tanasuexの部屋

〈宗教の生命は、善をなすことである〉

ス氏の霊界批判に対して・・夢解釈!11

                                   スウェーデンボルグの手紙            

              ──エティンゲル博士宛──   訳 鳥田四郎                           

 エティンゲル博士はムルハルトの監督で、その敬虔と博識の故に国民に愛せられていた人である。彼はスウェーデンボルグの教説をドイツにおいて受け入れた最初の人々の一人である。彼はス氏の著作の一部を翻訳紹介したが、そのため、同国の宗教界から迫害を受けた。以下にス氏から同博士の質問に答えた手紙の一つを紹介する。
 ──私が為していることは、主によって遣わされてなすのであるとのことに対して、何らかの徴が必要であるかどうかとのご質問に、以下お答え申します。
 今や徴や奇蹟は与えられないでしょう。何となれば、それらは外的信仰を強制するものであり、内なる人を信仰に確立させるものでないからであります。エジプトにおいてはどうであったでしょうか、またユダヤ国民の間においてはどうだったでしょうか。彼らは主の与え給うた徴や奇蹟にも拘わらず、主を十字架に附けたのであります。それ故もし主が今、御使いとラッパとを以って、空に現れ給うたとしても、かつてと同じ効果があるだけのことでしょう。ルカ伝16・29、30、31節をご参照下さい。今日与えられる徴は解き明かしと、それより生じる新教会の真理の受け入れであります。また、ある人々の言による説き明しも同じく在り得ましょう。(訳者注─例えばインドの聖者サンダーシングの如きものか)。これは奇蹟よりも有効であります。しかしても、恐らく一つの証拠は与えられるでしょう。
 貴下は、私が使徒達と語ったことがあるか、と訊ねられますが、私はそれに対して次の如くお答えいたします。私はパウロと丸1年語り、またロマ書3・28節に記されていることに就いても語りました。ヨハネとは三回、モーセとは一回語ったことがあります。ルターとは百回も語ってきたと思いますが、彼は私に、ローマ法王と完全に分離するだけの為に、天使の警告に反して、信仰のみによる救いの教理を受け入れた、と自白しました。しかし天使達とは、私は過去二十二年間も語っており、日々に語っています。主は私に、天使達との交際を与えて居られますが、私は、それを著書に記す機会を有ちません。判らぬ人々はかく言っているでしょう。「信ずることが出来るための証拠を示してくれと言わないで、誰が信じよう」と。
 「哲学者であった私が、何故この職に選ばれたのか」とのご質問に対しては、次のようにお答えいたします。それは、今日啓示せられている霊的知識が合理的に学ばれ、自然的に理解せられんが為であります。何となれば、霊的真理は自然的真理に応ずるものであり、自然的真理は霊的真理より発出して、後者(霊的真理)の土台として仕えるものであるからであります。霊的なものは、人間的、自然的、または地球に在るものに類似、または対応して居ることは、論文「天界と地獄」第87項よりれ第102項、及び、第103項より第115項によって理解されるでしょう。この故に私は、主に因って、最初、自然科学に導かれ、かくして、1710年から、私に天界が開かれた1745年まで準備させられました。人はすべて、道徳的に教育され、主によって霊的に新生させられ、自然的なものから霊的なものに導かれます。更に主は私に、霊的真理に対する愛を与え給いましたが、これは、名利の為でなしに単に真理それ自身のためのものであります。何となれば、すべて真理の故にのみ真理を愛する者は、主は道であり、真理にて在し給うが故に、主より真理を知るのであります(ヨハネ伝14・6)。これに反して、名利の為に真理を愛することを口にする者は、自らの自我より真理を観、自己から真理を観る者は虚偽を見るのであります。自己からなされる確信は教会を閉ざし、真理の合理的確信は之を開きます。人は彼の理解力に入り来る霊的事柄を、他に理解することが出来ましようか。プロテスタント教会に於て受容れられている教理的観念、即ち「神学的事項に於ては、理性は信仰に捕捉隷属せしめらるべし」と云うことは、教会を閉じ込めるものであります。主によって啓発される理解力を除いて、他に何が教会を開きましよう。「黙示録顕示」第914項を御参照下さい。私は貴下が、「天界と地獄」をドイツ語に翻訳された為に、迫害をお受けになったことを悲しみます。しかし、今日、真理そのものにも勝って受難して居るものがありましょうか。幾人がこの事を知っていましょう、否、誰か之を知りましょう。それ故、やむことなく、真理の擁護に不撓不屈たらんことを。
  

