予定あり。

ナイチンゲール・・・・夢 』の夢解釈 !~10

 

        「ランプの貴婦人」1891 年に発行された版画。

            ヘンリエッタ・ レイ (ノーマンド夫人) の絵画より。

     ランプの貴婦人

      見よ! このつらい時間に        

      ランプを手にした婦人が
      おぼろげな闇を通って
      部屋から部屋と過ぎゆくのがみえる
      すると、至福の夢をみているかのように、
      ゆっくりと
      患者は黙って向きを変え
      彼女の影が落ちるとき
      その影に口づけをする

                   詩人 ロングフェロー          

 フローレンス・ナイチンゲール(1820~1910)にとって〈神〉とは、「祈り」の対象ではなく、貧しい人びとを救済する善意に基づく「行為」の内に存在するものでした。

 ───1837年2月7日、17歳の彼女は「我に仕えよ!(To My Service)」という神の啓示を受けたといいます。その後3回ほど神の声を聴いています。そして1842年に歴史に残る大飢饉が起こり、イギリスは失業者であふれました。貧しい村で病気や飢えで苦しむ人たちへの奉仕をし続ける内に、ナイチンゲールは貧しい人や病人を助けることが自分の人生ではないか?と、このとき24歳で、これが以前に聞いた「我に仕えよ!」という神の声の意味なのだと悟ったのでした。そして、世の中に奉仕すること、つまり看護師になることを熱望したのです。
 その後、宗教的、宗派的対立の中で紆余曲折の末、ナイチンゲールは特定の宗派に属さず「善きサマリア人」派として生きたのです。

 フローレンス・ナイチンゲール(1820~1910)は,イギリスの富裕階層生まれ。さまざまな領域の勉強をする中で20歳のときに数学を志し理解がされず挫折しましたが、平均人の概念で知られるベルギーの統計学者ケトレの仕事に興味をもちました。その後,看護の仕事に携わり、訓練を受け,さらに1853年のクリミア戦争(ロシアとトルコ・フランス・イギリスの戦い)においてイギリスから看護団を派遣する際には,自ら志すとともに推薦も得て,野戦病院で働くことになりました。
 ここで彼女が直面したのが病院の劣悪な衛生環境でした。兵士は戦争そのものや戦傷で死ぬよりもはるかに多く,伝染病などで死んでいることがわかったのです。こうした中で彼女は看護に尽くし,その彼女のようすが母国イギリスで新聞報道されていたこともあり,ナイチンゲールは国民から熱狂的な人気を博すことになりました。基金が集まり,自らの名を冠した看護学校を作り,看護師教育システムを整備していきます。それが現在でも,看護学校・看護大学などの戴帽式では,ナイチンゲールが当時ロウソクをもって病棟を回っていたことにちなんで「灯火の儀」(キャンドルサービス)が行われています。

     ナイチンゲール誓詞
われは此処(ここ)に集いたる人々の前に厳(おごそ)かに神に誓わん
わが生涯を清く過ごし、わが任務(つとめ)を忠実に尽くさんことを
われは総(すべ)て毒あるもの、害あるものを絶(た)ち、

悪しき薬を用いることなく又知りつつこれをすすめざるべし。
われはわが力の限りわが任務(つとめ)の標準(しるし)を高くせんことを努(つと)むべし。
わが任務(つとめ)にあたりて、取り扱えたる人々の私事(しじ)のすべて、わが知り
得たる一家の内事(ないじ)のすべて、われは人に洩(も)らさざるべし
われは心より医師を助け、わが手に託されたる人々の幸のために身を捧(ささ)げん

 

* ナイチンゲール誓詞とは、ナイチンゲールの看護に対する精神を基とし、医学に
携わる看護師としての必要な考え方、心構えを示したもので、ナイチンゲール
偉業をたたえ、その教えを基として 1893 年、アメリカ、デトロイトの看護婦学校
長夫人を委員長とする委員会が、「ヒポクラテスの誓い」にならって作成したもの
です。

 クリミア戦争従軍から帰国してからのナイチンゲールは、軍隊の衛生状態の改善に尽力しました。改善のために必要なのが実態の把握です。実態を解明することは軍部批判にもなりかねませんから,簡単な仕事ではありませんでしたが,統計学者ファーの協力を得て統計分析を行い『英国陸軍の健康,能率及び病院管理に関する諸問題についての覚書』(1859)を著したのです。この報告は1,000ページにも及ぶものであり,そのときに使用したのが,円グラフの一種です。たとえば,円を12分割し,1か月ごとの死亡者数をその原因ごとに色分けして描くグラフによって,イギリス陸軍においては伝染病などで死ぬ人が圧倒的に多いこと,介入による変化(改善)もあること,をダイナミックに示すことができました。
 もちろんナイチンゲールは,報告書を書いていただけではなく,看護のシステム全体を改善していきました。ナースコール,病室の水と湯の出る蛇口,ナースステーションを中心とする病棟のシステムは彼女の考案によるものなのです。
統計学についても高く評価されており,1858年には王立統計学会初の女性会員に迎えられました。ナイチンゲールは1910年,90歳で死去されました。

  キリスト教の宗派間のトラブルに翻弄されたナイチンゲールは、スウェーデンボルグから神秘主義的思想の影響を受けています、神秘主義と哲学における探究が、われわれの存在するものと意志と目的が人類に及ぼすことは明白であると述べ、そして自然界を良く観察して、神の創造物である自然界を五感で感じることができれば、神の存在に気づき、神は身近にいるとの考えに及んでいます、それで真理の探究に関わる限り、それはスウェーデンボルグからの影響があると思われます。キリスト教神秘主義では、聖書から学び、イエス・キリストを信じ、教会の儀式に参加することによって神に近づくこと、神を知ることができるというものです。特に、キリスト教神秘主義では、知性では到達できない霊的な真理を、おもに“キリストに倣う”ことにより、把握しようと努めます。それは、キリスト教にとどまらず、あらゆる宗教(religion)の教義が個人の内的世界に影響を与え、その内的変化が人の行為として表出されます。元来、宗教という言葉は、ラテン語のレリギオ(religio)からきており、語源 には再び(re)、神と結ぶこと(ligion)=人と神とを結びつけるものという意味があります。つまり、宗教とは、人間を超越した神の存在に対する信念や思想を含み、その信念は、神への信仰を基本としています。
 ナイチンゲールは,見えざる王国が見える王国と自由に交流していることを語る類の本が好きであると述べていて,「美しく穢れのない器(内なる自己)には神が宿り、神が語りかけるとしてスウェーデンボルグの器はきれいであった」と、スウェーデンボルグを美しく穢れのない器(内なる自己)として賞賛しているからです。

  ※ 左は、「こうもりグラフ」。右は、「鶏のとさかグラフ」です。

 看護師としても非常に優れた業績を残した彼女ですが、戦争が終結して、帰国したナイチンゲールは、クリミア熱という流行病にかかり、寝たきりになってしまいます。しかしその後、病床にいながら、世界中の医療を変える大変革を起こします。まず、野戦病院の経験から、「当時の陸軍病院の死亡の大半は戦争によるケガなどではなく、院内の劣悪な衛生環境にある」ことを突き止め、この事実を誰にでもわかりやすく説明するために、学んだ数学・統計学を生かして「こうもりグラフ」「鶏のとさかグラフ」などの様々なデータ集計・可視化を行い、病院の現状をイギリス議会に訴えたのです。

 このグラフによって、まずはイギリス陸軍の病院の衛生が見直され、その後また、国中の病院でも改革が進められていきます。1860年にはクリミア戦争時に集められたナイチンゲール基金をもとに、ナイチンゲール看護学校を創設しています。卒業生は世界中に渡り、世界の医療まで塗り替えていきました。現在では当たり前となっているナースコール、ナースステーションをはじめ、現代の病院の基本設計であるパビリオン式設計に至るまで、ナイチンゲールが考案したものです。その功績を讃えられ、ナイチンゲールは1859年に女性として初めて王立統計協会(the Royal Statistical Society)の女性会員に選ばれ、その16年後には米国統計学会の名誉会員にもなりました。

 ナイチンゲールは世界中の医療を改革しました。「近代看護教育の生みの親」なのです。白衣の天使・ナイチンゲールは、死亡統計の改善に尽力し、医療統計学を生み出しまさに「統計学の母」でもあったのです。彼女が考案した死亡率や、平均入院日数の計算方式は、現在の医療統計学にそのまま使われています。

 現代においても、看護学校に入学する際は、「ナイチンゲールの誓い」を立て、彼女が執筆した「看護覚書」を読み学びます。彼女こそが、歴史上数学・統計学をもっとも活用した人物の1人であるでしょう。

 そのナイチンゲールが残した名言を2つ紹介したいと思います。

「天使とは、美しい花をまき散らす者ではなく、苦悩する者のために戦う者である。」

「あなた方は進歩し続けない限りは退歩していることになるのです。目的を高く掲げなさい。」     

 ※  参考引用 佐々木秀美著:ナイチンゲールの宗教観に関する若干の考察、

         他 wakara統計のホームページなど参照

                                  新   教   会  機関誌      鳥 田 四 郎 主筆より引用

    

        本『創世記霊解』は、もっとも忠実な客観的紹介でなく、私自身の主観的理解に

     よる紹介で自由な解釈をしている所も多いと思いますから、あらかじめご了承下さい。

        

        『 創 世 記 霊 解 (3) 』                          

 

   天的人の堕罪的兆し(創世記2・18-25)
        ―人間有への欲求―
  

    (一)人間有への欲求と主の憐憫による
         第一処置(18-20) 
18  エホバ神言たまひけるは、人独りなるは善からず、我彼に適う助者を彼のために造らんと 19  エホバ神土を以て野の諸々の獣と天空の諸々の鳥を造りたまひて、アダムの之を何と名附くるかを見んとして、之を彼の所に率いいたりたまへり。アダムが生物に名附けたる所はみなその名となりぬ 20 アダム諸々の家畜と天空の鳥と野の諸々の獣に名を与えたり。然どアダムには之に適う助者みえざりき。                     

 『人間有』ここに「有」と訳した語は、原文ラテン語ではPropriumで英語のownに当る。その意味するところは「それ自身の所有」である。「人間有」と訳したman's Ownの意味する処は、何らかの善きものが人間自体に所属するかのごとき迷妄的観念及びかかる観念に立った生活態度である。「神ひとりの他に善き者なく」「人は天より与へられずば、何をも受くること能はず」(ヨハネ3・27)と云うのが聖書の教える処である。
【独りなるは善からず】「独り居る」とは、神のみに依頼し、神のみに導かれる生活態度で、天的人の在るべき姿である。イスラエルの民は近隣の異邦民族と交らず、異教的感化を却け、ただエホバのみにより頼み。之に導かれることが理想的姿であった(民数23・9)しかるに今や、何らかの人間有に対する欲求が生じ来ったこの天的人に対して、主は、強制的態度で之に臨むことを好しとし給わず、寛容を以て許容の道を開かんとし給うたこと。
【野の獣・天空の鳥】」 天的人の情動及び理解力
【名附く】 「名」とはそのものの本質・性格等。それ故「名付ける」、「名を知る」とはそのものの本来の姿や性質・性格等を知ることを意味する(イザヤ45・3、4、40・26)
霊 義 主により天的人の状態に導き入れられた最古代教会は今やその霊性漸く凋落の兆を呈するに至った。即ち、一度は主の聖翼の蔭にのみ宿り、安息日戒律に生きる生活態度に終始してきた彼らであったが、今や人間自体のうちに於ても何らかの善きものが原因しまた存在し得るとの妄想が生起し来り、神と共に生き、神のみに導かれんとするよりも、自已によって生きんとの欲求が生じ、そしてやがては次章に見るがごとき「神の如くならん」との傲慢の萌芽を見るに至ったのである。神はここに於いて彼らの堕罪への危険を認め給うた。ただし人間に自由を与えてい給う神は人間の欲求するところが仮令悪へのそれであっても、無下には之を禁圧し給わず、一応これを許容しつつも別途の手段においてその危険を除去または軽減し給う柔和なる慈父にて在りし給う。そして今、神によって採られた第一手段は彼ら天的人の享受し得る善への情動(野の獣)と真理についての知識を与え、これによって彼らが楽しましめられ、また反省させられることであった。ただし一度欲求され初めた人間有は、彼らの欲望を満足せしめるためには、彼らには余りに消極的施策とされた。それ故ここに「然れどアダムには之に適う助者みえざりき」とあるのである。
  (二)人間有への欲求と主の憐憫による 
     第二処置(21一22)
21 ここに於いてエホバ神アダムを深く眠らしめ、眠りし時その肋骨の一つを取り、肉をもてそこをふさぎたまへり 22 エホバ神アダムより取りたる肋骨を以て女をつくり、之をアダムの所に連れきたりたまへり。
【熟睡】霊的迷いの状態で、人間有に在ると思惟する状態である。(イザヤ29・10、エレミヤ51・57)
【肋骨・肉】 「骨」は「肉」に対する語で、古代人には肉は生命あるものを意味していたのに対して、骨は生命なき悪しきものを意味していたことはエゼキエル書の枯れ骨の谷の異象(37・115)その他(イザヤ58・11、66・14)においても知られる。そして胸は人の愛を象徴するものであり、肋骨は胸部にある骨であるから悪に在る愛、即ち人間有を意味する。
【女】「肋骨」が神によって未だ活かされていない人間有を象徴するものであるのに対して、「女」は活かされて潔められた人間有を象徴している。
【之をアダムの所に携れきたりたまへり】神が人間有を許容し給うたこと。
霊 義  一度人間有への欲求を抱くに至ったアダム教会の人々には、慈父なる神のとり給うた前記の措置は余りも消極的な姑息的なものとしか思えなかったであろう。ここにおいて神は保留し置き給うた残る処置、即ち人間有を彼らに許容して彼らの欲求を満し給いつつも、彼らの堕罪を防ぎ給うたのである。元来、それ自体において生命を有しそれ自体において存在し得るものは神の外の何物でもあり得ない。ただし愛なる神は人間を機械として、または僕としてこれを創り給わず、自主意識に立つ「子」として創り給うたのである。この与えられた特権の自主意識の故に人間は動もすれば、自らに於て生き、動き、考え、語るものと考え勝ちである。ただし、被造物なる人間は創造者なる神を離れては、生きることは勿論、一つの想念をもいだき得ないのである。この事実を正しく把握して、すべてにおいて神に依頼み、神に導かれようとするのが天的人の姿である。しかるに今や人間有への欲求生じ、彼らは自らに導かれようとした。神は人間のこの欲求を一応許し給いつつも、その人間有を潔め給うた。それ故「アダムを熟く睡らしめ」、悪そのものなる人間有を象徴する肋骨を取去って、神によって潔められた人間有を之に代えて与え給うたことを意味するべく、一面においは「肉をもってそこを塞ぎ」なる表現を用いると共に、他面[肋骨を以て女をつくり、これをアダムの所に携れきたりたまえり]との表現を用い給うたのである。何となれば「女」は潔められた人間有を意味するからである。
    (三)潔められたる人間有(23─25)
23  アダム言けるはこれこそわが骨の骨、わが肉の肉なれ、これは男より取たる者なれば、これを女と名附くべしと 24  この故に人はその父母を離れて、その妻に合い二人一体となるべし、25  アダムとその妻は二人共に裸体にして恥じざりき。
【男】 「内なる人」を意味する。そして内なる人は直接神よりの生命に与っているものであるから、「男」は智者・賢人をも意味する(イザヤ41・28、エレミヤ5・1)。
【わが骨の骨、わが肉の肉】 「外なる人の人間有」を意味する。そして外なる人は内なる人と結合された関係にあるものであるから、血族関係をも表す(創29・14、士師9・2等)          
【父母を離れ】 「父母」は生み出すものであり、外なる人を生み出すものは内なる人であるから、「父母」は「内なる人」を意味する。この内なる人を退ぞくこと。
【その妻に合い二人一体となる 】内なる人が外なる人の中に入り、外なる人において結合し、かくしてすべては、内なる人と外なる人とが明確に区分して意識された状態の霊的位置から低下して、人間有と結合したことを意味する。
【裸体にて恥じず】 人間有に主が注入し給うた無垢(innocence)の故に、主に受納される状態に在ること>
霊 義 子供は幼少期においては母親の保護とその指導の下に生きることを喜ぶが、少年期から青年斯と進むにつれて両親の指導下に生きるよりも、自己の自覚に立って自らを導く生活を喜ぶようになる。しかし天の父なる神に対しては人間は永久に幼児の態度を堅持しなければならない。
 しかるにアダム教会の人々は、直接の神の指導下にある内なる人の天的生活を喜ばずして、間接的な神の指導下に在る外なる人の状態、即ち自己に導かれる人間有を欲求し、かくしてその霊的生活は一段と低下するに至った。
 しかして彼らは今や、欲求してみまなかった人間有に生きることを得て、先の日の内的矛盾は解消して満足せしめられた。しかも憐憫に富み給う主は彼らの人間有を潔め給い、霊的美徳の最たる無垢を注人し給うた。それ故彼らの人間有は失楽園以後の堕罪せるそれではなく、あたかも神と共に在り得るものであったのである。幼児は天使の如く罪より潔められてはいない。しかも彼らのわがままで利己的性格をも却って魅力あらしめ、天使の面影を彷彿せしめるものは「裸体にて恥じざりき」と表現される如き無垢と、その母親に対する信頼の態度に在る。父母を離れて結合される男女間の結婚愛も相互に主に在る信仰と愛によってなされるとき、最も美しい天的なものとなり、これに反するときは最も醜悪なものとなる。  