  1766年11月11日 ストックホルムにて 

※ 聖者サンダーシングは、当初はスウェーデンボルグの教えに心酔し、新教会の教えに寄与していましたが、後年は霊界のアダムとエバにお会いしたなどのトンデモを報告するようになっていました。指導していた伝統の司祭の影響のようです!        

          「秘密結社版 世界の歴史」   

              ジョナサン・ブラック著 (早川書房

  イギリスのジョナサン・ブラックは、次のような報告をしています。  「1744年7月、ロンドンの時計商ジョン・ポール・ブロックマーは、彼の下宿人に何が起こったのかと心配していた。スウェーデンの技師エマニュエル・スウェーデンボリは、普段は物静かで立派な人に見えたし、日曜日毎に地元のモラヴィア教会に通っていた。その彼が、今は髪を逆立てている。口から泡を吹きながらブロックマーを追いかけ回し、訳のわからないことを口叫びながら、メシアを自称しているようだ。ブロックマーは医者に行くように彼を説得したが、スウェーデンボリは医者ではなくスウェーデン大使館に駆け込もうとした。だがどうしても入れてもらえない彼は、近くの排水溝に走って行き、服を脱いで泥の中を転げ回り、群衆に金銭を投げた。」※ このモラヴィア教会は、キリスト教版タントラを教えており、当時はカリスマ的な指導者ツィンツェンドルフ伯爵が教会を牛耳っていて、聖なる行為としての性交を推奨し、絶頂の瞬間にお互いの中に聖なる流出を見るように指導していたとされています。そして、スウェーデンボルグもこの技法を学んだとされているのです。?????

 ※ この技法には、危険と虚偽が隣り合わせです。

  (このタントラヨガに関して、後日ブログで書き込む予定です。)

※ この記事の元ネタは、当時のカトリックの批判者マセシウスによるものです。

 

 マセシウス(スウェーデンボルグに敵意を持つ牧師)は、英国の時計商でモラビア派教徒のジョン・ポール・ブロックマーのところに滞在している間、ブロックマーが目撃した話として、1744年7月、ロンドンで、普段は物静かで立派な人に見えるスウェーデンボルグが、狂気の攻撃にさらされていたかのことを報告しています。それはある晩、スウェーデンボルグが自分をメシアだと宣言し、裸で泥の中を転げ回り、ポケットにつまった金を群衆に投げ与えるといったことやそれに類することをして、狂っていたのが発見された、とのことがらです。しかし、これらのすべては、著者への不信とその信奉者の落胆を目的とした抽象的な非難であり、その後調査した人によって完全に誤りが証明されています。 これはちょうど、スウェーデンボルグがロンドンのブロックマーのところに住んでいた間の彼が『夢日記』の中でサイキックな変化の体験を記録していた1744年のこととなります。そしてこのことは疑いもなく普通でない行動を伴っていたのかもしれませんが、しかし、彼の心は錯乱とはほど遠く、澄んでいて天上の高みに上げられていたのです。このことは疑問とされるこの時期に、彼の輝かしい解剖学上の著作や『神の崇拝と神の愛』を著述していたことから明かです。

 1740年(52歳)『生物界の構造』(第1巻)を出版。霊的な閃光を見、心霊体験始まる。

 1741年(53歳)『生物界の構造』(第2巻)を出版。

 1743年(55歳) 7月、『夢日記』をつけ始める(1744年10月まで)。

 1744年(56歳)『霊魂の王国』(第1巻、第2巻を出版。4月、『夢日記』に主イエス・キリストが顕現したことが記される。

 1745年(57歳)『霊魂の王国』(第3巻)『神の崇拝と神の愛』(第1部、第2部)を出版。このころ、霊界への眼が開かれる。『アドヴァーサリア』の著述を開始。

 1747年(59歳)『霊界日記』をつけ始める(1765年まで)。7月、鉱山局監督官を辞任。

 1749年(61歳)『天界の秘義』(第1巻)を出版(1756年までに全8巻を出版する)。

 

※ スウェーデンボルグの霊界へのチャネリングは、子供の頃からの呼吸法にあったようです。(また後年は、霊界のヨギから呼吸法の技法を伝授されているようです。) 

……スウェーデンボルグは、たとえば、子供の頃、私は彼ら〔おそらく彼の両親〕が朝と夕に祈っていたとき、自分の息を意図的に止めようとした。また私は、呼吸数を心臓の拍動数に一致させようとしたとき、理解力がいわばほとんど消失しはじめたことを観察した。後年、私は、想像力を用いて執筆していたとき、自分が自分の呼吸を、あたかもそれが鳴りを静めたかのように、止めてしまっていることを観察した(『霊界日記』3320、3464)。

 また「精妙な呼吸」、すなわちヒンドウのプラーナーヤーマや中国のタイ・チー(太極拳)に利用される技法を発見した。人は肉体で呼吸すると同時に「呼吸を視覚化する」。「息」を肉体の周囲に送ったり、あるいはたとえば息が「腹部を満たしている」と想像したりすることができる。スウェーデンボルグは、精妙な呼吸が自分の肉体にみなぎり、実際に自分の肉体器官に働きかけるのを観察した。「呼吸のそれ以外の多様性、たとえば、生殖器や腰の部位に属する腹式呼吸や、左側の呼吸であって同時に右側の呼吸でないような呼吸があることが、私に示された」(『霊界日記』3325)。

 

            スウェーデンボルグ夢日記      
               スウェーデンボルグ著 鈴木泰之訳  たま出版

 

 7月1日~2日
 【209】非常に不思議なことが私に起こる。キリストが神の恵みを私に示されたときのような、強い震えがやってくる。次から次へ10から15回。私は前のときのように顔から投げ出されるつもりで待っていたが、これは起こらなかった。最後の震えで、持ち上げられ、私の手がある背中に触れる。背中全体をとらえ、また同じく前方の胸部下方にも手を伸ばした。すぐにそれは横たわり、また私は正面から顔つきも見る、しかしこれはきわめて漠然としていた。ひざまずき、私も並んで横たわるべきかどうかとそのとき心の中で思ったが、しかし、そうならなかった。これは許されていないかのようだった。震えは、すべて身体の下方から始まり頭へ上っていった。【210】これは目覚めているのでもなければ眠っているのでもない、幻の中でのことである、というのは私の思考もみな一緒だったから。このことが分かるのは、外部から分離した内部の人間である。すっかり目覚めたとき、同じような震えが何回もやってくる。顔から投げ出されなかったから、これは聖なる天使のものであるに違いない。これが何のことなのか、主がいちばんよくご存じである。「おまえの導きとなるものを何か持つべきである」と、最初のときに言われたようだ。またはそのようなこと。私の中の内部と外部の人間に神の恵みが示された。神ひとりに賞賛と誉れあれ。
 【211】次に続いたことやその他の根拠から、これは、私が「内部の感覚」についての真理を明らかにするだろう、ということに違いないと認めた。しかしそれらの背後に触れるのであり、正面は漠然と。なぜなら、このことの前に、私にこれまでのこの主題についてやり遂げてしまうという予告がなされたようだったから。まさにその後、私の取るに足りないスタイヴア貨を、より価値のある硬貨に交換する特権を得たことが私に示されたように。そのとき、少しばかりの金〔貨〕が私に与えられた。しかし、それにはまだ銅〔貨〕も一緒だった。
 7月3日~4日
 【212】特別な優しさをもって、キスをして、女と別れたようだ。少し離れたところに別の者が現われた。目覚めたとき、恋の欲望がまだ続いているかのような感じだった。それでもまだ、あたかも不平を言うように、「少しも理解していない」と言われた。これは、私の書いている「感覚全般」が今や終わりにきている、また計画しているところの「内的機能の働き」が把握できないこと、それと私が今や「大脳」についての、第二部まできていることを意味する。