 

『 視霊者の夢 』の夢解釈 ! ~9

  左は画像は、ウォルトディズニーの「ジョニー・アップルシード」 の絵本

  右は、1871年発行の『ハーパーズ・ニュー・マンスリー・マガジン』誌掲載のジョニー・アップルシード

 

 ジョニー・アップルシード(リンゴの種)はニックネームで,本当の名はジョン・チャップマンという。背は低く,やせて小心な男だった。 1806 年頃はピッツバーグ近郊のリンゴ園でリンゴの世話をしていた。しかし新天地をめざす男たちの高らかな足音を聞くようになると,自らも西部開拓を夢見て落ち着かなくなった。とはいえ西部は屈強な男たちの世界であり,ひ弱な自分は開拓者という柄ではないとも思う。そこに老人の姿をした天使が現れ,ジョニーに西部へ行くことを命じる。ジョニーは未開の地にリンゴを植えるために,リンゴの種と聖書をもって出発した。ナイフも銃ももたずに西部へ行ったのは彼が初めてだったが,彼は動物を含む土地の住人たちとすぐに仲良しになった。そしてリンゴを植えた。彼はリンゴを植えただけでなく豊かな信仰心と勇気も広めた。 40 年以上西部を歩き回り,次々にリンゴ園をつくっていった。このようにして彼は大西部のすみずみに足を運び,行ったすべての土地を愛と信仰とリンゴの木で満たした。やがて天国からの迎えが来る。この世でもっとリンゴを植えようと思っていた彼は抵抗するが,天国にはこの世以上に仕事があると天使に説得され,二人で天に昇っていく。リンゴの花のように見えるうろこ雲は,ジョニーが切り開いた天国のリンゴ園を表しているにちがいない。

  1948 年、このディズニー映画『メロデイー・タイム』によってアップルシード伝説が大衆化されると同時に,スウェーデンボルグという名前も消え,アップルシードは聖書を手にして西部へ出かけたという話になる。しかし、このディズニー映画はそれ以外の点ではアップルシード伝説にかなり忠実なので,原作者がスウェーデンボルジャンとしてのアップルシードを知らなかったはずはない。明らかに意図的にスウェーデンボルグという名前は削除されているのである。おそらくスウェーデンボルグという名前を出すとめんどうな解説が必要になるので,聖書で置きかえたのではないだろうか。とはいえこの映画にはスウェーデンボルグを想起させる部分がいくつかあってたいへん興味深い。
 まず第一に,ここで天使が登場するが,それは普通の老人の姿で描かれており羽をもった白衣の天使ではない。これに「奇妙な姿であるが,アップルシードは天使はそういう姿をしていると思っていた」というナレーションがつく。ここは,天使は人間の姿をしており、羽はないというスウェーデンボルグの報告そのままである。第二に,天使が天国にはたくさん仕事があるといってアップルシードを説得する場面。天国にはたくさん仕事がある,天使は忙しく仕事をしているというのもスウェーデンボルグの重要な教えである。なにげない話のようであるが,ここには天界的平安は怠惰な生活によってではなく他者のための役立ちの生活によって得られるというメッセージが隠されている。そして第三に,うろこ雲を天界のリンゴ園の象徴とみなしている部分。これはスウェーデンボルグの宗教思想の重要な概念である相応に関わる。聖書は相応のことばで書かれているとスウェーデンボルグはいう。聖書のことば、一つひとつに文字の意味だけでなく,内的な意味がある。いうなれば聖書に出てくるものはすべてスピリチュアルな何かを表す象徴なのである。神がイスラエルの民を雲の柱で導いたり,人の子が天の雲に乗って来るといわれたり,聖書の中では雲は非常に神聖なものの象徴とされている。スウェーデンボルグによると,雲は神の真理を表す。この映画でも雲をアップルシードの善行を表す美しい象徴として使っているところがなかなかスウェーデンボルグ的なのである。この映画はスウェーデンボルグという名前は削除しているが,スウェーデンボルグのアイデアは生かしているように思われる。そしてそのことがこの映画に深みと詩的味わいをつけ加えているのも確かであろう。

※ リンゴに限らず、果樹の苗木は接ぎ木や、挿し木で栄養繁殖されます。このことによって、親と同一の特性が引き継がれます。種実からの繁殖では、同じ品質のリンゴとはなりません。そのため、アップルシードのリンゴは、甘みもうすく、酸っぱみのあるものでした。ですから直接の生食用ではなく、料理や、保存のきく、発酵アップルサイダー等をつくるためでした。この頃は、次はどこで水が手にはいるか分からない開拓者の長旅に必要な飲用に必要なリンゴだったのです。

 

※ 「新教会」での紹介では

 「西部の辺境に一風変わった新エルサレム教会の伝道者がいる。物質的欠乏や肉体的苦痛はほとんど意に介しない。はだしで歩き,家の内でも外でもどこでも寝ることができ,わずかな粗食を常食とする。実際に彼は,はだしの足で氷を解かす。
彼は新教会の本で手に入るものならなんでも用意し,遠くの開拓地に出かけ,読者がみつかればどこでも本を貸す。そしてしばしば一冊の本をニ・三部に分け(当時の製本は今日とはちがって数ヶ所をひもでとじるようなもので、簡単に分冊にすることができたらしい)より多くの人びとに配布し役立てる。この人物は過去何年もの間,数え切れないほど多くの未開地の(二,三エーカーの)わずかな土地にリンゴの種をまき,苗木を育てるという仕事に従事してきた。これらの仕事は開拓者がやってくるようになると貴重なものになる。そしてすべての利益は,彼のスウェーデンボルグの全著作を発行し合衆国西部の開拓地帯に配布するという目的のために使われるのである」。


 アップルシードを讃えた詩 

     リデイア・マリア・チャイルドの『アップルシード・ジョン』 (1880)

あわれジョニーの腰は二つに折れ曲がった,
長年の労苦と骨折りで。
しかしなお彼は大きい豊かな心で信じていた,
人に思いやりのある行為をしなければならないと。
老ジョニーは言った。…
「わたしのすすむ道がある」。
彼は働いた,いっしょうけんめい働いた,
しかしだれも彼の心に秘めた思いを知らなかった。
彼は仕事の報いに熟れたリンゴを受け取った,
そしてていねいにリンゴの芯を取り出した。
袋をいっぱいにすると出かけていった,
そして幾日もだれも彼を見なかった。…
彼はとがった杖で穴を掘り,
芯をひとつ入れては,
土をかぶせ,立ち去った
太陽と雨と風とにゆだねつつ。
こうして彼は旅を続け,時が過ぎ,
やがて人は彼を老アップルシード・ジョンと呼ぶようになった。

 

   1812 年の戦争のとき(米英戦争は、1812年6月から1815年2月までの期間にイギリス、その植民地であるカナダ及びイギリスと同盟を結んだインディアン諸部族とアメリカ合衆国との間で行われた戦争。米英がカナダ、アメリ東海岸アメリカ南部、大西洋、エリー湖及びオンタリオ湖の領土を奪い合い、また両陣営がインディアンに代理戦争をさせたため、北米植民地戦争でもあり、インディアン戦争でもある。)彼はインディアンに攻撃されることなく森を歩きまわることができたので,インディアンの攻撃を察知すると開拓者たちに警告したという。ある月明かりの夜,家から家へと走って開拓者たちにさしせまった虐殺の危機を知らせた。そのときジョニーは次のように言ったという。「主の霊が私にのぞんだ。主は私に油をそそぎ命ぜられた。荒野でラッパを吹き鳴らせ,森で警鐘を鳴らせ。なぜなら,見よ,異教徒の群れがあなたがたの戸口を取り囲み,焼き尽くす炎がその後に続いているからだ」との逸話があります。
 また次のような話がある。はだしで毒ヘビだらけの森を歩いで怖くないのですかと聞かれると,にっこり笑っで懐からスウェーデンボルグの著作を取り出し「このお守りがあるからどこでも絶対だいじょうぶですよ」と答えた。彼の博愛主義はここでは、それはスズメバチや馬にまで拡大されている。あるときジョニーは一人の開拓者を助けて道を切り開いていたが,うっかりスズメバチの巣を壊してしまった。怒った一匹のスズメバチがジョニーを繰り返し攻撃し剌そうとしたが,彼はやさしく手で遠ざけるだけで決してスズメバチを殺さなかった。また虐待されている馬を見たり,そのような馬がいると聞くと,彼は馬を買い取り別のやさしい開拓者に無償で譲った。あるいはけがをしたり,年をとって役に立たなくなって捨てられた馬たちがいると,寒くなる前に彼らを集めてえさと避難所を与え,春になって元気になると緑の草地に放した。彼は生き物を殺したり生き物に苦痛を与えたりすることは許されない罪と考えており,食べるために動物を殺すことも決してなかった。
 ビジネスについては,アップルシードは果樹園業者であり,リンゴの苗を売ったのであって常に無償で与えたわけではない。しかし値段は安かったし,ぼろぼろの古着と交換することもあった。そして払えない人には無償で与えた。彼の目的は荒野を実り豊かな土地にすることであって利益を得ることではなかった。といわれている。
 アップルシードは 1847 年にインデイアナ州アレン・カウンティの開拓者の家を訪ね,そこで亡くなっている。駆けつけた医者がこのように安らかに死を迎える人を見たことがないというほど穏やかな死だったという。


  スウェーデンボルグの影響

 アップルシードスウェーデンボルジャンであり、その徹底した博愛の精神をあげることができよう。極端に力強さ,男らしさを強調するアメリカの文化の中で,心優しいアップルシードはまったく異色のアメリカン・ヒーローであった。森で暮らし,インデイアンとも仲良くし,決して生き物を殺さず,ひたすらリンゴの木を植え続けた。これは自分を取り巻く環境すべてと調和して生きるという態度であり,自然を征服するといった考えとは正反対である。
 このような生き方は,スウェーデンボルグ宇宙論と深い関わりがあるように思われる。スウェーデンボルグ宇宙論は機械論ではなく有機的システム論である。スウェーデンボルグの表現によれば,創造された宇宙万物は全体として役立ちの体系をなしている。何一つとして他者と無関係に存在しているものはない。たとえ岩石のように一見何の変哲もないものにも役立ちがある。土は岩からできるし,土があるから植物が育ち,植物によって動物が養われ,それらの恩恵を受けて人間が生きている。岩にもちゃんと役立ちがある。また植物は種という最初のかたちから成長し,草や木になり,それが実をつけ,また種を生む。それは永遠に続く過程である。あらゆる植物の成長過程の中に種を産み出すという目的があるが,これもまた役立ちである。同様のことは動物についてもあてはまる。このようにすべてはそれぞれの役立ちを担い,全体として万物は役立ちの体系をなしている。そしてその役立ちの体系の中で,人間は創造の最終の役立ちを担っているという。すなわち万物の中間的役立ちがあって人間という最終の役立ちがある。そしてその役立ちは人間をとおして始原である神に帰っていく。彼によると,そのような役立ちの体系は全体として見るとひとりの人間のかたちをなしているという。すなわち宇宙万物は人間なのである。それは万物の創造者である神が人間だからである。これはまさに神聖なる有機的システム論といえよう。このような見方に立てば,砂の一粒さえ無駄に存在しているわけではない。アップルシードはこのようなエコロジカルな思想の信奉者であったのであり,環境を傷つけない彼の生き方もこのような思想に由来すると考えられるのである。
 スウェーデンボルグの影響として,第二に,彼が「天界から届いたばかりのよい知らせ」といってスウェーデンボルグの著作を配布したことに注目したい。つまりアップルシードは霊界が実在することを信じていた。霊界が実在するとはスウェーデンボルグの宗教思想の核心をなす主張のひとつである。人間は肉体という衣服を着た霊魂であり,その衣服を脱ぎ去った後も霊魂は霊界で永遠に生きる。聖書にそう書かれているからというのではなく,それはスウェーデンボルグの霊的体験によって明白な事実なのである。スウェーデンボルグは霊界に自在に行き来したと主張し,その体験にもとづいて膨大な神学著作を残した。霊界が実在するのは,彼にとってはこの世が実在するのと同様に否定できない事実であった。もちろんあらゆる宗教が来世があることを教えているが,それをスウェーデンボルグほどリアルに説いたものはない。アップルシードはこのようなスウェーデンボルグの報告する霊界と永遠の生命を信じていた。だから現世の富と名声には無頓着だった。そして天に宝を積むことができたのである。
 スウェーデンボルグの影響の第三は,彼が善を行ったということである。というのは「悪を避け,善をなせ」がスウェーデンボルグのもっとも中心的な教えだったからである。アップルシードはその教えに忠実だった。「悪を避け、善をなせ」はあたりまえと思われるかもしれないが,信仰より善をより根源的なものとする教えは,キリスト教の教えとしては異例といえるだろう。善人は信じる宗教がなんであれ,すべて救われるとスウェーデンボルグは繰り返し述べている。つまり信仰すれば救われるといった宗教を決して説かなかったのである。「信仰のみ」の教義はキリスト教的信仰とはいえないとさえいう。信仰は仁愛とひとつでなけれは本当の信仰とはいえない。スウェーデンボルグによれば信仰は仁愛と,真理は善と,知恵は愛とつねにひとつである。そしてそれらがひとつになっていれば,そこには必ず役立ちがある。「愛と知恵と役立ちはひとつ」こそスウェーデンボルグ神学のエッセンスである。そして人がこの世で行う役立ちは無数にあり,いかなる役立ちを行うかは一人ひとり異なっている。アップルシードにとっては,それはリンゴの木を植えるということだったのであろう。アップルシードは彼なりに,役立ちの生活というスウェーデンボルグの教えを忠実に実践したのであった。

 アップルシードを記念して立てられた石碑のひとつには
「彼は他者のために生きた。 He lived for others. 」と刻まれているという。アップルシードの生涯をこれ以上に的確に要約したことばはないであろう。彼はその並外れた善行によって多くのアメリカ人の記憶にとどまっているが,その善行の背後にはスウェーデンボルグの教えがあることを忘れてはならない。

 右の写真は、インディアナ州フォートウェインのジョニー・アップルシード公園ににあるアップルシードを記念して立てられた石碑で、

 「彼は他者のために生きた。 He lived for others. 」と刻まれています。

 引用文献は、以下の通りです。

    香川大学経済論叢 第 75 巻第4号 2003 年 3月 93-113
    ジョニー・アップルシードの宗教    大賀睦夫

 

※ アメリカにおけるスウェーデンボルグの影響 

 リンカーン大統領の周囲には多数のスウェーデンボルジャンの友人がいました。奴隷解放運動や女性運動のリーダーの多くがスウェーデンボルジャンでした。リンカーンは新教会に出席したりしています。また「アメリカの良心」工マーソンはスウェーデンボルジャンだった。「プラグマティズムの祖」ウィリアム・ジェイムズ,「小説の神様ヘンリー・ジェイムズ兄弟の父ヘンリー・ジェイムズSr. はスウェーデンボルグについて 12 冊もの本を著したスウェーデンボルジャンでした。
             

            スウェーデンボルグの手紙      
              ──ダルムシュタット伯爵宛──
─前略─   貴簡に対するご返事は「真の基督教」と題する拙著が出版社から届けられますまで、延ばして居りました。同書二部は、当市よりドイツに向かって毎日出ている駅伝馬車にて閣下に宛ててお送りいたしました。拙著「天界の秘義」は既に売切れ、オランダにても英国にても入手出来なくなって居りますが、スウェーデンには若干あることを知って居りますから、是を所持している人々に手紙を送り、売る意志があるかどうか訪ねましょう。ご返事は回答を受け次第、閣下にいたします。
 私が如何にして天使や霊達と交際出来るようになったか、この特権を他の者に移譲することが出来るものかどうか、とのご芳書によるご質問に対し、いかお答えいたします。
 救い主なる主は、世に再び来たり給うて新教会を設立し給うことを予告し給いました。主はこの予言を、黙示録21、22の両章並びに、福音書の数ヵ所に与えてい給います。しかしながら、主は子の世界に身自ずから再び来たり給うことは出来ませんから、主はこの事を、新教会の教理を理解する許りでなく、それを著作出版することが出来る一人の人物を用いて成さねばなりませんでした。そして主は、この職のために私を、幼少期より準備し給いましたので、ご自身を親しく僕なる私の前に顕し給い、この職を満たすべく私を遣わし給いました。これは1743年になされました。その後主は私の霊眼を開き給い、私を霊界に導き入れ、天界とその多くの奇異や地獄を視ることを許し、また、天使や霊達と語ることを許し給いました。しかもこの事は27年も続けられています。私はこの事を事実であることを真実を以て公言するものであります。私に関するこの恵みは、前記の新教会の為にのみなされたことでありまして、教理は私の諸著作に含まれております。
 霊や天使達と語り合う賜物は、主御自身がその人の霊眼を開き給わなければ、他の者に移譲することは出来ません。時には、一つの霊が一人の人に入って、ある真理を彼に知らせることが許されることがありますが、口と口を以て霊と語ることは許されません。それは非常に危険なことでさえあります。何となれば。霊は、天的愛の情動には一致しない人の自我愛の情動に這入るからであります。 
 霊に苦しめられるかの人に関しては、それは彼が瞑想に耽ってきた結果であることを天界で学びました。しかしそれにも拘らず、主がを彼を守ってい給いますから、彼が霊に憑かれているのは危険でないことも知りました。彼が癒されるための唯一の道は、彼を回心させ、彼を助け給うよう、救い主たるイエス・キリストの憐憫を求めることだけであります。   
  1771年、アムステルダムにて
                      エマヌエル・スウェーデンボルグ
  ヘッセ・ダルムシュタット伯爵殿

 ※ 追加及び修正の予定あり。

『視霊者の夢』の夢解釈!~ 8 ─ 特別編─

 今年は「ゲゲゲの鬼太郎」の作者、漫画家の水木しげるさんの生誕100年にあたることから、11月30日の命日の日、93歳で亡くなるまで長年暮らしたゆかりの東京・調布市の布多天神社の境内で、妖怪のキャラクターなどを砂でかたどった像がお披露目されました。サンドアーティストの保坂俊彦さんが7トンの砂を使って制作したものです。

 漫画家で妖怪研究家の水木さんは、18歳の頃、篠山山中の祠で「不心得者や悪戯をする者を神社で見つけると突然上から落ちてきて脅かす」妖怪・『おとろし』らしきものに出遭ったことがあるといいます。
 また「のんのんばあ」は彼が子供の頃、武良家に手伝いに来ていた景山ふさという老婆のことであり、当時の鳥取では神仏に仕える人を「のんのんさん」と言っていました。
ふささんは、子供たちを集めてはお化けや妖怪や地獄の話をしてくれ、彼女の話す妖怪などの話に水木氏は強い影響を受けており、後の水木漫画の原点となっています。水木氏は「この小柄なおばあさんが私の生涯を決めたといっても過言ではない」と述べています。ふささんが水木氏に“もうひとつの世界”を教えてくれたのです。

 復員して、漫画家として、また妖怪研究家として、妖怪好きの人々たちが集まるようになり、1995年に世界妖怪協会を設立して会長となっています。会員には荒俣宏京極夏彦、多田克己らがいて、それらの「妖怪好き」の人々たちや、ノンフィクション・ライターの大泉実成らと、アフリカ・マリ共和国のドゴン族、マレーシアの夢を自由に見られるセノイ族、オーストラリアのアボリジニ、メキシコのインディオたちの村、アメリカの先住民・ホピ族の村など、各地のスピリチュアル文化に触れて「妖怪を感じて」いる。その際、祭りなどがあるとビデオ撮影や録音をして、自宅で何度も鑑賞している。旅先で購入した仮面なども蒐集しており、自宅などに展示していました。

後年、「神秘家列伝 其の壱 」(初版 2000年7月31日)を出版し、その中に「スウェーデンボルグ」が掲載されています。「天使と話せたスウェーデンボルグ」として書かれています。

 

 この絵は、左はエディストーンにあるウィンスタンリー灯台を描いたビクトル・ユーゴーのスケッチです。 右は水木氏の漫画の一コマです。水木氏は研究熱心であり、またそれらの資料からイメージを得ていたようです。
  ※    ウィンスタンリーは奇人とも言われ、この人は機械仕掛けが好きなお金持ちで、趣味でからくり幽霊屋敷を作っていたりしましたが、あるとき私財を投じてイギリスのデボンのコーンウォール沖の危険なエディストン岩礁に1696年から1698年にかけて灯台を建設しています。そして1703年11月27日の大嵐の日に灯台をメンテナンスしていて灯台ごと行方不明となり、その痕跡も見つかりませんでした。この灯台は、八角形の木造で、岩に固定された12本の鉄の支柱で固定されており、外洋に完全にさらされた世界初の灯台でした。現在は三代目の灯台が設置されていて観光地となっています。

 

      以下の、この記事は、統一教会霊感商法批判以前の初期の頃の機関誌に、「もう一つの世界」という特集が組まれた時に掲載された「スウェデンボルグについて」の柳瀬芳意氏に依頼された寄稿文の記事です。良く読んでみると「原講講論」の堕落論である蛇に表示された天使と不倫なる血縁関係を結んだエバを彷彿とさせる性道徳の乱れについて述べられており、単に霊界の存在に言及しているスウェデンボルグの霊界の実相のためではなく、堕落論を正当とする論理へと進ませるための内容に編集されているように思われます。統一教会の霊界とスウェデンボルグの霊界では、天界と地獄ほどの違いがあるように思われます。スウェデンボルグの霊界の実相を利用するために掲載されたようです!その教義が天と地ですから!

 

 

 

      ※ 以上の画像の文面を文字文章に変換します。

 

スエーデンボルグとの出会い   柳 瀬 芳 意
 最近、特に脚光をあびているのがスエーデンボルグである。17世紀のスエーデンに生まれた世界的科学者であり無形世界に深い造詣を持った彼の著書は、いま静かなブームを呼んでいる。38年間スエーデンボルグの翻訳一すじに打ちこんできた柳瀬芳意さん(66才)はこう語っている────
 清い人になりたい  
 十六才の頃、性的に清くなければならないと考えていた私は、このイエス様の山上の垂訓の高い性倫理道徳に大変感動を得て、イエス様の言葉のように清い人間になりたいと、切に願っていました。そして、神様にお仕えするのが一番喜ばれるのではないかと思い神学校に入学したのです。
 しかし、そこではルターの奴隷意志論──人間は悪魔の奴隷だから、自分の意志によって神の善を行うことはできないという思想がさかんでした。だから、ほんとうに清められたという経験がなく、ただ罪悪感のみが深くなり、神様に申し訳ないという気持に陥り非常に悩みました。
 キリスト教会の根本教理は、イエス様が私達の罪の罰を代わりに受けて下さったというものです。これを刑罰代償説といいますが、私の願いは、罪そのものから清められることであって罪を代わりに受けてほしいとは少しも思わなかったのです。だから、身代わりに死んで下さったことが喜びではありませんでした。自分の心の中が汚れているのに、このまま神学校を卒業して行ったら、自分は偽善者になってしまうと思いました。そこで三年年間で神学校を退学し、以後英文学、そしてロシア文学に興味をもつに到ったのです。  しかし、何をしていても、私の願いは常にイエス様の役に立ちたいということでした。私達は、やがて死んで、神様の前に立ち、自分がしてきたことを皆報告しなければならない時がきます。その時、私はいったい何を言うのか。自分のことだけであくせくしてきたなどととても言えません。そこで、キリスト教精神の童話でも書けたら、少しは神様の役に立てるのではないかとも考えました。しかし、心の中は平安ではありません。それは、私は根本的には、性的に清められた清い人間ではなかったからです。イエス様はそれを求めているのに私には不可能なのです。
 心に一大変化が…
 私がスエーデンボルグを知るきっかけになったのは。友人の高沢保氏の死でした。彼は病気を癒された体験をもっている人ですが、死ぬ半年ほど前にスエーデンボルグの「真の基督教」を読み、「今までぼくが牧師として教会で教えたことは全部間違っていた。」と言い出したのです。そして死ぬ直前、苦しみぬいて歪んでいた顔が急に和やみ、目をキラキラと輝かせて、「すばらしい、すばらしい」と言って死んでいったのでした。
 私は、これに感動し、小説を書きたいと思いました。そこで、彼を変えたスエーデンボルグの「真の基督教」を読んだのです。私は、その自由意志論に達した時、ルターの奴隷意志論が如何に間違っているかを知りました。人間自身には、善をなす力も悪をなす力もない。しかし、神からくる善や真理を受け入れる能力、地獄から流れ入る悪を退ける能力はある。上と下から流れ入ってくるものを受けるか拒むか、この能力は誰にも否定されていないというのです。
 この時の私の喜びはたとえようもないものでした。
 二十八才になるまでの十年間、私が求めたものは、イエス様の役に立ちたいということでした。しかし、イエス様の性倫理さえ自分の中に実現できないのを見て、神学校をやめたのです。ですから、これに接した時、求めに求めたものに出会い、どんなにうれしかったことでしょうか。それ以後、今までは心を魅かれて快感さえ、味わっていた性感情も、それが起こるだけで胸糞が悪くなるという一大変化が心に起こってきました。嫌悪さえ感じるようになったのです。そこで、晴れて神学校へ戻り伝道師としての道にはいりました。
 大分県で高校の教師をしながら「真の基督教」を出版。以後東京で会員を集め、自力でスエーデンボルグの翻訳を続け、出版してきました。今まで三一巻翻訳し「天界の秘義」だけ十六巻残っていますが、これも毎年二冊ずつ出版してゆきたいと思っています。
 霊界への無知が起す不道徳
 今までのキリスト教は、観念だけで現実的には何の力もないことを私は身をもって知っています。イエス様は、山上の垂訓のように、非常に厳しい倫理観を示しています。しかし、現実のキリスト教は、人間は弱いものと決めつけ、イエス様の十字架におぶさってしまい、御言を有名無実化してしまっています。私は、このスエーデンボルグを紹介することによって、新しい真のキリスト教の基礎が築かれることを願っているのです。
 スエーデンボルグは、山上の垂訓の真意を私のうちに実現してくれました。性的純潔を求めた心を、あふるるほど満たしてくれた感謝と喜び。私は、この喜びを多くの人々に伝えたいと思い翻訳をつづけてきました。人間の書物であるか、神からきたものであるかは読んでみればわかると思います。
 現代は性的混乱の時代と言われますが、性道徳は人問生活の根本の根本です。だから、これが乱れれば、人類は破滅への道を歩まざるをえません。しかし、霊界のことがはっきりわからない限り、道徳の権威が分らないのです。この世だけだと思うところに道徳の乱れが出てきます。この世だけなら。何も苦労する必要もなく、面白おかしく遊んだ方がいいということになってしまいます。しかし、霊魂の着物である肉体を脱げば、永遠の世界が待っているのです。死後の審判に備える生活をしなければならないと思うのです。  