 

 7月7日~8日
 【213】楕円形の球体がその底部から最上部へと凝結してゆく様子を見る。舌の形をとって。それからその後、これは広がり、広がって消えた。私の信ずるところ、最内部は聖域であり、下方の球体の中心として仕え、そしてこのことの大部分は、舌の表わすこととして考え出されるだろう、これを意味する。私はこうなる運命だった、と信じた。これが、
私が何とかしなくてはならなかった聖域の疑いようもない意味である──このことより確実なことは、科学のすべての対象は女の形をとって私に現われることである。さらにまた、私を父の属する会に入会させるべきか、審議がなされていた。
 【214】おなじく、神の御子は愛であり、この方が人類に善をなし、その罪を取り去られる、という確かな思考もやってきた。実に、最も厳しい刑罰さえも。それゆえ、もし正義があるなら、慈悲は愛を通してもたらされるに違いない。

 

 7月9日~10日
 【215】王と一緒に談話していたが、あとになって王は部屋に退いた。その後、王子たちと話を交え、面識を得る。彼らの間で私のことが話題になる。私は彼らに、「私は愛とか崇拝について臆病なのです」と語った。立ち去ろうと思ったとき、女王のテーブルが用意してあるのを見る。私はしかるべき服装でなかった。その場は、何かの機会に、急いで白い上着を脱いだ。上に行って、着てこようと思った。父と話し、決して誓ってはならないことを父に気づかせたので、父は私にキスをした。ここで、女王が召し使いを連れて上がって来た。これは、私が神の子供たちと交遊関係に入ったことを意味する。なぜなら前日、別の宿*を選んだから。

 

  原注(*)ブロツクマーのところを去った後、スウェーデンボルグはリチャード・シアースミスの家に移った。(1772年3月29日、彼が亡くなったのはここである)

 