 スエーデンボルグの思想と生涯
   ヨーロッパ第一の科学者から、霊眼が開けて神学者に……

 科学により心霊世界を探求 
 イマヌエル・スエーデンボルグ(1688-1772)は、晩年、自己の持殊な霊的経験を基礎とした新たなキリスト教教理と聖書解釈を著述した神学者である。しかし、霊的経験を受ける以前の彼は、数学、機械学、天文学、化学、冶金学、磁気学、解剖の諸科学や哲学に於て当時ヨーロッパ第一人者であり、幾多の発明、発見をした科学者であった。晩年における彼の神秘世界への謎の転身は、彼が学会に遺した功績に対する評価を不当ならしめているが、学界の大発見や新学説として今は他の学者の功績に帰せられているもので、既に彼により発表されていたものも少くない。
 例えば、一般にカントやラプラスの創説とされている星雲説の如きも、それより数十年前、スエーデンポルグはその「原理論」に説いており、天王星の発見や、磁気学のある種の発見についても同様なことが言われている。また彼の解剖学は一世紀先んじていたといわれる。
 彼は、幼少の頃からいささかもその存在を疑うことなく礼拝して来た神を、創造物とその秩序を究めることによって明かにしようとした。彼の真理探求の努力は、最初は外的被造世界に向けられ、その手段として、数学・天文学・鉱物学・地質学等の諸科学の研究が累積されていったが、次第にその研究対象は内的世界に向けられて行った────そして彼は、神の創造の冠たる人間の研究、殊にその神秘の霊魂の実体をつきとめようとして肉体や脳髄の研究を始め、解剖学や心理学等の研究にまで突き進んだ。しかしこのような「下より」の心霊世界への研究には限度がある。彼はこの越え難い限度にまで達し、そこをさまよい歩き、ついに神に出会った。
 彼は、多くの霊的経験をし、霊眼を開かれ、いながらにして霊界に導かれて天界や地獄の諸相を見聞し、既に霊となっている凡ゆる故人とも語ることを可能とされた。また、多くの啓示を与えられ、これを著述すべく命ぜられたのである。彼が五十六才の時だった。

 スエーデンボルグの不思議な力
 彼はその不思議な力を必要な場合以外めったに用いなかったが、彼が霊界と交渉していることが事実であることを証明する充分な記録が残っている。しかし、これらがなされたのは、天界と地獄とが真に存在し、人間は死後も以前のように人間として生きることが知られ、もはや人間の不滅性についての疑いが、人々の心の中に起こらないようにするためであった。これらについては一般に三つの事柄が知られている。それは、スエーデンの女王とその女王の他界した兄弟であるプロシヤの皇太子オーガスタス・ウィリアムとの間に在った秘密の性質をスエー デンボルグが女王に明らかにした物語であり、またスエーデンボルグ自身はグーテンブルグにいながらも、ストックホルムの大火を述べたことであり、またストックホルムの前オランダ大使M・デ・マルテビレの未亡人にその夫の支払金の受領書が粉失したため、そのありかを彼が明らかにしたことである。
 以上の三件については哲学者カントが人をして厳密にその真偽を確めさせ、その結果、その真実であることを驚きを以て保証している彼の手紙が伝えられている。
 このように、スエーデンボルグはその能力に於ては超人的なものがあった。そして、彼の人格に対しては、彼の教説に反対又は懐疑的意見を抱く者さえ敬慕の念を寄せていたと伝えられている。
 真の結婚のみが永遠に続く
 スエーデンボルグの時代もそうであったが、現代社会の道徳的欠陥は性関係に最も顕著である。それでは、地上での夫婦は死んだらいったいどうなるのであろうか。これは非常に興味深い問題である。スエーデンボルグは「結婚愛」の中で次のように言っている。
 「真の結婚愛にいる者にあっては、連結はますます徹底的に永遠に行われる」(「結婚愛」162)。しかしこのような者の数は現在では比較的少ない。この世には楽しい外的な関係に基礎づけられた多くの幸福な結婚があるが、しかし善の愛が伴っていないならば、その楽しさも現在の生活の舞台を越えては存続しない。
 「結婚した二人の夫婦は、全般的に言って、死後会い、互いに他を認め、交わり、しばらくの間ともに住む。しかし、真の内なる性質が明らかになるとき、もし真の霊的な結合があるならば、彼らはともに生活をつづける。もしかれらの相互の感情が和合し、また共鳴しているならば、かれらはその結婚生活をつづけるが、しかしもしそれが一致しておらず、共鳴もしていないなら、かれらはそれを解消してしまう。」
 「地上では永遠の結合となる結婚はほとんど行われていない。夫婦は大半外的なものによって結ばれ、かくて内的なものにより結ばれていないからである」(同書320)「結婚の貞潔はまた宗教と一つのものとなっている」(「黙示録講解」982)
 私達の五官で認識できないもので、存在しているものは多い。今日のように霊通する人が増え、霊界の様相がはっきりしてくると、たとえ自分には見えないものであっても、その存在を認めざるを得なくなる。百年たらずの人生において、永遠性のあるものをどれだけ自分の中に築いてきただろうか。永遠の世界の様相を知れば知るほど現実生活の意味の重大性を知るのである。
 
 エピソード

 ストックホルム駐在オランダ大使の寡婦マルテビレ夫人は、その夫を失ってからしぱらくして、金細工人クルーンから銀の食器の支払いを請求されました。未亡人は、他界した夫は几帳面な人物であったから支払わなかった筈はないと確信していましたが、受領証を見つけることができませんでした。そこで、スエーデンボルグに他界した人に銀の食器はいかようになっているかを聞いてほしいと頼みました。スエーデンボルグは三日後、当の夫人の家で開かれたお茶の会に招かれた時、「負債は彼の死の七ヶ月以前に支払われ、受領証は階上の部屋の大机の中にあります」と言いました。が、夫人は「その大机の中は前すっかり探してみましたが、受領証は他の書類の間にはありませんでした」と答えました。そこで、「あなたの夫は、左手の引出しを抜き出すと、一枚の板が現れますが、その板を引き出すと秘かな仕切りが現れ、そこにその受領証のみでなく、彼の個人的なオランダ語の通信文も入っていると語っています」とスエーデンボルグが答ると、すぐに一同の者は一人残らず立上って、夫人について階上の部屋に入りました。大机は開かれ、彼らは言われたようにしました。仕切りが見つかりましたが、それまでそれを知っていた者は。一人もいなかったのです。しかも、一同驚いたことに、書類がそこに彼の言った通りに発見されたのです。

 秘密の手紙
 スエーデンボルグはある日宮廷に招待されました。そこで、女王ルイサ・ウルリカは死後の多くの事についてたずねたあと、彼女の兄弟であるプロシヤの今は亡き皇太子をたずね、よろしく伝えてくれるように、と彼に求めました。スエーデンボルグは約束し、次の招待で宮廷に現れた時、その弟が彼女の最後の手紙に答なかったことに対じて申しわけなく思っていると伝えました。女王は非常におどろいて言いました「神以外にだれ一人この秘密を知らなかったのに」と。彼女が以前このことに一度も言及したことがなかった理由は、プロシヤとスウェーデンが戦争の間に彼女は敵国と通信していたということを誰にも知られたくなかったからなのです。  
   (ヘブケン伯爵の記事より)

 

 【コラム】10‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥             

            旧 統 一 教 会 と の こ と

 「世界基督教統一神霊協会」(旧統一教会)としての初期の頃(1970年前後)は大学のキャンバスなどでも「原理研究会」として布教されてもいた頃です。(その頃はオカルトブームや新興宗教ブームでもあり、各種の手かざし宗教や創価学会折伏エホバの証人などなど、活発に布教がされてもいた時代背景があります。)

 そんな年代のある時、街中で聖書に興味はありますか? 勉強しませんか?として誘われました。三日間研修であったと思いますが、午前、午後と集中して昼食を除き、休みなく講義されました。ある意味個人の考える間もなく、次から次と厳粛な祈りを持って『原理講論』の講義をされていました。それは、マインドコントロールの一方法でもあるなあと感じていました。
 そして、その内容は聖書のあちこちの個所を「統一原理」の教義を絶対化するために引用していました。その引用個所の前後の文面とは関係なく引用し、論理を進めていくのです。それは、儒教や韓国のシャーマニズム的要素を取り込んでいることの独自の解釈なのでしょう。
ですから、一旦『原理講論』から離れて、その聖書の引用された個所を理解してみると都合良く聖書が利用されているのが解りますが、原理講論のみ熱心に読むとその世界に洗脳されるように思います。 アダムとエバが人類の生物学的先祖であることになることを理解していない等など、キリスト教一派の聖書の文字的理解の原理主義思想に近い?
 ただし、それらの方達は純粋に世界のためにという態度も伝わってきていました!!。又その時は、霊感商法となる健康食品や壺などの紹介の説明はありましたが、強制はありませんでした。
 その後、その時の責任者が自分に面会に来たことがあります。自身の弟さんが統一教会に絶対反対とのことで、宗教的真理、聖書の解釈について、間違っていたら自身や他の方達の人生に大変な事になると、創世記のアダムとエバの物語やエデンの園についてどのように理解するべきか訪ねて来たのです。真剣に聞いていましたが、こちらも新教会の教義を学んではいましたが、他の信仰者を納得させるだけの力量はありませんでしたから!。その後どうなったかは分かりません?。
 また柳瀬氏の日曜礼拝に参加したことがあり、その時に統一教会で合同結婚された方達が疑問が沸き上がって、訪れていたと言うことを話していました。そして間違った宗教は怖いものであると言うことを話されていました。それはひとつに、人々を不幸にするからです。
  スウェデンボルグは言います。

〈宗教の生命は、善をなすことである〉と。
  いろいろな宗教があり、教えはいろいろあるけれども、宗教で一番大切なことは、人々を幸福にすることであるということです。

※ 追記 統一教会が霊界の実相として、スウェーデンボルグの著作を確実に利用しているのが分かりました。!!!。

 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥10【コラム】

『 視霊者の夢 』の夢解釈 ! ~7

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    「サラ・モーリの墓碑」 ジョン・フラクスマン

  (船上で分娩中に死亡したモーリ夫人とその子が波間から昇天してゆく)

※  ジョン・フラクスマン(1755年7月6日-1826年12月7日)は、イギリスの彫刻家および製図家でした。英国および欧州の新古典主義の人物です。
彼の一般的な名声を得たのは、彼の彫刻そのものではなく、イリアドやオデッセイなどの叙事詩のイラストのアウトラインデザインでした。

 フラクスマンは、「新エルサレム教会」を組織したメンバーの一人です。ウィリアム・ブレイク(夢解釈~5を参照)が新エルサレム教会の門をくぐったのは、フラクスマンの紹介があったからです。
ブレイクは、この教会の人間関係につまずき離れていきます。そして、その後の作品はスウェーデンボルグへの反感があるとする評論がなされており、スウェーデンボルグの影響があったとするのは初期の頃だけだとしていますが、ブレイク自身が晩年にスウェーデンボルグを「自分の聖なる師」として語っており、作品のスウェーデンボルグへの反感は表面的なものに過ぎないことを理解してください!。ブレイクには、本人が「ビジョン」と呼ぶ幻視の能力があったといわれています。

 フラクスマンは、新エルサレム教会の生涯にわたる熱心な信奉者であり、援助者でした。また、彼は、芸術の真の目的は真理の瞑想へと心を高揚させることだと信じていました。フラクスマンは、スウェーデンボルグを霊感を吹き込まれた指導者であり、「旧約・新約聖書に真の解釈を施したと私は確信しています」と言いかつスウェーデンボルグの聖書の解説を読むまでは、私にとって聖書は苦痛に満ちた神秘でした」と語っています。

 

                                            新 教 会 機 関 誌      第9号昭和29年4月

      『クローイズ牧師と神的人間』  鳥 田 四  郎 筆  

 それ、卵の満足れる徳はことごとく形体をなしてキリストに宿れり(コロサイ書2・9) 

 ジョン・クローイズは英国マンチェスターの聖ヨハネ教会の牧師であった。スウェーデンボルグがロンドンで客死した翌年の1773年、当時30才の青年であった彼は、一日、ウェスレーの友人リチャード・フートンをリバープールに訪ねた際に、同氏からス氏の最後の著作「真の基督教」を読むように勧められ、帰宅後それが彼の手許に届けられたが、彼は別に読もうともしないで、机の隅に数箇月も積んで置いた。ある日彼は、遠方の友人を馬に乗って訪問に出掛ける直前、何気なく同書を開くと、「神的人間」(Divinum Humanum)なる文字が彼の目に触れたが一寸奇異な語であると思っただけで、そのまま同書を閉じると共にそのことも忘れて旅立ってしまった。翌朝、彼が目覚めると、眼前に大陽の耀きにも勝る光が映じ、その真中に「神的人間」なる文字が浮出ていて、いかに彼の目を擦ってみても消え失せず、のみならず終日彼の眼前から消去らなかった。彼は何かの錯覚であろうと思ったので誰にも之を打明けなかったが、その夜寝んで翌朝目覚めるや、前日にも勝る光耀の中に同じ文字が再び鮮明に浮かんでいた。その時彼は、その文字は彼が出発に際して何気なく開いた「真の基督教」の書籍中で彼の目に触れたものであったことを想起した。彼は床中から飛起き、友人に一言の挨拶を遺して、彼自身の言によれば「いかなる恋人も、彼が「神的人間」について読もうと家路に疾駆した熱心の半ばも、その愛人に会うためにはしなかったであろう程に疾駆して」、帰宅早々このラテン語の全巻を読み始めた。彼が同書を読んで受けた感想について、彼は次の様に記している。「私が『真の基督教』と題する著書を一回目に通読して心の中に与えられた歓びはいかなる言も充分には表し得ぬものであった。……それはたとえば、新たな、そして心気を清新ならしめる光の不断の耀きが私の歎喜する理解力に注入されて、それを荘厳な智慧の神秘の思考にまで開いたことは、私が未だかつて知らなかった仕方と程度においてであると共に、満足な証左の力を以てなされたものであった」と。
 かくしてス氏の教説を全面的に受容れた彼は、かかる宝の富を如何にもして他に頒たんものとの熱意に燃えて、彼の家に定期集会を開くと共に、近隣町村に同信グループを訪ねてその小さき群々を鼓舞激励して廻った。また彼はマンチェスターに於ける同信の友の援けを借りて、ス氏の著作をラテン語から英訳出版するための一団体を組織した。
 彼は同教会を62年間牧した。彼はその学識と潔められた模範的生活で人に知られて多くの人々に感化を与えた。トーマス・デ・クインシーは「自分の邂逅し得た最も聖潔な人」と彼を呼び、更になお続けて述べている。「然り、余は繰返して言う、35年を径過したが、その慈父的温良さと、幼児の純潔さと、使徒の聖さと、世俗的精神から完全に隔てられているこの尊い教職者に近い人物に、私は未だ殆んど遇ったことがない」と。クローイズはその信仰の故に迫害を受け、その聖職の地位を解かれる危険にも置かれたが、その耀いた信仰の諸徳の典型的生活は証となって反対派の意図を挫折せしめた。かくして彼の感化は、彼の牧するランカシャー地方を英国における最強の新教会基地たらしめた。
 以上長々とクローイズ牧師のことを述べたのは、新教会信仰者の模範として我らが彼に学ぶどころあらんが為と、彼の宗教経験中に出ている印象的言「神的人間」に就て学ばんが為のものである。この語はスウェーデンボルグが彼の著書「主の教理」や、「真の基督教」の主の御人格について説いている箇処にたびたび用いられている特殊な用語で、詳しい説明は是に関する教理を説く機会に譲るとして、ここでは信仰の実際的問題として簡単に学んで見たい。
この語を解り易く述べているのはコロサイ書2・9にある「それ神の満足れる徳はことごとく形体をなしてキリストに宿れり」である。もっとも邦訳聖書のこのままの訳文では意味が判然としない。右のうち、「神の満足れる徳」とあるのは、原語では「セオテース」で英語のGodheadに当り、神そのものを意味し、「形体をなして」は「ソーマテイコース」で、「身体的に」(bodily)の意味である。それ故本節を直訳すれば「何となれば、神たるものの全充満は身体的に、キリストに宿って居る」となる。即ち、栄光のうちに挙げられ給うた主イエス人間性のうちには神そのものの凡てが完全に宿り、かくして主のうちに、神と人とが完全に一をなしてい給うとの意味である。完全なる神にして、完全なる人、しかもそれが二つに区分せられる形においてではなく、完全に一人格のうちに体現せられて居る──これが「神的人間」の意味である。
 
旧約聖書のヤーベなる神は処女マリヤの胎を借り自然世界に来り給い、イエス・キリストとなり給うた。この場合、イエスの霊の最内部は神そのものの父であり、その外郭部と肉体とは当初はマリヤから受けたものであった。そしてすべて真の基督者がその内なる霊に神の生命を受け、しかして、あらゆる罪と戦い、外面に表れる生活態度は勿論、その外的想念に至るまでも内なる霊に与えられている神の生命に一致せしめるように、主によって祈り、かつ努力するなら、内なる人の姿はその外なる人の姿ともなり、顔面人相等をも変ぜしめるものである様に、主はその御在世中、あらゆるサタンの挑戦の誘惑に打勝ち給うて内に在し給う父と一致して行動され、これに従い給うたことは「子は父のなし給うことを見て行うほかは自ら何事をも為し得ず」(ヨハネ5・19)、「死に至るまで、十字架の死に至るまで順ひ給へり」(ピリピ2・8)、「罪を外にしてすべての事、われらと等しく試みられ給へり」(ヘブル4・15)等によって明かである。かくして主は、徐々にマリヤより受け給うた朽つべき有限的人間性を脱却され、内なる父よりする朽ちざる無限的神的人間性をもって、これに代え給うた。そしてこの主の人間性の栄化が完成されたのが主の復活、昇天であり、この時、主は「我は矢にても地にても一切の権を与へられたり」と宣言し得給うたのである。かくして神は完全に人となり給い、人はまた完全に神となり給い、「神─人」なる一人格が主イエスに具現されているのである。これが即ち「神的人間」の意味である。
 神は唯一で、その本質は二又は三の人格に分たるべきものではない。既にして主イエスが神そのものにて在し給うなら、この主と別に父なる神が在し給う筈はない。
 「我と父とは一なり」(ヨハネ10・30)、「我は父におり、父は我に居給うなり」(同14・11)、「我を見し者は父を見しなり、如何なれば『我らに父を示せ』と言うか」(同9)である。
 旧約時代には見えざる神を礼拝し、その方法ば幕屋や神殿において犠牲その他の来るべき霊と真とを以てする真の礼拝の表像物を以てした。しかるに期至つて、神は人性を取得され、栄化された人間性のうちに顕れて居給うのである。それ故、新約時代の真の基督教は、栄化せられた主イエスを礼拝し、彼に祈り、彼に導かれ、彼に従い彼に生きる以外のものではない。人間は自然的存在であり自然的に考えるものである。そして人間の心の交りは想念と情動のものであるから、交りの対象もまた自然的な心の衷に何らかの形を以って想い浮べ得るもの、殊に有形の人であることが望ましい。神は愛である。愛は対者と交りを要求するものである。それ故神は人として顕れて居給う。
 神が人間の中に来り、人性を摂り給うたのは、単に有形な像を取って交りを可能ならしめるため許りではなく人間を贖い、且、永遠の秋が亡贖主とならんが為であるが、この交りの点を考えただけでも、この「神的人間」の神についての観念が如何に有効的に我らの信仰生活に力となるかは、是以上の説明を要さぬ処である。それ故、力ある祈りは主に対してなされ、ステパノを初め、多くの殉教者達は栄光のうちに在し給う主を見上げ、主の聖名を呼びつつ勝利のうちに召されて往ったのである。
 「神的人間」なる言に強くも印象付けられたジョン・クローイズ牧師の信仰の対象も勿論そこにあった。それと共に我らの覚えるべきことは、彼がかくも尊くも聖い生涯を生きて主の用を果し得たものは、新教会の教説を彼が身を以て生活したからであると云うことである。

 後日追加文の予定あり。

『 視霊者の夢 』の夢解釈 ! ~6

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スウェーデンボルグの教説普及のための鳥田四郎主筆の戦後の機関誌です。

 

 これまでは、『創世記霊解』 (1)と(2)を元に「天地創造の物語」の7日間を足早に概略して来ましたが、ここで一旦中止して、なぜこの様な特異な解釈が出来るのかをわかりやすくするために、個々の聖句を「天界の秘義」に基づいて細かく解説することにより、疑問が払拭されると思われますので、最初の章から解説していきます。  

            マタイ5・17-20

 「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。だから、これらの最も小さな掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国で最も小さい者と呼ばれる。しかし、それを守り、そうするように教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれる。言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。」

 として、一点一画を詳細に解説しているのですから。!!。

 

 「天界の秘儀」は、スウェーデンボルグが1749年、61歳のときにロンドンでラテン語で執筆、出版したものです。宗教的著作の最初のものであり、匿名で出版されています。
 1745年、57歳の頃、霊眼を開かれて、霊界に入れられ、そこで見もし、聞きもした霊界の事物を通して明らかにされた聖言の解釈です。

 「天界の秘儀」 第一巻 創世記  第一章 
        
     出典は「天界の秘儀」 第一巻ラテン原典訳 アルカナ出版より引用)

                ※(1日目のみ……読書を勧めます。)   

 

 ※ 本著作では、キリスト教としての大前提として、以下のように「主」の定義をしてから著作されています。)

14.「主 Dominus 」という呼称は、今後はただ、世の救い主、イエス・キリストだけを指します。他の名称を付け加えないで、そのまま「主」と呼ばれます。主の名称は、全宇宙で認められ、礼拝の対象になります。天においても地においても、いっさいの権能は主にあるからです。それは主のご命令でもあります。「あなたがたは、わたしを主と呼んでいる。それは正しい。わたしはたしかにその通りである」(ヨハネ13・13)。ご復活のあと、弟子たちは、主と呼んでいます。
15.全天界にわたって、主以外に、父は認められません。ご自身の言われたように、主と父は一つだからです。「わたしは、道であり、真理であり、〈いのち〉である。・・・ピリポが、『父を見せてください』と言うと、イエスは、『これほど長くあなた方といっしょにいたのに、まだわたしが分からないのか。ピリポよ、わたしを見る者は、父を見る。あなたは、父を見せてほしいと言うが、それはどうしてだろう。わたしが父の中におり、父がわたしの中におられることを信じないのか・・・。わたしが父の中におり、父がわたしの中にいることを信じなさい』、と言われた」(ヨハネ14・6,8-11)。


16. 第1節:はじめに神は、天と地とを創造された。
最古代は、「はじめ principium 」と言われています。預言者たちは、随所に「古代の日々」または「永遠の日々」と言いました。「はじめ」とは、人が再生に向かって出発する最初の時機を指します.再生にあたって、人は新しく生まれ、〈いのち〉を受けます。再生そのものが、人間の新しい創造と言われるのはそのためです。預言書では、随所に「創造するcreare」「形成するformare」「造り上げるfacere」と言われます。これには多少の相違があっても、再生させることです。イザヤは、次のように言います。
 「わたしの名前で呼ばれるすべてを、わたしはわが栄光のために創造し、形成し、造り上げた」と(イザヤ43・7)
 したがって、創造者のみ名以外に、主を指して、あがない主、母胎からの形成者、造り上げる者、と言われます。
 同じくイザヤ書には、「わたしは、エホバであり、あなた方の聖者であり、イスラエルの創造者であり、あなた方の王である」(イザヤ43・15)とあります。
 ダビデは、記していますo「創造された民は、エホバJahを誉め称えるであろう」(詩篇102・18)。
 「あなたの霊を送れば、創造される。そしてあなたは、地の面を新たにされる」(詩篇104・30)。
 「天」とは、内部人間を指します。「地」は、再生前の人間で、外部人間を指します。これは、後述する内容からも分かります。

17. 第2節:地はうつろで、むなしく、闇が淵の面にあり、神の霊が水の表面を動いていた。再生前の人間は、「うつろで、むなしい地」と言われます。あるいは善も真理も植え付けられていない「土 humus 」です。「うつろ vacuum 」は善のない状態、「むなしいinane」は真理のない状態です。したがって「闇」です。つまり主への信仰については、全〈無感覚で無知です。霊的・天的〈いのち〉についてもそうです。このような人間を、主は預言者エレミヤをとおして、次のように描写されます。
 「わが愚鈍なる民は、わたしを知らない。かれらは愚かな息子たちで、理解力がない。悪を行うことには知恵があり、善を行うことを知らない。地を眺め見よ。見よ、うつろでむなしい。天に目を向けても、天からの光はない」(エレミヤ4・22,23,25)。

18.「淵の面」とは、そのような人間の貪欲、およびそれに由来する偽りを言います。全部が貪欲と偽りに根ざし、それに漬かっています。光はなく、淵のようで、混沌とした状態です。このような人を、〈みことば〉では随所に、深淵または海の深みと言います。人が再生する前は、このように潤いがなく、荒廃した状態です。
 イザヤ書には、次のようにあります。
 「古代の日々、とこしえに古い時代にあったように、目を覚まして奮い立て。・・・あなたは、あがなわれた者たちが通れるよう、海の水、巨大な淵の水を乾かし、海の深みに道をつけたではないか。・・・エホバにあがなわれた者として戻れ」(イザヤ51・9-11)。 天から見下ろすと、人はそのように見えます。ちょうど生命の欠けた黒い塊のようです。預言書には、再生前の状態について記したところがたくさんありますが、これは通常、人間の荒廃状態を指します。実のところ、人が何が真理かを知り、善に感動するようになるまで、妨害するもの、抵抗するものは、取り除かれねばなりません。新しい人がみごもる前に、古い人は死ぬことになっています。

19.「神の霊」とは、主の慈しみmisericordiaを指し、それに「動いていた」という述語がきます。それはメンドリが卵を温めるように、主は人間を覆い温められます。卵とは、〈みことば〉に散見される「残果 reliquiae 」です。真理と善の認識もそうです。これも外部のものが荒廃に帰せられないかぎり、昼間の光を見ません。このような認識を「水の表面」と言っています。

20.  第3節:神は「光あれ」と言われた。すると光があった。まず人は、ある種の善と真理が、上にあるのを知り始めます。外部だけの人は、善とは何か、真理とは何か、全然知りません。自己愛と世間愛からくるものがすべて善であり、その愛にかなうものが真理だと思います。そのような善はむしろ悪であり、そのような真理はむしろ偽りであることが分かりません。
 人が新しい人としてはらまれると、その善は善でないのを知り始めます。一層の光に達すると、主の存在を知り、主こそ善そのもの、真理そのものと知り始めます。主の存在を知る必要性について、主ご自身がヨハネ福音書で言われます。「あなた方がもし、わたしがありてある者であることquod Ego sim を信じないなら、あなた方は自分の罪の中に死ぬであろう」(ヨハネ8・24)。
  したがって、主は善・〈いのち〉そのもの、真理・光そのものです。主によらなければ、善および真理は何一つ存在しません。同じくヨハネは記しています。
  「はじめに〈みことば〉があった。〈みことば〉は神のもとにあったo神は〈みことば〉であった。・・すべては〈みことば〉によって造られた。造られたもので、それによらないで造られたものは一つもなかった。その中に〈いのち〉があった。〈いのち〉は人の光であった。光は暗闇の中に現れた。・・・その方は真理の光であって、この世に来るすべての人を照らされる」(ヨハネ1・1,3,4,9)。

21. 第4.5節:神は光を見て、善しとされた。神はその光と暗闇とのあいだを分けられた。神は光を昼と名づけ、暗闇を夜と名づけられた。
 「光」は、善であるといわれます。なぜなら、善そのものである主から来るからです。「暗闇」とは、大が新しくはらまれ、生まれる前の状態です。暗闇の出現は、あたかも光のようでしたが、それは悪が善のように、偽りが光のように見えたためです。しかしそれは暗闇です。つまり人のエゴpropriaが残っています。すべて主に由来するものは、光であり、「昼間」に対比されます。すべて人のエゴに関するものは、闇であり、「夜」に対比されます。

22. 第5節:夕となり、また朝となった。第一日である。
  夕とは何か、朝とは何かは、すでに知られています。「夕」は、影であり、偽り、不信仰ですから、先行する状態のすべてです。「朝」は、光であり、真理、信仰の認識ですから、後続する状態のすべてです。一般的に「夕」とは、人間のエゴに関するすべてを意味します。「朝」は、主に属することがらです。ダビデが言っています。
 「エホバの霊がわたしに言われる。エホバの言葉がわたしの舌の上にある。イスラエルの神は言われた。イスラエルの岩は、わたしに言われた。・・・エホバは、太陽が昇り、雲のない朝、輝かしい雨によって、地から青草が出るときの朝の光のようである」(サムエル下23・2-4)。
 「夕方」は、信仰がない状態、「朝」は、信仰のある状態です。そのため主のこの世への到来は、「朝」と言われます。ただ主が来られた当時は、信仰のない状態でしたから、ダニエル書にあるように、「夕」と呼ばれます。「聖なる方が、わたしに向かって言われた、朝が来て、夕方まで、二千三百回ある、と」(ダエエル8・14,26)。
 同じように、〈みことば〉では主の到来は、すべて「朝」として受け取られます。新しい創造という表現にもそれがあります。
23「その時」の代わりに、「日」が使われます。これは〈みことば〉では、ごく普通です。イザヤ書には次のようにあります。
 「エホバの日は近い。・・・さあ、エホバの日がやってきた。・・・わたしは天を揺り動かそう。すると地は、その場所から揺れ動く。・・・わたしの燃える怒りの日に、・・・その日はもうすぐやってくるが、その日が延期されることはない」(イザヤ13・6,9,13,22)。同じくイザヤ書にあります。
 「いにしえの日々には、かれのいにしえがある。・・・その日には、ツロは七十年間忘れられる。一人の王の日にちなんで」(イザヤ23・7,15)。
 「日」は、特定の時だけでなく、そのときの状態を意味します、これはエレミヤ書にもあります。
 「われわれは災いだ。日は避けて行った。夕方の陰が広がったからである」(エレミヤ6・4)。
同じくエレミヤ書にあります。
 「あなた方は、日にかんするわたしの契約、夜にかんするわたしの契約を無効にした。そのとき、日は存在しなくなり、夜が存在する」(エレミヤ33・20,25)
同じく、
 「昔そうであったように、われらの日々を新しくしてください」(哀歌5・21)。

 

  編集作業中です。

 