※ この日記部分は、スウェーデンボルグが狂気にあったとする年月のための、その転換期の期間の日記を記載しています。             

    シグステッド著スウェーデンボルグ叙事詩の第23章「転換期」

         「転換期のスウェーデンボルグ」 より引用

 彼は、守護霊が自分のごく年若いときから一緒であった、自分に神の栄光を増し加える目的のための才能が与えられた、自分が正しい道を行く以外のことを行なうなら生きる価値はない、と気づきます。娯楽・富・地位、これらはすべて虚しいものと認めます【165】。 神はまさに彼に語り掛けておられたのですが、彼はそれをほんの少ししか把握していません、語り掛けが象徴によってなされていたので、まだ、ほとんど理解できなかったのです【175】。非常に見事な地所を所有している女の人と一緒にその地所を歩き回る夢を見ます。彼女と結婚することになっていました。彼女は敬虔と知恵を意味します【179】 。すべての「情愛(感情)」は女によって表わされます。宗教的エクスタシーにおける神秘主義者は、神への愛を表現する言葉を、この世の愛、その肉体的な愛に相当するものを借りて表現することがあります。驚くべきことに性愛的な要素がスウェーデンボルグの夢の中にしばしば現われてきます。人間の生理について学んだ者として、彼は性的な夢の意味を記し、それらをわずかでも隠そうとする意図もなしに正直に描くことができました。ある性的な記事の後、「こうしたことは、世間の目から見れば不純であろう。しかしそれ自身は純粋である」と彼は言っています(1744年4月24日【179】。高貴な処女たちは彼の愛した真理と哲学上の研究を表わし、そして、彼女たちとの結びつきは知恵への彼の愛を意味しました。彼を背後から捕らえようとした虚偽はぞっとするような形で現われました。こうしてある忌まわしい夢は、自分の時間をより高い事柄に使うべきだ、はるか下方にある世俗の事については書くな、ということを意味しました。「神よ、私に恵みをくださり、さらにお教えください!」と懇願しています。(日記【185】)
 この全期間、スウェーデンボルグはオランダに滞在し、『動物界』の出版に没頭しており、その最初の二巻が印刷されています。1744年の春、船の夢を見ますが、これは著作をイギリスで続けなければならないことの象徴であり、そこで三巻目はイギリスで出版しようと決めました【176】。
出発の前に、友人のプレイス大使をもう一度訪ね、著作の最初の二巻を贈呈しています。アムステルダムの銀行、グリル社からクレジット(信用貸し)を取り付け、5月13日の月曜日、アムステルダムの下宿を引き払い、イギリスに出発します。ハーウィッチに到着するのは5月15日──これはイギリスの暦では5月4日でした【192】。
 到着した夜、スウェーデンボルグは非常に美しいデザインの銅版画の夢を見ます。これは彼が今にも非常に立派なものを生み出そうとしていたこと──次の作品『神の崇拝と神の愛』の前兆であることを意味しました。(日記【194、195】)〔訳注、スウェーデンボルグ自身は『動物界』第三巻の図版と解釈しています。〕
 別の夢では敬虔な靴職人に触れ、「旅で一緒になり、そのときその人のもとに下宿した」と言っています【197】。旅行中に出会った「敬虔な靴職人」とは、オランダにいる子供たちを訪ねた後、ロンドンに帰る途中のモラビア派信徒のジョン・セニフでした。スウェーデンボルグは自分が静かに過ごすことのできる家族を推薦してくれるよう頼み、ロンドンのドイツ人信徒協会の幹事であったセニフ氏は、まず自分の家に連れて来て、その後、フリー卜街の金時計の彫刻師ジョン・ポール・ブロックマーを紹介しました。四日後、スウェーデンボルグは彼のところに下宿します。ブロックマーもまたモラビア派信徒であり、彼の家で兄弟団の集会がもたれていました。一時、スウェーデンボルグはこの人たちと
フェタ通りにあるモラビア派の礼拝堂に同行しましたが、その団体に加わりません。彼はスウェーデン教会に出席し、そこで聖餐に与り、献金しています。
 モラビア派信徒たちについて彼は次のように言及しています──
 いろいろな摂理によって、私はモラビア兄弟団に所属する礼拝堂に導かれた。自分たちは真のルター派である、聖霊の働きを感じる、と主張している。その働きとは彼らが互いに語るところでは……。私はまだ彼らの兄弟団に加わるのは許されていないのだろう。彼らの礼拝堂は、その後になってちょうど見たままのように、3か月前に私に示されていた。また、そこの全員は聖職者のような服装であった(5月19~20日)。(日記【202】)
 スウェーデンボルグは隠遁生活を送っていたのですが、ブロックマーとは友好期間を持ち、しばしば談話しています。疑いもなくブロックマーは、霊的な物事に強烈に引き付けられたこの下宿人に好奇心をそそられました。私たちは、スウェーデンボルグの高められた状態が家族一同に何か強烈なものを伝達したであろう、と容易に推測できます。かつて、そこの女中がベッドや部屋の掃除をしようと入ってくるのを拒んで、部屋の扉を二日間開かなかったことがあります。厳粛な大きな著作に携わっているときには一人にしておいてほしいのです、と彼は言っています。
 モラビア派信徒たちにとって、彼が自分たちの教派に加わらなかったことは期待外れだったでしょう。彼の経験している驚くべきことは、彼らの活動範囲外であり、彼らはそのことに憤慨したのでしょう。7月にブロックマーの家を去り、ほかの下宿に移りますが、ブロックマーとそこの女中が彼の研究を妨げ、彼の論文をいじる癖があったのがその理由の一つでした。(原注、シアースミスはカー夫人のところに下宿したと言っている。