『 視霊者の夢 』の夢解釈 ! ~5

  天 地 創 造  《日の老いたる者》

                                          by ウィリアム・ブレイク(1757.11.28~1827.8.12)

                     イギリスの詩人、画家、版画家

ブレイクはその独自の考えにより同時代人には変人とみなされていたが、その表現力と創造性、そして作品内の哲学的で神秘的な含意において後の批評家からは高く評価された。彼の絵画や詩は、ロマン派のものとみなされている。聖書に敬意を払いながらも、イギリス国教会(実際にはほとんど全ての形式の宗教団体)に敵対的であったブレイクは、フランスおよびアメリカの革命における理想と野望の影響を受けた。後に彼はこれらの政治的信念の多くを否認したが、政治活動家トマス・ペインとの親密な関係は維持した。彼はまた、エマヌエル・スヴェーデンボリのような思想家の影響を受けていました。 

コンパスを持つ創造神
《日の老いたる者》はまれに見る彼のお気に入り作品であり、宇宙の創造神を描いている。その男の名前はユリゼンという。ブレイクの複雑な神話の中で、従来の道理や法則を体現した存在である。雲のようなものを背景に、円形のデザインの中にしゃがんでいる。彼の伸ばした手にあるコンパスは、より下の空虚な暗闇へ差しかけている。

このようにコンパスを使った比喩的表現は、次の年に完成させた彼の「ニュートン」という作品においても用いられている。彼は普段はひげのある老人として描かれているが、時として建築家の道具を持ち、宇宙や網を創造し、拘束する。それにより法と慣習的な社会の網の中にいる人々を罠にかける。(本ブログ、ノートルダム大聖堂の夢解釈~11にこのニュートンの図像があります。)

水彩画法の食刻で作られたこの作品の《日の老いたる者》は、世界中に13のコピーがある。それぞれのコピーは様々な図書館、博物館、大学にあり、それぞれが独特である。それはドレイク自身が手作業で版画を着色しており、そのような独自の制作過程を持っていたためである。

  神秘家としてのブレーク…………8才の頃には、最初の幻視があり、深夜に庭の木に天使が舞い降りてキラキラ輝いているのを見ている。また17才の時は、ウエストミンスター寺院でキリストや使徒たちが一緒にいたり、修道士や、司祭たちの大行列の幻視を見ています。そして30才の時、弟のロバートが亡くなり、それに前後して彼の霊と対話をして、レリーフエッチングの手法を教えられたりしています。その後32才の時は「新しきエルサレム教会」総会に夫婦で出席し、スウェーデンボルグの教義への帰依を表明し署名しています。そして「神の愛と神の知恵」「神の摂理に関する天使の知恵」「天界と地獄」などに挿絵の書き込みをしたりしています。※ これらは、本人が「ビジョン」と呼ぶ幻視の能力といわれています。
 ところで、この天地創造 日の老いたる者』の左の足元をよくご覧ください。何か「蛇」のようなものが踏みつけられているように見えないでしょうか?? この図案の他のものは布であったりしますから明らかに違います。これは神に踏みつけられている蛇を表して、「天地創造」がなされていることのようです。するとこの蛇とは何でしょうか?? それは「エデンの園」でイブを誘惑したあの言葉を喋る蛇のことです。これについては、「エデンの園」の聖句の霊解釈のときに解説されます。!!

          

                                  新   教   会  機関誌      鳥 田 四 郎 主筆より引用

       

        本『創世記霊解』は、もっとも忠実な客観的紹介でなく、私自身の主観的理解に

     よる紹介で自由な解釈をしている所も多いと思いますから、あらかじめご了承下さい。

         『 創 世 記 霊 解 (2) 』                          

 創造第七日(創世記2・1-3)
     ───新生人(天的人)と安息日───

1 かく天地およびその衆群悉(ことごと)く成りぬ  2 第7日に神その造りたる工(わざ)を竣(おへ)たまへり、すなわちその造りたる工を竣て7日に安息(やすみ)たまへり、3 神7日を祝して、これを神聖(きよ)めたまへり、そは神その創造(つくり)なしたまへる工をことごとく竣(おへ)て、この日に安息(やすみ)たまひたればなり

【天地・その衆群】1章1節の註に在る如く、「天」は内なる人、「地」は外なる人、「その衆群」は天の軍勢で、太陽・月・星を意味し、1章16の註に在る如く、太陽は愛、月は信仰、星は信仰の知識、
【神の工】 天的人は神の工、またエホバの聖手の工、エホバの指の工と呼ばれる。それは、神のみが人を新生せしめ、天的人となし給うからである。
霊 義 6期(6日間にたとえられている)に関わる信仰巡礼の旅は長かった。ただし第6日目には神の像整い、その理解力(男)も意志(女)も共に結合に向って準備せられていたが、遂に機は熟して両者は結び合されてめでたき結婚が成立した。即ち太陽によって象徴せられる愛(意志に宿るもの)と、月によって象徴せられる信仰(理解力に宿るもの)とは、共に内なる人の天に在って一体となり外なる人の地を照し温め、星(信仰知識)また同じく無数に天に輝くに及んで、「天の衆群悉く成った」のである。かく我らの心の内なる人と外なる人とが神に因って、本来あるべき神の子の状態に秩序づけられるに及び、神の6日間の労苦は茲に漸く実を結び、その工は竣工せられるに至った。かくして神はこの創造第7日目に安息なし給い、これを祝し、この日を記念聖別して安息日と定め給うたのである。
 我らの心は神によって新生せられるまでは、かのアウグスチヌスがその懺悔録の冒頭に告白しているように真の安息を有たない。入信前は全く理解せられなかった啓示の真理、即ち神や主の受肉、贖い、栄化、その他凡て救いに関する信仰知識が、入信後は、最初はおぼろげに、そして次第に明確に理解せられ受入れられてゆき、かくして我らの理解力は比較的に早くよく新生せられるのである。併し生来の我らの意志は自我愛と世愛とにあって神と神の誠を喜ばぬものであるから、旧い意志を新しい理解力に服従させ、神の道に向って意志させ行動させることは、内的矛盾と戦とを経験させられることになる。それ故そこには、自由・喜び・平安がない。然るに今や神によって、更に意志が新たにせられるに及んで、この新しい意志は神の愛を受入れることにより神とその誠めを喜ぶものとなった。それ故両者の間に一致と調和が生じ、心の中には自由・平安・悦びが宿るに至る。かくして新生人には「世の与ふるが如きものならぬ、人の思にすぐる神の平安」が衷に巣喰うに至り安息させられるのである。併し彼の経験する安息は、主に因るものである。即ち新生前、彼の霊魂に経験させられた不安と戦とは、実は彼の心を舞台としてなされた主と地獄との戦に因るもので、彼は自由意志によって主の支配を迎えたが為に地獄の勢力が駆逐せられ、安息の主が彼の心を支配するに至ったのが新生人の心の相である。
 十誠の第四誠に安息日巌守の戒律がある。これは宗教実生活上極めて有効であり、一週間のうち、この一日を聖別し、六日間の勤労と俗事から離れて、礼拝、聖言研究、神と隣人愛の奉仕及び、休息と軽い慰安とに用いることは、正しい宗教生活に必要である。ただしイスラエル教会において之が戒律とせられたのは、一つの霊的真理を象徴的に教えるものであって、恰も同教会が、幕屋・神殿の祭事や律法で、象徴的に、主と神の国に関する霊的真理を教えているのと同類である。
 然らば安息日とその戒律は何を意味するか。ヘブル原語で安息は「シャーバス」で「休息」を意味し、主は安息それ自身で在し(マルコ2・27)、主の御支配を受け入れている神の国・教会・新生人はまた主に因って安息に在る。それ故新生人は主の聖翼(みつばさ)の蔭に宿り、自己の欲するところに由って行動せず、主の喜び給うことを主に従って為すとき、彼は主の祝福のうちに在ってご平安と喜悦は失せないが、之に惇って、自己に由り、自己の欲するところを為すとき、安息は喪失せられる。それ故安息日厳守の律法の霊義は、新生人また教会が、主の中にのみ留り、そこより一歩も外に出でることのない様にとの戒めである。

 もし安息日に汝の歩行をとどめ、わが聖日に汝の好むわざを行はず、安息を称えて祭日となし、エホバの聖日をとなへて尊むべき日となし、之をとうとみて己が道をおこなはず、おのが好むわざをなさず、おのが言をかたらずば、その時汝エホバを楽しむべし、エホバ汝を地のたかき処にのらしめ、汝が先祖ヤコブの産業をもて汝をやしない給はん。こはエホバ口(みくち)より語りたまへるなり。(イザヤ58・13-14)。


 右の聖言は天的人の在るべき状を表している。ここに[地のたかき処にのらしめ]とあるのは、主に在って生き、思うこと、語ること、行うことのすべてが、自己に死んで主によってのみなす者の亨受する内的平安と幸福を、また「ヤコブの産業をもて汝をやしない給はん」とあるのは、同じくかかる天的人の楽しむことの出来る外的静謐(せいひつ)と喜悦の状を約束して居られることを意味している。
  それ故、安息日戒律を霊的に守る生活とは、主が、ヨハネ伝第14章から第16章までに教え論して居られる主の誠命を守る主に在る生活であって、かかる天的生活態度に在るとき、我らは、何ものによっても乱されない主の与うる平安と、何ものも奪うことの出来ない主の与うる喜悦とを味い、多くの結実を受けて神の栄えを表わすことが出来るのである。かかる人こそ、パウロのいう「天の処に坐せしめられ」た人である(エペソ2・6)

     天的人の形成(創世記2・4-7)

4 エホバ神地と天を造󠄃りたまへる日に、天地の創造󠄃られたる、その由來は是これなり 5 野のすべての木は未だ地にあらず野のすべての草は未だ生ぜざりき。そはエホバ神、雨を地に降らせたまはず、また土地を耕す人なかりければなり。 6 霧地より上りて土地の面を遍󠄃(あまね)潤(うるほ)したり。7 エホバ神土の塵を以て人を造󠄃り生氣(いのちのいき)をその鼻にふきいれたまへり、人すなわち生靈(いけるもの)となりぬ。

【エホバ神】 [エホバ]は神愛を、「神」は神真を、「エホバ神」はその両者を意味する。

【野・土】 霊的人の外なる人は「地」(earthエレツ)と呼ばれるのに対して、天的人の外たる人は「野」(fieldサアデー)また土」(groundアダーマー)と呼ばれる。
【野の灌木・野の草】 共に天的人の外なる人に生ずる凡てのもの特に、霊的天的出所の理智や記憶的知識
【雨・霧】 外なる人に宿る平安
【土の塵を以て人を造り】 天的人の外なる人が形成されること。
【生気をその鼻にふき入れ】信仰と愛の生命を外なる人に与え給うこと
【人生霊(いけるもの)となる】 外なる人が生かされること
霊 義  前章においてすでに人間創造について録すところがあったにも拘らず、本章において別の形において人間創造が繰返されているのは、前章においては霊的人の創造を述べているのに対して、本章においては新生された天的人のそれを説いているからである。この事は、創造者の名が前章に於ては、愛よりも信仰をより多く受ける傾向に在る霊的人の創造者の名として、神真を意味する「神」が用いられているのに対して、本章に於ては、愛と信仰とをひとしく受入れる天的人の性格のそれに適うように、神愛と神真の両者を明示する「エホバ神」が用いられていること、前章に於ては、外なる人を象徴する語として「地」が用いられていたのは対して、本章に於ては「野」「土」が用いられていること、また、既に前章に於て植物や人間が造られたことになっているのに、本章においては、初めにこれ等のものがなかったと録されていること等からも理解されよう。
 すでに説いたように、霊的人の状態に在るうちは、人は内なる人は新にされて神のものとなっても、人間の言行に直接結び附いている心、即ち外なる人は神のものとなっていず、耕す人もない砂漠の様な荒地で、其処には草も灌木も生じ得ない状態にある。然るに前述の如く、外なる人が内なる人の支配下に入るに及んで、両者間に一致と調和が生れ、平和の安息が生ずる。かくして平安の霧は外なる人の「地」より上り、「雨」のまた地を潤すにあって、「野の灌木」、「野の草」を以て象徴されている霊的天的出所の理智や記憶的知識に属する信仰知識が与えられ、更に第7節において、神の生命、殊に愛の生命が吹入れられるに及んで、ここにその外なる人は神のものとなり、真の人が生れさせられ、生ける霊とせられるのである。

  天的人の形成(創世記2・8-17)
         (1)天的人の覚知(8-9)
8 エホバ神エデンの東の方に園を設て、その造りし人をその処に置たまえり、9 エホバ神、観るに美麗しく、食ふに善き各種の樹を土地より生ぜしめ、また園の中に生命の樹および善悪を知る樹を生ぜしめ給へり
エデンの東の方に園を設く】 [エデン]は愛を、「東」は主を、「園」は了知又は叡智(intellgence)を霊義としていることは、他の聖言によっても知られるところである(イザヤ51・3、エゼキエル43・1-4等)。それ故「エデンの東の方に園」とは、主にある愛から発している知性を意味し、自己とこの世を愛する愛から発しているそれとは対照的なものである。
【樹】 一般には情動の方面から考えられた人、または、その覚知(perception)を意味する。(エゼキエル17・24、詩一1・13.マタイ3・10等)
【観るに美麗く、食ふに善き樹】前者は真理に対する覚知、後者は善に対する覚知。
生命の樹】主より来る愛と信仰
【園の中に】「園の真中」にであるから、内なる人の意志に。
【善悪を知る樹】「生命の樹」と反対に、主によらぬ自己による感覚的知識による信仰
霊 義 人は主によってその内なる人許りでなく、その外なる人も新たにせられると、彼の意志は主に支配されているから主への愛に居る。そして正しい信仰は、この主に在る我等の愛を通じて主より来るものである。それ故、天的人の知性は「エデンの東の方に設けられた園」の形にある。そして彼の知性の園には、凡ての真理を覚知する能力即ち「観るに美麗しき樹」や、凡ての善を覚知する能力即ち、「食うに善き樹」が、それぞれの用に応じてその諸種の樹々として繁茂しているのである。そして人間はその内なる人の意志に、神よりの愛と信仰とを覚知する。生命の樹が植付けられると共に、サタンの樹なる「善悪を知る樹をも園の一隅に置かれることにより、単なる機械や動物とは異なった自主に在って善なる神に生きるべきものとせられたのである。
 以上によった知ることは、我らの霊が主によって新生させられて天的人とせられるなら、我らは「エデンの東の方に設けられた園」に住うことを許されているものであるから、我らの内には。神の真理や善を覚知するための諸々の樹々が生命の樹と共に備えられるということである。これについて主は我らに[助け主。即ちわが名によりて、父の遣したまふ聖霊は、汝らに万の事をおしへ](ヨハネ伝14・26)と教え給い、また[なんじらの衷には、主より注がれたる油とどまる故に、人の汝らに物を教うる要なし。此の油は汝らに凡ての事を教へ」(第一書2・27)とヨハネは説いているのである。それ故我らは、後述する如く「善悪を知る知慧の樹」には極力警戒しつつかのベンゲルが教えている如く、聖書を「祈りつつ読み読みつつ祈る」ことにより、天来の糧に事欠かぬものとなることが出来るのである。

   (2)天的人の知性の秩序(10-14)

10 河エデンより出で園を潤し、かしこより分󠄃かれて四つの源となれり 11 その第一の名なはピソンという、これは金あるハビラの全󠄃地をめぐる者なり 12その地の金は善し、又ブドラクと碧玉かしこにあり 13 第だい二にの河かはの名なはギホンといふ是これはクシの全󠄃地ぜんちを繞めぐる者ものなり 14 第三の河の名はヒデケルという、これはアッスリヤの東に流るるものなり。第四の河はユフラテなり。

【河エデンより出で園を潤し】[河]は豊富な真理又は虚偽を意味するが、ここではエデンより出る河であるから愛より出る智慧を意味する。この智慧が人の知性を潤すこと(イザヤ58・10、11、民数24・6、エレミヤ17・78、エゼキエル31・4、7-9
【ピソン・ギボン・ヒデゲル・ユフラテ】「ピソン」は愛より出る信仰の叡智、【ギボン】は善と真理、即ち愛と信仰に属する凡てのことに関わる知識(cognitio)、「ヒデケル」は理智、「ユフラテ」は記憶的知識を意味する。
【ハビラ・クシ・アッシリヤ】「ハビラ」は内なる人の意志の方面、[クシ]又は「エチオピヤ」、「シバ」ヽは内なる人の理解力の方面、[アッシリヤ]は外なる人の理性的心。【金・宝石】「金」は、智慧叉は愛の善を(エゼキエル28・4、マタイ2・11、詩72・15)、「宝石」はアロンのエポデの胸牌や肩帯に着けられた宝石や、新エルサレムの都の石垣やその基となっている宝石によっても知られるように、信仰の真理を象徴するものである(出28・9-22、獣21・18-21、エゼキエル28・12-15)。
霊 義 天的人の知性は次のように秩序付けられていることを知る。即ち、「東」なる主より発する智慧が先ず我らのエデンたる愛に注入され、そこより出でて我らの叡智の園を潤すことから始まる。次にこの神の智慧の河は四つの河の源となる。第一の河ピソン即ち、愛より出る信仰の叡智の流は内なる人の善き意志の心に流入して、そこを潤し、そこで金や宝石、即ち善き愛と正しい信仰とが生ぜしめられる。次に第一の河から分れた第二の河ギボンは愛と信仰の流れとして内なる人の理解力を潤し、更にそこから第三の河ヒデケルは理性の流れとして外なる人の理性的心を潤し、そこより分れて最後に、霊的には人間の知性の末端である第四の河ユフラテ即ち記憶的知識となって終わるのである。
 以上によっても知られるように、信仰人の正しい知性は先ず内なる意志が[東]なる主比向つて開かれ、心の内奥に愛のエデンを設けていただくことから始まる。そしてこの内なる人の意志から、モの理解力へ、それより更に外なる人の意志と理解力にと次第に支配と感化が及んで行くべきものである。即ち主より与えられた智慧が叡智となり理知となり最後に感覚的な記憶的知識となるのである。それ放、真の信仰大は一つの自然物をも、この世の人が単に感覚的記憶的知識によってのみ認識理解するのと異り、創造者の聖子の業として、対応による霊的世界の事実の顕現として認識理解し乍ら、理性や感覚的知識を駆使して真理を学ぶのである。然るに、茫と反対に記憶的感覚的知識から霊的宣循を知ろうとするのが、後述する如く[善悪を知る樹の果を食う]この世の智者の態度で、自ら賢からんとして愚かとなっているのである。
 なおここに附言しなければならないことは、聖言の内的意味は、単に普通名詞のみに有るのではなく、固有名詞例えば、地名・人名・河の名等にもある、ということである。そして地名などの場合は、神がアブラハムに「我この地をエジプトの河より、彼の大河、即ちユフラテ河までなんじの子孫に与ふ」(創15・18)と約束なし給うた言にも表れているように、聖書の古代人に中心となっている土地はカナンで、これは天界また教会を意味して居り、エジプトのナイル河や、ユフラテ河は東西の両端であるから、両河及びエジプトは、人間の知性の最外部をなす感覚的記憶知識を意味するのである。

   (3)天的人の知性に関する主の誠(15-17)
 15 エホバ神その人をとりて、彼をエデンの園に置き、これをおさめこれを守らしめ給へり 16 エホバ神その人に命じて言いたまひけるは、園のすべての樹の果は、汝意󠄃のまゝに食󠄃らふことを得  17 しかれど善悪を知るの樹は汝その果を食󠄃ふべからず、汝これを食󠄃らう日には必ず死ぬべければなり。
エデンの園に置き、これをおさめこれを守らしめ給う】天的人に託されている凡ての神の善や真理を、自己のものとしてでなく、神よりのものとしで亨受し楽しむことを許されたこと。
霊 義 前述の如く、天的人の知性の秩序は主より出で、内なる人を通って外なる人の理解力の末端にまで及び来るもので、その反対の人間的な感覚的知識から霊的天的真理を探求するものではない。彼の知性がこの秩序に従って居るなら、彼は凡ての善と真理即ち、凡ての愛と信仰とは主より来るものであって自己に由来しないことを覚知し、エデンの園を管理しつつ、そこに生じている「観るに美しく、食うに善き各種の樹を楽しみ、生命の樹より愛と智の生命の果を摂ることが出来るのである。しかるに神は園の一隅に蹟の石である「善悪を知る樹」をも用意し給うことにより、人間を自主なる者の責任に於て、悪を棄てて善を選び、悪魔を退けて、主に従うことを命じ給うためである。これは神の人間に対する最高の愛の表れであって、もし人間が善以外を志したり行ったりすることが出来ないものとして造られていたなら、人間は本能によって生きる動物と異らぬ存在となり、そこには最早善も存在しないことになる。神は人間を奴隷として造り給わず、子として造り給うたのである。
 しからば善悪を知る樹の果を食うとはいかなることであり、またそれが何故天的人の楽園喪失となるのであるか。是については次章に於て詳しく学ぶことであるが、重要なことであるから数言これについて述べることにする。
 既述の如く、凡ての善と凡ての真理とは神より来り、その善を意志し、その真理を理解する能力もただ神よりのみ来るのである。そして神は、かかる霊的賜物を人間の心の最奥部なる内なる人を通じて外なる人に及ぼし給うことは前述の天的人の知性の秩序の如くである。しかるに善悪を知る樹の果を食うとは、これとは反対に、人間の外なる人の最外端部の知性である感覚的記憶的知識から出発して、次第にそれより内的な知性に働きかけて、信仰の神秘の世界の知識である神・霊界・救等の問題を究めようとの、バベルの塔を建設せんとする傲慢な暴挙を企てることを意味しているのである。これを今、実際的例で説明するなら、いわゆる神学研究の可否について述べられる。即ち、もしも神によって導かれて相当の信仰程度にまで成長した者が、記憶的知識である神学を研究するなら、彼は内なる人を通して主より与えられる光によって、これを適当に理解し、神の聖旨に適った知性の秩序のうちに適切に摂取して彼の知性を潤すことが出来るであろう。しかしながら、もしも未熟な信仰階程にある者が神学を研究するなら、彼の内なる心は主に向って充分開かれていないから、神より来る内的知性に導かれないで、単に外部から受入れる記憶的知識を駆使して信仰の神秘を究めようとの愚挙をなすことになる。かかる者はいかに該博な神学知識をもっていても、単なる物知り位のものであって、神の真の知識に欠けた愚者であることは霊界において明かとなる。そしてかかる者が霊的指導者の位置に立つときは盲目の手引となり、多くの者をその道連れとすることになる。神はそれ故、ここに堅く警めて、「しかれど善悪を知るの樹」は汝その果を食うべからず、汝これを食う日には必ず死べければなり」と命じ給うたのである。           

              

  スウェーデンボルグの思想──科学から神秘世界へ 

                                                          高橋和夫 著 講談社現代新書より引用                              

                          ※ 天地創造物語の霊的な理解の参考に 

 ◎〔『視霊者の夢』の夢解釈!~2〕よりの続き

虚無の深淵と、光の創造──1日目

 「創世記」冒頭の、神が最初に創った「天と地」は、私たちが頭上に見ている空や、足下に踏みしめている大地のことではない。スウェーデンボルグの解釈する霊的な意味に従えば、「天」とは「内なる人間」ないし「霊的な心」である。これは人間が先天的に持っている霊性や宗教性であるが、必ずしも意識化されるとは限らない。一方、「地」とは「外なる人間」ないし「自然的な心」であり、世俗的で非宗教的な意識である。
 人間を真に人間たらしめるのは「内なる人間」である。「外なる人間」は、いわば粗野な自然状態に置かれた、霊性を欠く人間である。スウェーデンボルグの前提は、人間は人間として生まれるのではなく、人間は人間に成ってゆく、というものである。経験的に観察される「外なる人間」は、「自己愛」と「世俗愛」、つまり自己中心性、感覚的なものへの傾き、単なる知識への偏向、所有欲、支配欲などに染まっている。そのため「内なる人間」は、無意識の領域に潜在したままになっている。そこで、そうした人間の日常的な意識の大部分を占める自己中心性や世俗性、自然性を、聖書は「地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあった」(「創世記」1章2節)と語り出すのである。スウェーデンボルグは、創造の7日間を、人間の新生の連続的な7つのプロセスと解釈する。右に述べた状態は、人間が新生に向かう以前の状態である。したがって、この「外なる人間」の粗野な状態は改善される可能性がある。それが、「神の霊が水のおもてをおおっていた」(「創世記」同節)という一文の意味である。これを現代的に述べるなら、人間の表層的な意識の奥には「超個的な中核」があり、それが人間の救いの究極的な根拠として働いている、ということになろう。スウェーデンボルグはこの第2節を、「めんどりが翼の下にそのひなを集めるように」(「マタイによる福音書」23章37節)人間の粗野な心を覆い包む神の慈悲を語っている、と解釈する。第3節は光の創造である。「神は『光あれ』と言われた。すると光があった」。自然の光に照応する霊的なものはよく知られている。光が象徴するのは、知性、内なる照示、無意識の意識化などである。新生の最初のプロセスは、内部に隠れていた霊性や宗教性が自覚され、この自覚が自己中心性や世俗性を退かせる過程である。これが光と闇の分離である(「創世記」1章4・5節)。自然的にはそれなりに生きていたものの、霊的にはほとんど死に瀕してしていた、虚無の混沌の中にあった「外なる人間」に、救いの一条の光が射し初めたのだ。この光は「外なる人間」にとってはかぼそい光だが、それは神の無限の愛から発する光である。自己や世俗に関わる意識の後退は誰でも時おり経験する普遍的なことである、とスウェーデンボルグは言う。こうした状態は、不幸、悲嘆、試練、病気などの際によく起こる。そのようなとき、身体や世間的なことに関わる意識がいわば静正し、死んだもののようになるからである。このとき自覚されるようになる内的なものを、スウェーデンボルグは「残されたもの」(reliquiae)と呼ぶ。それは、人間が幼少の頃から心の奥底に蓄積してきた、無垢、善良さ、愛といった内なる情愛である。「幼児のまわりには天国がある」と詩人のI・ウォッツは謳ったが、失意や病気の際に私たちは幼い頃への郷愁にかられ、ある種の清浄で敬虔な感情に浸ることがある。それは、「残されたもの」が神によって無意識裡に「内的な記憶」として蓄えられているからだ、とスウェーデンボルグは言う。

天の上下に分けられた水──2日目
 創造の2日目は「水」が主題になる。前後の文脈による微妙な違いはあっても、スウェーデンボルグは聖書全体にわたって「水」を、理解力・知性・知識に関わるものと解している。「創世記」1章6~8節を要約すれば次のようになる。
 水の真ん中に天と呼ばれる広がりがあって、この広がりによって水が上下に分けられた。    (ここは、『天界の秘義』のスウェーデンボルグの訳に従う)
 この個所の「天と呼ばれる広がり」は「大空」とも訳されるが、この記述はいったい何を意味するのだろうか。新生への次の段階は、「残されたもの」という内なる情愛の意識化である。この内なる情愛を意識にもたらすのが、「天と呼ばれる広がり」によって意味される「合理的なもの」である。
「合理的なもの」とは、スウェーデンボルグによれば、「自然的なもの」と「霊的なもの」との中間にある、啓発的な知性機能であり、合理性の能力とも呼ばれる。この能力が光によって照らし出されると、人間は自分の「自然的なもの」である低次の自我から、それを超えた「霊的なもの」である高次の自己を区別することができる。別の言い方をすれば、「水が上下に分けられた」とは、新生以前には「聖」(宗教性・霊性)も「俗」(自己中心性・世俗性)も峻別できなかった人間が、合理性の能力の活性化によって心の成層的な構造をはっきりと知ったということである。合理性の能力は、いわゆる理性と必ずしも同義ではない。デカルト以降、理性は近代的自我を支える基礎的な概念となったが、スウェーデンボルグは理性を「混成された知性」と呼ぶ(※ 下記参照)。理性は心的な機能の全体の中で、中間的な位置しか占めていない。理性の「階層」は、最内奥ないし最高の霊的な「階層」と、感覚や感覚経験に由来する自然的な「階層」との間隙に存立している。このように、理性の上方ないし内部に、理性を超えた心の領域である「霊的なもの」を認める点で、理性そのものを心の根源的な中核と見なす近代哲学とスウェーデンボルグの心の理解は異なっているのである。
 さて、低次の自我に固有なものとは、感覚や記憶に属する、家庭や学校や社会で学ばれた知識であり、これは身体の維持や社会生活に役立っている。これが、合理的なものの外側、あるいは理性の下方にある、「広がりの下の水」が意味するものである。一方、「広がりの上の水」とは、合理的なものの内側、つまり理性の上方から理性へ流れ込む、宗教的で啓示的な知識のことである。スウェーデンボルグの言葉でいえば、この知識は、霊的な心に属する「善」や「真理」である。この知識は「内なる道」によって人間の心に入ってくるもので、感覚経験からくる知識のように「外なる道」によって得られるものではない。

 