スウェーデンボルグの去る前、悩ましい出来事が起こり、このことはその後さらに大きく間違えられ、スウェーデンボルグは狂気であったとのうわさを引き起こすことになりました。
 時計彫刻師のブロックマーは宝石商人たちとも商売をしていましたが、その中に不正直者がいたのかもしれません。
 話によれば、二人のユダヤ人が、スウェーデンボルグが部屋でぐっすり寝込んでいるのを見て、それをよいことに彼の金時計を盗みました。スウェーデンボルグはあとになって枕元に時計が見当たらないのを知って、その人たちに返すよう要求しました。
「あなたがエクスタシーの状態にあるとき、自分で時計をひっつかみ、通りに出て、どぶに投げ込んだのを覚えていないのですか?」とその人たちは言いました。
 「私の友よ、あなたはその言葉が間違いだと知っている」これがスウェーデンボルグの返事です。
 その後、二人の悪党を裁判に訴えたらとの助言を受けましたが、彼は、そうする価値はない、と言っています。「彼らの行動によって、私以上に彼ら自身が傷ついている。主が彼らに哀れみを持たれますように」。)
 当時、スウェーデンボルグは感覚を扱っている『動物界』の第三巻を著述していましたが、思考の他の方向が開かれ、その心の中に新しい計画が形作られていました。夢の中に、大きな美しい宮殿が示され、そのそばのイチジクの木の快い木立ちと取り巻く堀がいつもそこから見ることができそうなので、そこに住みたいと願いました。「翼(よく)をずっといったところの窓が開いていた。ここに私の部屋を持ちたいと思った。宮殿は私の著作の構想を意味するのだろう」(6月15日~16日)。(日記【205】)
 かつて、眠りと目覚めの間で彼は、「聖なる震え」に繰り返し襲われ、幻の中に一人の男を見ました。「それは聖なる天使であったに違いない、なぜなら、顔から投げ出されなかったから」と彼は結論しています。このことを「外部の感覚から分離した内部の感覚から」知った、と彼は言っています。これは、内部の感覚がますます明確で継続的なものになってゆくという長い連続の最初のものでした。(日記【210】)
 9月21日、スウェーデンボルグは初めて霊から話しかけられます。自分の著作について深い思考に浸っていましたが、そのとき突然、「黙れ、さもないと、おまえを打つ!」という言葉が聞こえました。この出来事に怯え、彼はこのことを研究に、特に日曜日の夕方に、あまりに長く夢中になるな、との警告と受け取っています(日記【242】)。実際、彼は根っからの著述家でした。『五感』の原稿を二つ折り判(四頁分)にして200頁もの書き改めを一か月半足らずの間に成し遂げています。人々は、その非凡な知性を今日の私たちに伝えてくれるガチョウの羽ペンを削る暇さえどうやって見つけだしたのだろうと驚きます! この驚くべき速さは彼の頭脳が飛び抜けて明晰であったことによってのみ可能となります。そのどんな負担も、よく考え自ら課したものでした。彼自身の言葉によれば、彼は「心配や苦労に邪魔されずに、長く深い思考にいた」のです。試練が起こったのは彼の霊的な生命においてです。彼は、職務では慎重、社交では控えめであり、ときおり愉快な気晴らしにも加わりました。
 その莫大な著作を書き続けている間に、彼は天界の神酒(ネクタル)を飲む夢を見ます。それは、その著作への助けが高い源泉からやって来るであろう、そして神が彼をたんに器として用いられるであろう、ということのしるしでした【235】。「私は神がみこころのままに用いられる道具のようなものである……。私が竜を殺す道具となれたら! と望んだ」(日記【245、227】)
 試練は依然と彼を襲います。そそのかされて得意になり、自分の著作を誇ります。「神お一人以外にだれも私を助けることはできない!」と絶望のうちに叫び、巨大な黒い雄牛に突き刺されそうになる夢を見ます。「おまえは無事に通過できる」と言われます。彼は、自分が「触覚」についての第一章をやり遂げたとき何かが起こるだろう、という予感を得ます【248、241】。この予言は的中します、というのはすぐあとで、スウェーデンボルグは、その真ん中に太陽が壮麗に輝いている美しい宮殿の切妻壁についての夢を見たからです。「その会の中で、私を会員にすることが決定した、と私に言われた。不死の会員であり、これは死んで生き返った者以外に、だれ一人なった者がいなかった」(日記【243】)  彼の心に新しい書物が形作られていました。その題名は夢に出てきます──それは「神の崇拝と愛についての神聖な本」となるだろう。また幻の中で、これはまったく異なっている愛から発する、他の著作とはまったく違ったものであることが彼に示されました。それでも彼はこれが(他人から)たんなる物語りや慰みものと見なされるのではないか、と疑っています。これを放棄しようという気にすらなったのですが、しかし、継続する力を与えられました【261、262】(10月6~7日)。(日記【250】)
 2日後に述べていることは──
 今夜は今まででいちばん嬉しかった、なぜなら、無垢の王国の幻を見たから。下方に想像できる限りで最も美しい庭園を見た。どの木にもかわるがわる白バラが置かれていた。その後、広い部屋に入ったが、そこにはミルクやパンの入った容器が並んでいた。これ以上食欲をそそるものは想像できないほど食欲をそそった。特には思い出せないがある女の人と一緒だった。そこから戻るとき、美しい小さい無邪気な子供がやって来て……。これは、子供は無垢そのものを意味し、私が無垢の王国にいたことを意味する。私はこれに大いに心を動かされ、すべてが無垢であるそのような王国にいることができたら、と願った。目覚めたことを嘆く、そこを去らねばならなかった」。(日記【257~259】) 