私たちの意識的な心を、スウェーデンボルグは「合理的な心」mens rationalis)と呼ぶ。この心は「自然的な心」と「霊的な心」との中間に位置する。自然的な心とは低次で外的な心であり、「アニムス」(animus)と呼ばれる。これは肉体の感覚を通して形成された「感覚の生命」「非合理的な心」であり、動物もこれを有するとされる。現代流に言えば、本能・情動・パッションのことである。一方、霊的な心は内的で高次な心であり、これは「霊魂」(anima)から発している。この心は現代では、超意識の領域に属する一種の知的直観と見なされるものであろう。
 近代哲学は、デカルトの「思考実体」、つまり思考しつつ存在する意識的な心を、それ自身で存立するかのように見なし、霊魂のような心の内的原理を退けてきた。しかし現代では、無意識や超意識も含む心の成層的な構造がしばしば問題になっている。スウェーデンボルグによれば、合理的な心は「思考の生命」として、「感覚の生命」であるアニムスの内部にあって、想像・思考・判断・意志決定などの働きをする。しかしそれは、その心自身の自発的な働きによるのではなく、その心に内在する霊魂の働きを受容して、アニムスから入ってくる流れを処理するのである。すなわち合理的な心は、霊魂とアニムスの流れの交差する地点に位置し、自由に考え、判断し、意志し、行為する。
合理的な心を司る「純粋知性」
 合理的な心は「人間の心」であり、私たちの「真正の自己」である。道徳的な性格も合理的な心に由来する。なぜなら、アニムスに属する本能や情動を、霊魂から発する高次な心の視野に収めて熟考し抑制しないなら、そこには悪徳が形成されるし、逆に欲望や情動を正しく秩序づけるなら徳が形成されるからである。スウェーデンボルグは、人間を人間たらしめる能力を自由意志と理性とに求める。これらは合理的な心に宿る能力であるが、理性についての考え方は特殊である。彼は理性を「混成された知性」と呼ぶ。というのも、後世の哲学は人間の理性を絶対視し、「純粋理性」とか「理性の自発性」などと言うが、スウェーデンボルグは理性の内奥に、理性を超越しつつ理性を原理づけるもう一つの知性、「純粋知性」を探り、これを霊魂の直接的な所産と考えたからである。
 純粋知性には「自然の一切の法則に対する直観」が先在する。純粋知性は、「合理的な心が継時的に把握するものを同時的に把握する。つまり、前提と結論、原因と結果を同時的に把握する」(132)。また純粋知性は、「どんなことでも、それをただちに真または偽と認め、確からしいという曖昧な認め方はしない」(133)。さらにこの知性は、人間が経験によって獲得するものではなく、初めから完全であるので経験によって完全にされる必要もない(134)。スウェーデンボルグが理性を「混成された知性」と呼んだのは、理性が合理的な心において純粋知性の働きを受けて、経験的、後天的に獲得される感覚的印象や低次の観念を秩序づけるものだからである。このように霊魂は純粋知性を通して、思考や推理の能力を意識的な心に賦与するだけでなく、想像や感覚の作用をも究極的に統制している。

 

地に生える青草-3日目
 創造の3日目には、「下の水」がやがて「かわいた地」と「海」とに分けられ、「地」には植物が生える(「創世記」1章9~13節)。ここで「地」とは、理性的な思考や内省が始められることによって、低次の自我の中へ徐々に浸透してくる宗教的、霊的な知識を意味する。この知識を土台にして、新生への過程は進展してゆく。地から植物が生えるのは、この過程で一つの成果が生み出されるからである。しかし、ここで生える植物はまず「青草」である。これは、生み出された成果がまだ未熟な段階のものであり、霊的な内実の十分にそなわっていないものであることを示唆している。宗教的な意識にめざめたばかりの人間の心理状態は、実際こうしたものである。何らかの信仰や信念を得てまもない人は、宗教や教説の本当の深い意味を十分に咀嚼しないまま、教えられるままに語ったり行動しがちである。そこには一種の強制感や義務感がつきまとい、言動は粗削りでぎこちない。これは、自己愛や世俗愛が真理や隣人への愛に抗う(あらがう)、葛藤の状態である。したがって、そうした状態から生まれる善は、すぐあとに出てくる、実を結ぶ果樹や、5日目に創造される動物のように生き生きとした善ではなく、あくまでも「青草」にたとえられる、まだ未熟な善である。
 スウェーデンボルグは宗教的信仰の内面化のプロセスを、「単なる知識の信仰である、記憶の信仰」→「理知的な信仰である、理解力のうちにある信仰」→「愛の信仰ないし救う信仰である、心情のうちにある信仰」と図式化している(『天界の秘義』30)。
二つの光と星の創造─4日目
 新生の第4のプロセスに照応する創造の4日目に、神は「大きい光」と「小さい光」と「星」を創った(「創世記」1章14~19節)。
 新生とは、人間の心の中へ霊的な生命が漸次的に吹き込まれてゆく、いわば霊的な創造の過程である。その進展につれて、自己や世俗のみを目的とする、肉に属する古い生命は克服される。内なる理性の声を聞き自分の低我の衝動に打ち克つとき、心は生ける愛の熱を実感し、内なる高次の生命の実在を確信し始める。
 新生のこの段階で出現する「大きい光」とは、内なる宇宙に輝く太陽、すなわち「愛」である。宗教的生活が内面化すればするほど、強制感からなされる行為は減って、内なる心情からなされる行為が増す。これを促すものが愛である。そして愛の内に住まう心は、無限の愛である神の内に安らうのである。つまり、「大きい光」の創造とは、内なる愛への覚醒を意味するのである。
 一方、「小さい光」は月である。スペインの聖人と呼ばれたカルメル会神秘主義者、十字架の聖ヨアンネス(Juan de la cruz, 1542~91)が適切に表現したように、新生への途上には「霊魂(こころ)の暗夜」もある。有限な人間はいつも愛に感動していられるわけではなく、しばしば苦悩し闇の中をさまよう。こういうときに必要なのが、暗夜を照らす月明かり、すなわち「信仰」なのだ。スウェーデンボルグはこの「小さい光」を信仰と解している。「星」は、スウェーデンボルグによれば、霊的で宗教的な知識を全般的に意味する。恒星は元来、太陽であるけれども、はるか遠方から来る光のために月よりも小さく見える。それでも無数の星が暗夜の天空にちりばめられている。星の象徴するものはこの場合、民族であれ個人であれ、万人に対して遠い時代から伝承されている普遍的な霊的知識である。それは、国や宗教や時代を超えて万人の良心に流れ入る、「神が存在する」「人間は悪を慎み善をなさねばならない」「盗みや殺人は悪い」などといった、ごく基本的な、しかしそれなしでは人間の霊的な生活が瓦解してしまうような知識である。
 人間が自己中心性や物質的で感覚的なものへの惑溺、世俗への執着を徐々に脱ぎ棄て、隣人愛や善の実践によって無限の愛である神の愛にめざめるということは、人間が心の奥底に、「愛」と「信仰」という二つの光から発する生命的な熱と光を受容することにほかならない。
 スウェーデンボルグは、「愛」を天的原理、「信仰」を霊的原理と呼ぶ(『天界の秘義』83)。天的原理は、人間の心の意志的で情緒的なレベルに属する根源的な生命原理であり、霊的原理は、心の理解力や認知力のレベルに属する派生的、二次的な生命原理である。
動物の創造──5日目
 創造の5日目に、神は水や海に棲む生き物や空を飛ぶ鳥を創った(「創世記」1章20~23節)。
 新生の第5のプロセスでは、愛と信仰という生命の二大原理によって心の中へ生きた善や真理が豊かに吹き込まれる様子が活写される。動物たちの意味するものは、宗教的な内省や実践によって獲得された知識であり、この知識が愛と信仰の原理が浸透してゆく基盤を形成する。以前の知識はまだ、生きているとは言えない、記憶にのみ属する知識だったが、今やそれは愛と信仰によって霊化され生命を奈びるのである。
 3日目に創られた植物群と違って、ここで生み出されるのは動物である。植物が生長という単純な運動しかしない生命を持つのに対して、動物ははるかに多様な生動的な生命を持っている。魚は、低次の自我へ浸透してきた、一種の初期的な宗教的情愛の動きを象徴するが、やがてこれは、陸上生活もできる爬虫類にもなってゆく。爬虫類とは、イヴを誘惑した蛇がそうであるように、人間の「感覚的思考」の象徴だとスウェーデンボルグは言う。感覚に密着した思考は多くの錯覚や迷妄を有し、事柄の真偽の判断を誤らせることが、よく知られている。
 鳥類は、知性に属するものを表わす。鳥のあの鋭く光る眼や、空中を自由に飛翔する特殊な能力は、感覚の束縛を断ち切った自在な思考能力を連想させる。
 いずれにせよ、新生のこの段階で起こるのは、生命の二大原理が「内なる人間」から「外なる人間」に浸透し、「外なる人間」も生動的な生命を帯びてゆくプロセスであり、この生命がさまざまな動物たちによって表わされているのである。
 ここで、3日目に生み出された植物に照応する善と、5日目の動物に照応する善との差違を、もう少し詳しく考えてみたい。
 スウェーデンボルグの教説の一つに、人間は「自らによるものとして」自分の力で悪を避け善をなさねばならないが、それでも善は自分自身に由来せず、神にのみ由来することを信じなくてはならない、というものがある。一見、何でもないような教説だが、その含蓄は深い。なぜなら、絶対自力でも絶対他力でも達成できない、宗教的な善の微妙な本質を言い当てているからである。
 スウェーデンボルグによれば、3日目の段階まで新生した人間は、「悔い改めの状態の中で内なる人間によって敬虔に信仰的に語り、仁愛の業のような善を生み出す。しかしその善は、当人が自分白身から発していると考えるため、生きていないものである。こうした善は『青草』『種をもつ草』と呼ばれ、あとでは『種のある実を結ぶ果樹』と呼ばれる」(『天界の秘義』9)。これに対して、新生の4日目に、愛に動かされ、信仰によって明るくされた人間が、5日目に達成する状態は、「信仰に基づいて語り信仰によって真理と善を確認する状態である。そのとき、その人間によって生み出されるものには生命があって、『海の魚』『空の鳥』と呼ばれる」(『天界の秘義』11。
 「生命」についてスウェーデンボルグは、これを神にのみ帰属させる。人間それ自身には本来的に生命はなく、人間はただ神からの生命の受容体、器である。もっとも、ここで言う生命は霊的な生命であって、普通に使われる生命のことではない。
 こうした生命観に基づくスウェーデンボルグの新生に関する考え方は、近代的自我の存在論的な確実性や根源性を拒むものであり、また、カントの道徳哲学に見られるような、自発的で自律的な道徳的意志の努力を強調する考え方とはかなり異なる。
 宗教的に新生する人間は、「自らによるものとして」善をなすが、それでもその善は自らが生み出すものではなく、いわば超個人的な領域から受容するものだということを、信仰によって承認している。私たちが「善」とか「真理」と漠然と呼び習わしているものは、究極まで突きつめると、もはや人間に固有なものではなくなる。霊的な生命としてのこの「善」や「真理」の超越性、絶対的所与性を洞察し承認することこそ、新生の標識なのだ。しかも、こうした洞察と承認が深まるにつれて、人間はますます豊かに生命を得て、より完全な人間へと向上する。これが、古代の賢人たちが有したありふれた知恵であると、スウェーデンボルグは言うのである。
人間の創造──6日目
 創造の6日目の後半に、いよいよ人間が創られる。神が人間を神のかたちにかたどってしかも人間を「男」と「女」に創った(「創世記」1章26・27節)、と聖書が語るとき、まず留意すべきは「人間」という言葉の意味である。なぜなら「創世記」第1章は、初めから人間の新生というテーマを追い続けているからである。
 人間というと、まずその肉体が思い浮かぶ。肉体は有機的に組織され、一般に生命と呼ばれる生理的な力によって生気づけられている。そうした健全な肉体的機能をそなえた人間も、確かに人間である。しかし知性や教養のような精神性をそなえなければ、一人前の人間と言わないこともあるし、また法的な成人の概念も、道徳的、宗教的な意味合いでの人間の概念も、異なってくるだろう。ここで聖書が語り出す「人間」とは、文脈からして、知性的にも精神的にも卓越した最高の型の宗教的人間を意味することは明らかだ。
 5日目の新生のプロセスでは、「内なる人間」が「外なる人間」を通して生み出した善は確かに生きていた。しかしその善は、「天的原理」たる愛から自発的に生み出されたというよりは、むしろ「霊的原理」たる信仰の確認によって生み出されたのである。
 しかし6日目は、新生のプロセスの一種の完成段階であるため、信仰よりも愛から善が生み出されるときである。この段階をスウェーデンボルグは、次のように述べている。

 第6の状態は、人間が信仰によって、またこの信仰に続いて愛によって、真理を語り、善をなす状態である。そのとき人間が生み出すものは、「生き物」「獣」と呼ばれる〔善である〕。人間はその際、信仰と愛によって行動し、同時にまた、信仰と愛とが共になったところから行動し始めるので、かたちと呼ばれる霊的な人間になる。(『天界の秘義』12)

 この完成の段階で創られる「人間」とは、まさにこの「霊的な人間」である。この人間は、かつては粗野で未熟な自然状態という虚無の深淵にいた「自然的な人間」であったが、今や内面的に進化し新生して本当の人間になったのである。それでは、人間を「男」と「女」に創造したという記述は、何を意味するのであろうか。
 前にも少し触れたが、スウェーデンボルグは人間の心の本質的な構成要素を、「意志」と「理解力」──または「自由」と「合理性」──に二分する。「意志」はいわゆる意志も含むが、意欲・感情・情愛などの総称である。この側面は心の根源的なものであり、愛や善に関係する。古代の賢人たちはこの側面を「女」と呼んだのである。一方、「理解力」は知性・理性・悟性などの知的能力の総称であり、これは派生的な心の側面として、信仰や真理に関係する。これが「男」と呼ばれるものにほかならない。
 ある宗教が「女」の側面しか発展させないなら、熱狂的で狂信的な宗教になるだろうし、「男」の側面しか発展させないなら、抽象的で観念的な宗教にすぎないだろう。同様に人間の霊性においても、これらの二要素がバランスよく新生しないなら、偏向した霊性が形成されるだろう。
  C・G・ユングは、感情の機能を知性の機能に対置し、愛や情緒的なものが人格の統合に不可欠であることを指摘し、また「内なる異性」──アニムスとアニマ──の意識化の重要性を説いている。スウェーデンボルグは、人間の精神的成長におけるこうした両性の機能の統合の必要性を、十分に知っていた。「霊的な人間」とは、知性的でかつ情緒的な人間なのだ。
 ところで、スウェーデンボルグの「新生の心理学」は、彼自身の独創によるものでは決してない。それは古代のありふれた思想であるが、ユングの「自己の全体性の統合」を扱う心理学や、アメリカの心理学者A・マズローの「自己実現」の心理学、そしてトランスパーソナル心理学など、現代の心理学に近接している。ここではこれらとの比較はできないが、示唆だけはしておきたい。
 さて、以上のように、「創世記」第1章の6日間の天地創成神話は、そこに内蔵された霊的な意味の体系として、自然的な人間から霊的な真の人間に至る漸次的な再創造、つまり新生のプロセスを叙述している。6日目に神が「人を造ろう」(「創世記」1章26節)と言うまでには、予備的な数多くの段階があった。それは人間自身の内面的な苦闘と試練であると同時に、神の側からも、人間の創造に伴う労苦でもあった。
 肉体の創造とは違って、新生という再創造は、神が人間に働きかけ、人間がこの働きかけに協力して、初めて達成される。現代的に言えば、人格の全体性の実現は宇宙の超個的な諸力との協同によってのみ果たされるのである。

                            

      創 世 記 Ⅰ (2)  〔1・18~31〕        

      ヘブライ語聖書対訳シリーズ 1 ミルトス・ヘブライ文化研究所編

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