※ この高貴な処女の表現の感覚は、ノートルダム大聖堂ボエティウス哲学の女神と共通の感覚だと思われます。別の表現をすれば、高級天使だと思われます。    

 ※ (創世記2・7)の「神エホバは土地の塵で

人を形られ、生命の息を(spiraculum)その鼻に吹

き入れられた。人は生きたものとなった。」

 聖書の世界では、息と命は密接です。旧約のヘブライ語に「ルアハー」は、息、命、風であり、ギリシャ語による新約聖書は「ルアハー」は「プネウマ」に訳されます。これも「息、風、命、霊」を意味しています。聖書がラテン語に訳された時「ルアハー」はラテン語spiritusと訳され、これが英語のspiritの語源となっているのです。キリスト教ではSpiritusは神の霊、神の息吹、聖霊を表します。Spiritusはspirareの名詞形ですからやはり「息」と「命」の関係がここにもあります。
息は命の証。そもそも「生きる」という言葉は「息」からくるそうですし、亡くなる時「息を引き取る」と言いますね。「息」と「命」は密接な関係にあるのです。
 ところで以前にブームとなった「千の風になって」の風は純粋な単なる風なのではなく、「霊」をも含んでいます。私たちは「この風を心の中では、個人の霊と思うのではないですか!」 古代の人々は、もっとその感性が鋭く、そのため「息・命・風・霊」を同義語として表現されていたのでしょう!。

以下は「千の風になって」の原詩です。(千の魂となって!。)      

 

※ 追加及び修正の予定あり。